2008-07-04 浴油供についての続き

  作法の激務に追われ、お話をしたいという方があるなか時間の余裕をみつけらないでいる事を詫びたい。
ただ私のところは成就が目的であってカウンセリングではない。一に祈祷、二に祈祷なのである。
ただそれだけでは信心を失い、三ヶ冥合の真髄を忘れがちになるかたがいてはそれはまた不幸であるから
受付がその分を賄っている。祈祷をせずにサイクルを崩せば、祈祷により助けてほしいという方が
その方達の眼に見えないところで成就は先延ばしになる。男性の信徒様でお一人だが精神的にも私の声が
聞けないのでだめだとう方がいるらしいがその方お一人で他の動き始めた方、あと少しの方、また御依頼され
今を今助けてほしいと尊天の力を懇願している方、皆一歩遅れることもある。
今大祭がこの方とは終ってから話そうと思うが、私の仕事は祈祷である。話せないからとどうか信徒の皆様、
尊天の祈祷に相対し、その祈祷が無駄にならないよう祈る。どこの寺院も行者にここまで
カウンセリングをしろと迫るのは見たことがない。しかし私が古来からの考えでいるのも
反省しなせればいけないのかもしれないから大祭終了後はこの言葉に付け加え、私も努力してみる。
ただその男の子に諭したいのだが、男の子なのだから女性でももっと頑張ってみな成就なされているのに
もっと気持ちを強くなってほしいものだ。女性はまだわかるが、やがて父になる者がそれではいけない。
尊天も同じ思いである。自信をもって欲しいことは私は皆様を尊天の技を通じ常に守っている。常にである。
だからその守りをより深く大きく受け取って欲しい。
心をこちらに寄せて欲しい。尊天の功徳を受け取る備えある心を常に持っていて欲しいのである。
こちらがいくら功徳の光を放ってもいつも尊天に対しまるで似非占い師に依頼している気持ちで
接していてもらっては光はその方に降りそそがない。
尊天の信仰に功徳を頂くためには二つの信をもっていなければいけないという教えがある。
この信がまるで車の両輪の如くなってこそだという教えである。
まず言葉の信。これは尊天に対するその言葉の如く口からそして態度からの信仰心である。
二つ目が即心潜在信少し仏教の専門語すぎてこれは少し難しく思われるとおもうが簡単である。
心の奥底にある信仰心である。
よくといっても私にもあるがこの神仏にご機嫌をとりたくて口の信は簡単にできるということがある。
どうか尊天様お願いしますといったような儀礼的な場面である。しかしその場面で二つ目の即心潜在信が
ともなっているかといえば疑わしい。それを私は常に自分でも気にし、自戒することが多々ある。
その心を尊天はすべて見抜いている。それでなくとも形にうるさい尊天だが本当にそのやかましい信仰の形
がこの即心潜在心をもって完成し、功徳の滝をお流しになるのです。
皆さまはどうだろうか?どこかで尊天を安っぽい占い師と同じにしていないだろうか?よく考えて欲しい。
それが最近ごく一部で目立っているような気がしている。
浴油供については今度にしたい。 
それから今日アメリカに発たれた方がんばりなさい。
必ず成就させてあげます。 合掌

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