十一面観音祭並びに、新年護摩祈祷結願の報告

今日、ようやく冬の大祭に引き続き、年末・年始にまたがる新年護摩祈祷を終えることができた。

思えば、先月は尊天様最愛の女天である十一面観音様のご降臨をお祝いする大祭の準備から始まり、全身全霊を込めた絶食による祈祷を遂行した。結願後は、おびただしい数の成就の報告を河口から聞きながらも、次に待つ護摩祈祷の準備に入らなければならず、息つく暇もない日々。

年末年始の護摩祈祷は、大祭直後であるため、皆様にお布施を求めることは私自身の気持ちから避け、全員分の護摩祈祷を行った。

そのため、昨年のようにあえて告知はしなかったのだ。

思えば、駆け足で先月から今日まで走り抜けてきたが、少しでも気がゆるんでしまえば築き上げてきたものが瞬く間に崩れ落ちてしまうというくらいの緊張感で臨んでいたため、足を止めることができなかったのである。

そのかいあって、今、皆様から寄せられた成就の報告に目を通し、改めて大祈祷で感得したものを、すがすがしい気持ちで思い返している。

信徒の皆さんが受け取られた功徳こそが、私の祈祷に対する評価と思っていただいて良い。

今回の大祭で、成就者が29人だと聞いている。

まだ報告されていない信徒様もおられるだろうとは思うが、夏の大祭よりも上回った。ただ、私としては今回参加された人全員の成就を願っておるため、数字だけで喜んではいられない。まだ数字に見えぬ部分で、確実に各々の状況は成就へ結びついている。

ただ、成就への糸は信徒個人の描く力も加わるため、あらゆる方向へ揺れ動いているはずだ。

望んだ方向へ動く時、望まぬ方向へ動く時、ともすれば思いもよらぬ方向へ動く時。

そこで、人は一喜一憂するのが常であるが、私がご祈祷させていただいておる信徒様なら、糸が動かされている支点を忘れてはならない。

支点は成就の方向、すなわち尊天様が示してくださる世界の位置にあるのだ。

だから、揺れるもの変化するものを恐れる必要はない。

心に尊天を描く限り、糸は決して切れたりはしないのだ。

成就から垂らされた糸、心配ご無用、安心して進めば成就に辿り着くのである。

 

今回の大祭で、さまざまな報告があったが、20年にわたる理不尽な恋愛を見事成就された山形のKさん、結婚してしまった過去の恋人と復縁を果たした山梨のHさん、それぞれ、どんなに肩身の狭い思いをされていたか知っておるので、幸せになって欲しいと心から願うばかりだ。

まだ成就の目を見ていない者も、上に書いたように成就の糸はがっちり結ばれている。

新たな気持ちで飛躍の年、卯の一年を歩みましょう。

お礼が最後になってしまったが、この大祭を行うことができたのはひとえに参加に駆けつけてくれたご信徒様の気持ちである。

参加された一人ひとりの思いは、確実に十一面観音様へ届けておる。

尊天が首を縦にふらぬときでも、十一面観音様のひとことで変わるくらいのお力がある。

必ずや、今後も目を見張るおしるしがあるであろう。歓喜の心で待とう。 合掌

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