大祭が一段落した後から、言葉での教化が今になってしまったことをいつもながらではあるが、まずは
お許し願いたい。
実は最近、断ち物をしながら破り、どうしたものかと河口の所に助け舟を求める信徒様が多く、納め切りの他に、私自身、その方達の為に行を立て、過ごしているくらいである。
これは信徒様皆様にも言える事なのだが、尊天様は断ち物にたいしては必ず叶えて下さる。
私自身が体もしておる。
破った時は相当昔は私は怒ったものだが、あまりの皆様の熱心さを理解するようになり、
受け入れる事にしたのだが、この破り方というか、断ち物に置いての心構えというか
これは断ち物をしていない方々にも当てはまる事なのでよく心に写して欲しい。
まず、断ち物を尊天様にして一番先にくるのが、どんな事があっても破ってはいけない。
もし故意でなくてもそれは、大変な怒りを買う。
というのが基本中の基本、大前程であるが、よく我が強く、聞き耳を持たない信徒様なんかは、
信仰の形をいくら教化して拝むような心にまでしてくれと、泣き叫ぶ方がたまにいる。
こういう方に限って、やめろというのに断ち物をしてしまったりする。
我が強いので、燃え上がっているときは良いがそのうち、一進一退の時が来ると
そういった性格の特徴である。飽き性が如実に現れる。
仕舞に断ち物の耐えられなくなる。
結局は、信仰が利益なしでは、意味がないと思っていらっしゃる。
尊天は現世利益の頂点にいらっしゃる方であるから、そう望んで縁をもった方だからそれもいいだろう。
しかし尊天に限って、まったく功徳を与えなかったなどということは、特に私の尊天に限っては
あるはずがないのだ。
またあるからこそ、断ち物までしてみようと思ったはずなのである。
尊天からしてみたら、少し様子を見計らって叶えてやろうと、成就という家を設計し、大工さん、
左官やさんなどを頼み、尊天ご自身が完成するのを楽しみにしながら、さぞ驚くだろうなと心待ち
にされていたにも関わらず、今までの数々の恩をわすれ、我慢のなさから不満をもらしたり
断ち物を自分でしておきながら破ったのはまるで自分は悪くないまでの物言いをし、尊天までか
私にまで不況を買う。
これではしっちゃかめっちゃかである。
尊天には、どんな願でも叶えて進ぜようという誓いがあります。
凡そ、尊天はご自分でもおっしゃられているが、大日如来の最終の変身神であり。
衆生にあらゆる物を与える究極の権化である。
おっしゃっております。
このあらゆるものを与えるというのは、尊天様の側からすれば大変なご修業の誓いで、前にも書いたが人の為に何かを尽くすとは無尽蔵のパワーがいる。
それだけに尊天はお優しくともあるのだ。
もっと掘り下げると、尊天は、大慈、大悲をお持ちになっておるのである。
ようするに慈しみ、哀れに思い。救ってあげたい。
それにはやはり、尊天様は仏教徒でございますから。
こう正しく生きて欲しい。自分のように、こう優しく生きて欲しい。
という願いがあるのです。
ですから今日言いたいのがこれで、
願い申し入れ縁を持つのも、まして断ち物をして願を立てるにしても、自分の願いを
叶える姿ばかりを先に立てず、断ち物をし、または信仰をし、こんなお優しいお方を信仰
してありがとうございます。私を守ってくださっている尊天様、私も尊天様に負けずに
尊天様が、私に思うこんな人間になればいいのにという期待にそった人間になろうと
思って日々を過ごし、また断ち物に向かって欲しいのである。
そのような心持ちをもって信仰するか、または断ち物に励むかでは
功徳のありかたが百も二百も違うのである。
尊天様は功徳の授け方も皆の心をよく写す。
始めは悪人でも、その悪人の心に一筋の慈悲心を見出し、もしくは作り出し。
心の優しい悪人を創り出し、やがて善人を導き創るのである。
不倫、片思いの相手を成就させ、感謝から起こる心の成長によって、十人の恵まれない
人間をその方々は救う事を知るだろう。
私たちの願によって弾かれた恋敵、不倫敵は、尊天によって、あるいは違う縁を見つけ、
違う道を見つけ、また十人の人間を救う心を持つだろう。
こうして欲しいという願を尊天にもったならば、しからば私も尊天がこうなりなさいという
人間になろうと思うことがそれすなわち実は同体、入我我入そのものなのである。
今度の言葉では、私自身の断ち物へのもっと深く突っ込んだ心の在り方と
十一面様がなぜ尊天の法にはかくも大事なのか書こうと思う。
最後に三浦のKさん。富山Hさん。和歌山のHさん。宮崎のHさんとKさん。
Hばかりで奇遇だが、皆秘法の方ばかりだからご自分をわかると思うが
よく頑張った。成就おめでとう。
特に和歌山のHさん長くかかったがよくついてきたし、よく成長なされた。
私自身、忙しさにかまけ、電話もあまりできないというか、年のくれから今までが特に
酷かったがあなた方はほんと頑張った。
素晴らしい。
今回はその一言です。
最後に、尊天様、貴方様の偉大さに唯、唯、心震えるばかりです。奇跡を心より感謝いたします。
合掌