大祈祷を終えて

先日、やっと大祈祷の結願を迎えた。

今回は私の呼びかけに応えていただき、たくさんの方々が参加してくれた。

非常に尊天様も参加してくださった信徒様には格別の功徳をきっと授けてくださるだろうと思わずにはいられないくらい、今回の大祈祷に尊天様は降りてきてくださった。

大体こういう時、本当に力が強く働く時は、(原発の問題など、大きく自然をも動かすような大事な時)私の目から尊天様が降臨なされた時、尊天様の胸の奥からダイヤモンドの光で照らされているような、金ではなく白く透明な光を発して、時折七色に瞬くのだ。

今回も同じだったものだから、この功徳は土地の浄化、魂の鎮魂のみならず、参加していただいた信徒様の清い心を、その偉大な妙智力で照らしてくださるでしょう。

また、先日言い残した、何故土地を浄化しなければならぬかということについてお話すると、我々尊天様に縁を持った人間は、尊天様の子であると同時に、尊天様の体の一部でもある。それ故よく私は、我々は尊天様の飛沫であると表現したりもする。何故なら、体の中でも飛沫ほど重要ではない、体の体液の吐き出されたものであるが、これでさえも尊天の体の一部なのだから、もしこの飛沫でさえ尊天様の教えに回帰しようという愛の気持ちがあったら、その飛沫自身も仏になるが、集合体である尊天様はその回帰により、この上もない慈愛の集合体としての幸福感、到達感を味わわれるのである。

だからこそ私は皆様に、我々が助かることだけでなく成就を通し、愛に回帰する導きにより、功徳をくださり成就を授けて下さる尊天様に私達以上の満足感、完全な到達感を味わっていただくという究極の「円」を尊天と供に欲する教義を実践しているのだ。

土地は、仏が説く曼荼羅の一部である。

即ち世界を構成する仏の胎内の一部であるのだ。

仏は、森羅万象の変化に応ずるように大日如来が色々な仏に変じ、それに応じた役割を果たす。

そこから考えると、また上記の飛沫論から考えても、まさに先日被災された土地は、尊天の一部、もっと深く掘り下げれば我々の一部であり宇宙の一部なのだ。

それはまるで、合わせ鏡をしたときに、鏡の中に永遠に連鎖して見える鏡の中のもう一つの連続する鏡のように永遠に関係して行く姿そのもののようなものなのである。

一つの断片は、鏡の中に繰り広げられる我々の世界の真理の法則を断ってしまうものだ。

であるから、震災の土地に準えて、哀しさと無念の思いに、また自然的にも神々の住む森さえ生き物が踏み入れることを躊躇してしまうような状態だと、これまた悲惨なものになってしまうのだから、そういったものというものを全て浄化し、切り捨てることなく円な

神仏の世界、神仏の創り給うた曼荼羅、尊天の世界そのものを保たなければいけない。

そういった考えのもとに、土地の浄化というものはあったのである。

この考えに類似て、今回のこの私の理念、教義に外れた、要するにこの理念、教義は尊天様の理念、教義である。これに即した者だけ、九割が成就してきた。

千宰からの話を聞き、メールを読ませてもらったりすると、つい尊天と供に大いなる罰を当てたくなる心持ちの悪い信徒がいる。

そういう信徒に限って現状の問題を「お作法もしているのに」と言ってはばからない。

私は尊天と供にそんな信徒に言いたい。

作法も、心が無ければ悪魔の所業になる。

千宰は私の祈祷など大変な日程を余すところなく補佐してくれている。

私が直接信徒の皆と口を交わすことがないところでは、全幅の信頼を置いて千宰に尊天に成り代わった指導をさせているのだ。

それを随分な悪態で困らせている人間を、そのメールの文面でわかった。

私が二十四時間いつでも電話に出ていたら、それは祈祷をしてないと同じだ。

私はこの現世において、皆様もこのブログや実体験を通して尊天の力を唯一いただき天変地異まで操作した事実を皆が知っている筈だ。

この教会は、エセ占い師や、大学を卒業しただけのただの金持ち坊主、スケベ坊主とは違う、真の奇跡を尊天の不思議な力をふんだんに操作できる人間なのである。

心当たりのある信徒はよく考えてみなさい。

それから、今回の大祈祷で、また物凄い数の信徒が成就されたという報告をいただいている。

その数、三十余名。

御礼はいつもしなさいと私は言うが、今回の尊天様へのお礼は、お気持ちだけはお作法で云いなさい。

実質的な御礼は夏の大祭と期を同じくして欲しい。

何故なら、今回の大祈祷の趣旨は、また違うところにあったから、もう少し喜ばしい時にされた方が尊天も私も成就した信徒も皆、心が何やら曇りから遠ざけられることだと思うからである。

本当に今回は、宝石の如く輝いた尊天様が印象的であった。

よく神仏にも流行すたり、寿命があり、それ故、昔人で賑わったお寺でも一世を風靡した仏でも、この時代になりそれぞれがそういう理由で、力を失った状況というものを、信徒の皆がそれぞれ感じていることもあるはずである。

その中において、数ある尊天様の仏像においても、我が教会の尊天様の本物のまるで往来の名僧が魂を込めて、奉じた尊天の集合体のような奇跡を見せる。

まことに不思議であり、私だけではなくこのような世界に携わった人間なら、また霊的な能力を人間なら迷うことなきこの偉大な我が教会の御本尊様のお力に、賛美の言葉すらあれ不満の一つのないはずであるし、そのような賞賛は特に高名な行者、能力者に絶大な信頼を得ている。

今この世に確かに生きている大聖歓喜天は、大聖天使教会の御本尊だけである。

と、いう専らの評価に、この私も今回の大祈祷を通しても、その通りだと確信している。

                               合掌

 

追伸

今回も話が長くなり過ぎ、申し訳なく思うとともに、いつもの如く、先日予告していたもう一つの秘法の説明は次回に回すということでおゆるしいただきたい。

皆、成就に向けて頑張るように。

私は日夜、皆の為に力を尽くします。

関連記事

2007-07-05 大祭での尊天の怒り

  大祭の忙しさに日記をやすんでしまった。 皆様のご祈祷とともに尊天がお喜びくだされば思っておったが   そんな中、尊天を怒らせてしまう事件がおきた。   間○という方によってである。  & […]

詳細を見る

声⑦

八海先生、千宰先生。いつも御守りくださいましてありがとうございます。私も遅ればせながら東日本大震災で被災された方々に声を届けたいと思います。私はもともと宮城県の出身で、12年前から東京で暮らしていますが、両親は宮城に住ん […]

詳細を見る

聖天様の御言葉

大祭前の慌ただしさの中、聖天様のご予言があったので、乱文になるが 取り急ぎ、信徒の皆様にお伝えさせて頂く。 七月以降、特に七月八月、水害は西日本も然ることながら、東日本も大きな害が及ぶとの事。 八月以降、特に八月、東日本 […]

詳細を見る

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です