2007-07-02 十一面様の仏像

  昨日七月一日は尊天のご縁日でありましたが皆様はそれぞれどのようなお過ごし方をなれただろうか?
昨日お電話した中には気付かいかたもいらっしゃたようですがこれにはいままでの私の責任もある、
どんな仕事でもそうだと思うのだ、こと信仰においては教えることが多くもあり深くもあり、
出家者用のような教本的な物がないだけに何からどう接していいかわからなかったものだから、
今思えばこのような日記帳でその日の出来事をとうして信仰を語るようなアプロ―チを私から避けていた感があるからだ、
これはいかん、皆様が迷うのも当たり前なのである。
しかし、もう長年お付き合いされているかたはお分かりだと思うが私のところは昔ながらの正統な教えをそのままに伝え、
いかに早く、そして禍を受けないで成就する方法を損得なしでおこなっているのである、従って、門は狭いが後はひろい
、その意味は昨日の日記に書いていると思うが心を重視するからである。
しかし、既存の寺院などは頼るものがどういった禍をいただくかなどかまわず、門は広いが、後狭くなる。
お礼の供養の強制などがいい例である。そこには薄利多売の精神しかない。情けないはなしである。
話はずれたが。冒頭仕事の話がでたが今日仏像をお頼みになった方は人に教える仕事をしており、
私の懺悔に、教えるということの難しさに理解を示してくださり、逆にこちらが助けられたような気がしたほどで、
この方は長年のご信仰厚い方でここに私がいたるまでに随分と助けらました。
彼女はなぜ仏像が必要なのかと私に問うてきました。
私は答えました。
私が魂を入れる十一面観音様は尊天の魂を十一面観音様のお心の隅に植え付けた。いわば
皆様がなかなか綺麗に祀れない部分を十一面様の自愛でお許しいただき、尊天の心によって
また無理な願いでも叶えることができる。
だからこそ何もないところを想像し直接尊天を呼び怒られるよりも合理的にその力を導きだすことが
行者抜きでもとまではいかないにしろできるようになる。
仕事柄拝める日がすくないとか、あげものが腐ってしまった。とかあまり宜しくない接し方をする人には必要なものなのす。
また行者以外は見ることができない尊天を十一面様として祀り、一体になる作業を(これは後々教えてしんぜるが)し
一切を成就する法を不通の方ができるようになるという利点から私としても法の効果が強くでて宜しいのであります。
彼女はそう私が教えるとお喜びになられ、すぐにでも仏像をと申し出られたのです。
きっと十一面様のようなお方ですから、いよいよ功徳をいただくようになり、
これからもわ湧き出る諸願を悉く成就なされてゆくことと存じます。
話が今日は取り留めがないが大祭が近く準備で忙しい折の日記ですのでどうか御容赦下さい。 合掌            

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