心に雞羅窟を

 ご縁日は、信徒様は有意義にお過ごしになられただろうか?

私は、地震の祈祷とおみくじ、ご縁日の祈祷と忙しい時をこなしている。

忙しいとはいっていられない、皆様の為に倒れても頑張ろうと覚悟しているので

安心してほしい。

さて、今日は少しの時間を使って予告したとおり、心に雞羅窟をというテーマを

語ってみたい。

 信徒の皆様は、いつもというか、皆様にとっては尊天様から功徳を頂くことが

一番の欲するところだと思うが、このテーマはその手法の一つであります。

尊天の功徳を頂く、要するに、目をかけて頂き、長いを聞いていただく為に

最高の手法は、直に自分の心に尊天様が下りてきて遊びにきてくだされば

一番いいのである。

そして尊天がその場所をことのほか気に入れば、その心は尊天の住まいになり

お社になり、そのお社を守る体を尊天は守り通す。

 

 古来の教えによれば、尊天は須弥山を囲む七つの金山の随一である毘那夜加山に

いらっしゃり、その山中にある雞羅窟という所にいて修行をなされているという。

この山は、七宝の財宝が埋蔵され、宝の樹木、草花が繁茂している。

私はいつも尊天を将来し、祈祷に入り一体になるときは、空、風、火、水、地を

観じ、大宇宙を感得する。

始めに空を観ずる。この空は何もない空ではない。

時間の空間の未来、大小、上下、速い、遅いが重なり合い、絶対的な混沌の宇宙観である。

この空間から風が漠然と生まれ躍動し何かを作るべく放たれはじめ、風が熱を帯び、

空間に般若の火を放つ、炎の空間は蒸気と世界につくり水を海、水の世界は

万物を潤しまた固め地をつくる、

この世界が展開し合いながら私はついに仏のお住みになる須弥山を感じ、降り立ち

その周りの七金山を見渡す、するとそこには須弥山を威圧し

その世界から独立し、須弥山ばかりではなく神仏の住みたもう世界を操作する七色の光を煌々と放つ毘那夜加山を見出す。

渡しの魂は駆け上がる。

我が首領、我が命かける神仏、大聖歓喜自在天様にお会いし

我が大聖歓喜天使教会の信徒の望みを申し伝える為に、

その山は雞羅窟という宝の城があり、周りの樹木にはあらゆる宝石、美しい果実がなり

そのすべては生命を生成発展する真理であふれており。

美しい輝き、芳香は慈愛と知恵とい聖ある思想をつくり放っている。

周りには生命の晶液たる油の川が流れ、その流れは城の大広間の

玉座に流れ込みその油の流れ囲む玉座に尊天の

種字を見る。

この先は奥義にあたるので言わないが

尊天はその玉座で皆の願を黄金の光に変え

常に世界の空中に放射し、奇跡の光線をはなって下さる。

彼の心、彼女の心、奇跡の舞台、すべてをその光線で見事に変化させるのだ。

要するに、ないはずのものに慈愛と、愛の知恵から生まれ、慈愛と愛を放つ、雞羅窟の樹木

樹木、その樹木の実を絞り作られ流れるすべての源、生命の晶液の力が成す生みだすという奇跡。

何もなかった空の舞台に愛と知恵の舞台を植え付けるのである。

生みつけるのである。

そして根源の晶液を掛け、その芽を育てるのである。

私はこの観想、いえ魂の放浪による尊天との一体から得られる、

高次元の大慈大悲の世界に酔いしれながら、油をかけ祈るのである。

これは私の心が祈祷しながら体験していること、即ち尊天を心に招いているのである

そのために私は心に上記で書いた雞羅窟をえがいているのでる。

その雞羅窟とは絶対的な慈愛の世界なのである。

上にかいた心の在り方、尊天の招来は、

私のように徹底的な節制をしている者でなければ危険だから絶対にしてはいけない。

行者でも尊天はきけんである。

特に老若男女も行者も現代的になっている昨今、私のようにある種の

取引をし、しかも体が断ち物により高い段階での精進の状態のものでないと

魂の堕落だけでは済まないので気をつけて欲しい。

私が言いたいのは、皆様にも簡易な形でできる招来、それは

ただたんに心に慈愛を観じ、それが種となった樹木が生い茂る

すばらしく美しい、大慈大悲の尊天が喜び歌い降臨する心が自分にあると

思いながら拝む事、その心作りに専念する生活、お勤めをしなさいという

ことである。

そうすれば自然と尊天があなたの知らないところで、しらない心のどこかに

遊びにこられるはずである。

 絶対に私のような順をおって尊天に会いにいってはいけません。

                                   合掌

追伸

おみくじの事だが、みな最上品はここぞという時にしなさい。

下品で、たとえば彼を誘うには何日がいいか?

私は月曜と水曜と金曜の三つを考えていますがどうしたらいいですか?

と私が聞かれたら三回ひいて一番いい結果をみて答えをだすなど

毎日の日常で大いに尊天の言葉を聞いて、尊天を身近に感じてほしいのだ。

最上品ももちろんそれぞれの考えもあるので全て受け付けるので安心はしてほしい。

あと、地震のお布施をした方、今日また歓喜団送っておいたので届いたら食してほしい。

本当にあなた方と尊天の慈愛の共鳴を私は深く感じている。

 

 

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