2008-07-02 浴油供について

  まず現在行っている大祭は非常によくいっているということをご報告しよう。
この間ご依頼されたかたは 一層の功徳を頂いているのだから本当にご運のいいお方だとぞんずる。
今日も河口のほうから成就者がでたと報告があった。
御尊天のご満足の印である。行ってよかったと実感した報告であった。
  さて熱心な信徒様方の為にご勉強になればと信仰の話をしよう。
今日は浴油祈祷の作法について色々お教えしたい。
諸尊の供養法には共通して 華水 大般若 百味 など現在は行っていない方がほとんどだが実際は
尊天だけのものではなく、諸尊にもやり方は違っても同名のものがある法なのであるが、
浴油祈祷というものはこれは尊天だけの供養法である。この法は密教最極の秘法であり、尊天特有の
深秘の供養法と位置づけられる現存する全ての神仏の中の秘法中の秘法なのである。
(この数段上に愛染毘那夜迦法は或るが)
このような法が他の諸尊のようにおいそれと人に伝えない、また行者にも伝授しないのは
決してその力を己のものだけにしたいとかという理由ではない。
この法は行者の存念が左右するだけに映し鏡のように尊天の力も体に宿ってくる法であるから
大変な精神力、すなわち精神統一、そこから生まれる他と違う能力を必要とするからだ。
形だけのものがすれば尊天は動かないばかりかお怒りになる。多々みる光景である。
このような者に依頼した場合、行者ばかりか依頼者もお怒りにふれる。
なぜなら車の運転を知らない者に尊天という世界最速の車に乗せその助手席にのるようなものだから
である。
であるから欲油というのはそれを操るものが外観から知りえないほどの細心の気遣いと、
他を超えた力を獲得してはじめて成り立つ、先ほどの例え話からもわかる通り、命がけの作法なのである。
  この作法の工程を一言でいえば尊天の御像に聖油(ごま油)を御掛けして供養しするものである。
多羅という器に胡麻油一リットル半、その中に丁子や白檀をいれさらに匂いを強め、温め、その中に
尊天にお立ちになっていただき、真言を唱えながら、尊天と八海は一つであると不二一体の境地に
至りながら尺にて油をかけるのである。油の加減が成否を決める。実践をつまないと難しい。
熱すぎるととてつもないお叱りを受けるし、ぬる過ぎるとよく私は体調を崩す。
私は調伏する時は尊天を逆さに頭から油に入れる。
皆さまのよく嫌な同僚を遠ざけてくださいとか姑をどかして下さいとかはそうしている。
その時に油の加減で生死にかかわらせることができる。
また成就にもちろん行者の力がすべて関わってくるがそれでもというときは道具の優劣にかかってくる。
よく古い尊天の信徒がいいお道具を尊天様に使って下さいというのはこれを知っているからである。
話はそれたがもっと詳しくいうと息災、調伏、増益 敬愛と使う油は違う、その種類製法はいうのは避けよう。
あくまで秘法である。
ただ厳密には浴油というのは本当は胡麻油ではなくそれはあくまで代用で正しくようするに正統な油は
牛乳に蜂蜜を入れ油を混ぜた蘇密油を使う作法をいうのである。
しかしこの製法は手間がかかり知っている者も現在はまずいない。
というかいない。私もいつもは胡麻油で代用させてもらっているが、愛染毘那夜迦法や、これはと思う時、
大祭、また熱心な信徒の願いにはこの古来より定められた蘇密油を使う。
とても労力のいる仕事ではあるがすばらしく尊天が喜ぶからだ。
この蘇密油浴油祈祷といっていい正統祈祷は恐らく私ぐらいしかやっていないし使えないとおもうが。
これが信徒様が祈祷祈祷といったい先生は何ををしているのかと疑問に思われている浴油の
大まかな紹介である、あさってはその行為の意味する精神的部分を教えようとおもう。
そちらが私としてはメインである。工程などわかればできるが心が伴うからこそ、
ある一定の精神法からくる爆発と使役が起こり、これが成就の九割の意味あいをもつかである。
けっして真似はしないように。
最後にこれだけの法であるから、尊天独自の大般若 百味はさらに尊天を喜ばせ諸尊も及ばない
絶大な効果を生むのである。
  追伸
大祭について信徒の皆様が尊天の為に大金をご献金されておられるがその方の心受け取りました。
もう充分です。本当にあれほどの震災のご献金のあとです。必ずこの八海がそして尊天が海より深い
その信仰心にお力を注ぎます。皆様の篤信に自分が恥ずかしくなり、今日浴油の秘法のさわりだけしか
言えないですがお教えすることで自信をもってもらいたくそうさせていただきました。
私の気持ちです。また献金なされなかった方が気にされるかもしれないが
今回の大祭の基本は皆様のご献金は募っていないのですから一切きにしてはいけない。
本当にもう充分なのでこれ以後大祭の献金はしないように。
尊天の代理として申します。本当に有難うございます。歓喜この上もありません。
河口からの報告で尊天にたいする不信心、私に対する不満をおっしゃる信徒様がいることを聞いて、
怒りを通り越し、寂しさまでおぼえていた心境だっただけに。本当に今回はうれしかったです。 合掌

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