2007-07-01 お礼のご供養について

  今日お礼の供養、つまり大般若経の転読、百味ごのご供養についてのご質問をされた。
彼女はとても若い方で、心も純真な方なのですが、私があまり教化することに
怠っていたせいもあり、何が今自分の為に必要な供養なのか迷ってらっしゃいました。
そもそもお礼のご供養とは信仰心にともない、自分の不安要素を補うものなのです。
お心が尊天心得にたがえることなく尊天に向かっているのなら成就した
 暁にのみお礼としてのもの意外が私は必要ないというか厳密にいえばそれはお心なのですから
余裕のある人はすれば宜しいですが、極論としては必要ないのです。
 ただ自分にやましい気持ち、あ-私はうまく尊天に接していない、事故的な出来事であっても
また、確かに心の中で不満をはいてしまっているなど思った方が
供養という形で日頃の不備を補えばいいのです。
尊天の心得はよく見てみれば人が人とお付き合いするための当たり前の約束事に酷似しています。
尊天信仰は心の制約、約束事なのです。心がしっかりしていればいりません。
 しかし以外と人には難しかったりもする。
 もうお知りの如く尊天の法に呪い返しなどというものはありません。
これは尊天だけなのです。呪い、ご祈祷には尊天以外はどんなささいなものにも存在します。
つまり願いを叶える為に対価を求めるのです。
  尊天信仰の対価は、心中での接し方約束に大方を求めて守っている限りは悪いことなどありません。
ですからそれが出来ない方は少々意地悪な言い方ですがお金をかけて反省しろ
という意味合いがあるのです。
 尊天はそう考えてみると金の亡者でもなく、仏道を照らす仏としながらもとんでもない願いを
聞いてくださる対価としては非常にやさいいともいえるのです。
  守れなかった人間にも切り捨てたりするのではなく少し苦労しろと選択の余地を
お与えくださるのですから。
他の仏はそうは行きません。
  話は始めにもどりますが上記のように彼女に諭すと非常に心に穢れのない子であるから安心して、
よく考え明日電話するとおっしゃってお切りなられました。
  恐らく心願と事の大事さから考え、十一面様の供養かご自宅の祀る祀り方などが成就の鍵を握ってくる
と思うので、そうご依頼なさるとはおもいます。
  皆様もこの話を参考に御自分の信仰の度合いからこの大祭を利用してお礼のご供養を検討してみて下さい。
  注)十一面観音の供養だけは別です。これは自分の心願が人の道に外れているかたや、
不浄な場所でのお勤めをご自宅でされているかたは非常に必要ですので別物ですのでご理解ください。
また上品、中品、下品はご祈祷の主ですのでお礼のご供養とは別になります。
  明日は仏像についてお話をしましょう。 合掌

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