遅ればせながらではあるが、信徒の皆様に、新年の喜びと、信徒それぞれに対する

今年一年の私の私見、抱負を本尊の御前に寄りて以心にて更に深く伝念し、またもって私自身の皆様への導きという使命に対する信念をより一層深めながら、年始のご挨拶にさせて頂きたいと存じます。

 また、言葉、並びに大変な最近の日程の実に、篤信な信徒の方がご依頼されておる、額などが

ある、特にこの八海光道は、その辺の形あって魂なしというものは尊天のご誓願に照らしあわせても

良しとしない信念を持っている者であるから、冬の大祭に申し込まれた篤信な方々においては

今になっておることお詫びもうしあげたい。

 古い信徒はもうお知りとは思うが半年かけ、魂入れの儀式を入念に行う事もしばしばなのでご理解いただきたい。

であるからして、ご依頼した信徒は心配せず河口に一言どうしておるかと声をかけてもなんら失礼にはあたらぬのだから、

やれ、<私は後回しなのでは、私は忘れられているのでは>と、同じ信徒であるのに

いらぬ気苦労をもってしまうよりは、積極的に河口に聞いて入魂の道のりを

供に歩もうではないかとお声をお掛けしたい。

 

 さて、年始の表題に入らせてもらうが

  今年はご覧の通り、「鍵」である。

これは、即ち成就への「鍵」と通じさせていただいた。

先年は、私は、とても反省しなければいけないのであるが少々祈祷を重視し、

言葉で皆を導くという作業をおろそかにし過ぎた。

しかし、そこには祈祷なくして本当の成就はないという、信徒に対する誰よりも深い

愛情によるものであったのだが、これも度を越してはいかしかたない。

 祈祷の合間に届く千宰の報告、信徒とのやり取りのメールをみて愕然とする

情けない信仰の後退ともとれる、信徒の言動、考えを見、

これではいけぬと、まずは自分自身に内省を課した次第である。

 尊天のお経の中に

  双身髄類度衆生 感応道交難議 

 という言葉がある。

この言葉の意味は尊天様は信徒のそれぞれの、しかもどんな悩みにも合わせて

叶えるというお誓い、約束、またそのお力をもっている。

しかしこれには一つの揺るがない方法がある。

尊天と、そして主宰である私と心を通じる。

塵一つない信仰、信じるという心がそれぞれの魂を宿している肉体を通じて

発せられる心の経を通しながらも、その狭間を無実し、心一つになろうとする、またなる事なのである。

尊天に申し上げお頼みする相談はどんなに利己的でも、尊天は構わない。

むしろ、願いの昇華により悟りに導こうとするお考えの尊天にしてみれば

それはその方がいいのだ。

しかし、願望と、叶える為の手法として心構えは絶対に同じにしてはいけなのである。

そこには塵一つない信仰によらなければ絶対にいけないとう

尊天の法が存在するのである。

またよく考えて欲しい。

昇華の道のり(成就させることによって悟りを開かせる)は

我儘者を創り出す道ではなく、あくまでもその道を通じ悟りに導くというものなのである。

願いとは、我が尊天信仰においてはドア、扉、入口であり、

道筋とは信仰なのであり、そして我が教会の行き着くところはいつも成就という

最上の部屋なのある。

その奇跡に部屋にかけられている

神の持つ神秘の「鍵」こそ

塵一つない信仰なのである。

 我々の教会がなぜ他の仏閣と違い

沢山の成就者が絶えず生まれ、奇跡に見舞われておるのか、

先日にも見える通り、最秘法に入った人間がまたも十歳年下の男性に求婚されるなど、前後の

状況を踏まえても困難な状況を打ち壊すような奇跡が舞い降りるのか。

それは私の神通力も尊天を通じあるだろう。

また、うちのご本尊様のこの世の歓喜天の中で最頂点のお力がある証拠でもあるだろう。

しかしその何よりの秘密は、私の神通力、我が教会の尊天の天地力の

本になっておるのは

 信徒一人一人の塵一つのない信仰心なのである。

これが束になり私の、尊天の力をうんでいるのである。

 故に我が教会には不信心な人間と私が判断すれば

尊天に非礼と判断すれば、その人間がどんなに教会に貢献した人間でも

私は有無も言わせず退会してもらう方針をとっている。

もしこの人間が戻りたいなら、性根を入れ換えし、反省したと私が判断したうえで

入信しなおしてもらっている。

 (成就した途端に知らん顔や、忘れがちな信仰など怒りに震えるしだいである)

 

一人でも塵を教会に持ち込むとそれは信徒皆々の成就への道のりの停滞を意味する。

 

他の歓喜天の仏閣を見て考えてみればわかる。

他の仏閣は、どんなに歴史があり、ステイタスがあっても、

「聖天さん」である。

「成就できなかったら、お不動さんもあるぞ」

などまるで都合のいい、お友達である。

偉大な大聖歓喜天使観世音菩薩様は、れっきとしたこの世の

3界、六道を統べる唯一神であり、

空海がもってきたお経にもすべてが歓喜天の世界の物にすぎないと

この世の王であり、最高の秘仏神である大聖歓喜天使様を紹介している。

即ち空海とは尊天の行者であったのだ。

話はそれたが

そこで私達の教会を振り返って欲しい。

 我が教会では

「尊天様」「ご本尊様」「唯一の御神様」

大聖歓喜天使様をこう清くも畏み奉る光の輪の如くな教えの庭を築いておるのは

世界広しといえど

この 大聖歓喜天使教会 この教会一つだけが存在するのみである。

反省すべき人間、本当に成就を望む人間はよく自分の信仰の形と

照らし合わして見て欲しい。

               皆に、有難くも神々しい、尊天の功徳の光が燦々と降り注がんことを 合掌

 

追伸

 正月の花がまだ枯れずに生き生きと耀き、生き続けている。

奇跡を産み落とし、奇跡を育てる我が教会の尊天の足元には、こんな奇跡が

当たり前のように降り注いでいる。

もう二月である。部屋は常に常温にしているにもかかわらずである。

「鍵」をもつものはこの奇跡をしのぐ扉を開けるのである。

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