2018年春の大祭教主兆象掲載文

 

※2018年春の大祭教主兆象大宰の掲載文を

信徒様教化の為言葉の項に再掲載致しました。聖天教本部

 

 

聖天教、要するに私の秘法に於ける世界観(曼荼羅)は

特殊であり、且つそれこそが世界の宗教の求めてきた問いに答えを

与えるであろう真理そのものであると私は自負している。

だからこその奇跡の結果を

不可能を可能にするその工程を

私は信徒の皆さんの眼前で確かに繰り広げてきた。

故に、

その結果は

我の、聖天教の真理の世界の正当性を充分に裏付けするものとして十分。

だからこそ、他には成す事の出来ない見事な神との感応導交を私は可能にし

数々の奇跡を信徒の皆々の眼前で

白日の下に於いて証明することを可能にして来たのである。

 

真の真理がある故になのである。

 

我々は現実という夢、夢という現実の中で輝く意識なのである。

例えていうと

信徒の皆は睡眠し夢から目覚めた時、その夢の中で様々に展開された

登場人物とのやり取りに於いて、

腹を立ててみたり、喜んでみたり、悩んでみたり

それはそれは夢の中では沢山の想いを創出した事を感じながら

「夢か、、、」と漠然とやり過ごすはずであるが

気が付いて欲しい、なんとその夢で展開された事は

全て貴方の体内で繰り広げられたドラマなのである。

貴方を喜ばせたり、悲しませたり、怒らせたりした、

全ての登場人物、背景等その全てがそうなのである。

では目を覚まし覚醒し

広大な宇宙の中に意識し生きる我々は

本当に現実の世界に生きているのであろうか

現実なのは確かである。

しかし、我々の眼前に広がる広大な宇宙そのものが

夢の中の自分のように

自分だとすればどうであろう。

もしそうで無いとしても

我々の個々の意識はなんと驚く事に

同じ空間世界を共有し生きているという一点から考えていても

我々の意識は個々の視野を通し

共通の何かを共存し合っているという現実は避けられない。

 

宇宙という広大な箱の中で確かに産まれている

我々「意識」

 

聖天教では

現実という夢が展開される世界

要するに自己の世界(曼荼羅)

我を取り巻く宇宙そのままを捉えた世界として定義付けているのである。

 

その始まりは空である

我が内心の空と

夢と同じ構図であるからして

我を取り巻く我が内心を反映する巨大な空

 

我が目を開けた時、それは始まる

 

空に意志が生まれ弥勒菩薩の風が生まれ、

その風は観自在菩薩という心の火を産む、

全ての展開は呼吸する如く

肌が虚空とすり合う如く

我が内心の巨大な空と

摩擦しあい

集合する事から発生して行くのである

その集合は

意識であるが故に

まさに

愛なのである。

そしてそれはやがて

大きな音をたて

様々な如来の登場と供に、九つの意識と

様々な感覚を生み出していくのである。

そしてそれが法界体性智としての

その全てが一個の

胎蔵界と金剛界の

大日如来として確信された時

 

聖天教の世界観では

この時点で

現実という夢である世界観は

愛という集合の結晶であるはずの

大日如来は崩壊を始める。

 

ただ一人の世界故にである。

 

我が内心の曼荼羅の仏を

頭上に展開する宇宙と

我の肉体の内面を顕す

地球の表面に座す大日如来の世界は

 

もの凄い速さで

星は広がり

取り囲む自然の風景は荒廃を始める、

宇宙は伸び切り纏まりを失い。

大日如来である我の心に

憎しみや怒り、悲しみ等

愛の充足たる暖かい感情と

感覚はその逆を辿り安定を失いかけるのだ

 

内心の大日如来から感じる我は

宇宙を助けたいと思う。

広がり崩壊を始めた

宇宙から見る、もう一つの我は

中心に座す大日である我を助けたいと願う。

 

その時である。

 

僅かに

胎蔵界遍智院の上の釈迦院の中心から

既に獲得し

まさに崩壊せんとする五智四身に

救済の悟りの智慧が下された事を感じるのである。

 

助けたい。導きたい。

その菩薩の悟りは輝く。

 

この世界は現実という夢である。

皆も私も己の夢である限りは

意識が通じ給うれば

それはまさに自在の世界である。

夢の中で空を飛んだりしたことも人間ならばあるであろう

それである。

 

ぞの自在故の奇跡が釈迦院の救済の世界で

まさに展開されるのである

 

我の内面である天空が

一人の大日如来を助ける為に

女天の大日として

その崩壊を救うべく

天空そのものをその肉体に内包し

出現するのである。

 

その時

先程の全ての意識と感覚を司る蓮華の菩薩と如来は

一つ一つの意識に溶け込み

意識、三昧ゆえに支配する修羅、人間、

地獄、天、餓鬼、畜生道を越え、

まさに人智を越えた素晴らしい感覚を獲得したが故の

三千世界を創出し、その上に君臨する三昧と世界を獲得すると、

やがて見事な

五相成身の境地を創出するのである。

 

女天と男天の愛なるが故に

 

世界はまさにここで救済され

永遠の世界が約束されるのであるが

 

しかしである、

二つの如来が愛し抱き合う

理想の世界の頭上に

まだ浮かばれぬ

先程の負の意識ゆえに漂う

星々と次元があるのを私は感じる。

 

その世界は眼前では遠くにあるが

実は

二人の内面に確かにある

先程の迷いの心

悲しさの心の残像、

その負の心の世界を探れば

それが存在する世界では

私と信徒の住むこの人間界のように

実はもう成就し

二人なのにも関わらず

一人なのである

しかもそれは

何万という意識に分裂し

憎みあらそい、時には愛し、また憎むを繰り返している

 

そこに私ははっきりと見るのである

信徒それぞれの悩める意識を

 

そして信徒とどまらず

その途方もない数の

個体に別れたゆえの

意識の分裂と乱れを見て

 

私は如来の心に戻ると

二人の如来は

二人の救済の意識を更に高める

いや

その姿は完璧な

世界を創るには

至らなければいけない

成長の一部であるのだという

達観のもと

 

ここに於いて

双身大聖歓喜天に変身を遂げるのである。

 

理智妙冥合を姿とす

既存の聖天の曼荼羅世界を

もう一つの理智冥合なる世界を

夢である自在の世界故に

創出させ

その強力な自在、奇跡、の救済の力を

その世界の中心故に

如何無く、自由自在に発揮される

神こそ

 

この曼荼羅の世界の

そして我が聖天教の主

聖天様であって

 

この全ての煩悩の救済を可能にするという

強い意味合いから

 

私は愛染大聖歓喜天と特別にそう呼ぶのである。

 

この主を我ら信徒の心に戴く

自在の曼荼羅の世界が

聖天教の世界曼荼羅なのである。

そして

この曼荼羅を永遠にし

愛自在という

絶対的テ-ゼを産んだ

御方こそ

誰であろう

 

曼荼羅の絶対的救済の具現者であられる

女天様なのである。

 

この世界は

男天と女天が

その意識を愛し合う男女そのままに

美しく悟り合い

導き合う事によって創りだされる

愛の導きの世界であり

それにより

全ての負は癒されていくのである。

(一部の至らない行者の云うSEXなどという厭らしいものは無い

神であるが故に、至高の愛が展開される

それは全て崇高であり、倫理的である、道義的であり

寛容なのであり、意識を交換するだけで

高潔であり、清純な愛が醸し出す

大いなる善による満足を常に生み出しているのである

時にその愛は父であり母であり親友であり

そしてやはり神であるのだ)

 

故にこの宇宙は

我々がパンと手を叩けば

その音は全て聖天様の愛の導きに向かって

響いていくのある。

 

なんの意味も無いと思う

コップからこぼれた

水の行方さえもそう導かれる意味を持つ世界

 

それが聖天様が導く世界なのである。

 

この全てを創り、

夢である現実に

全ての意味と愛と自在を

垂れたもうた尊い御方である女天様を

祝わずして

なんの聖天の信徒であろうか?

 

そしてこの慈悲の神を讃え

もう一度深く

ここに上梓した

曼荼羅の世界に心をやり

 

あ-この世界は自分の世界であるのだなと

達観し

更なるそれぞれの成就への成長につなげていくべきだと

私は強く思う。

 

だってそうではないか

例えば自分の夢の中で

この夢は私の世界なのだと思いながら

登場人物を

深く愛し

その世界に浸った時

そこで感じるものは

如何ともしがたい

最上のものではないだろうか?

その夢の世界たるや

愛ゆえの自在を確信しているならば

どう最良に素晴らしく展開するのであろうか?

 

そのような世界を

この大祭に於いて

私は信徒の皆々に

女天様を供養する事によって

現実に実感し展開させて欲しいのである。

 

そのような奇跡を実感する事が出来る事

それはなんと素晴らしいことであろう。

私はそう思う。

 

それが出来る至高の愛の神が女天様なのである。

 

故に冬の大祭はこの聖天教にとって

まさに最上深秘の二大行事の一つでありえるのである。

 

だからこそである、

信徒の皆様にはこの期間、御本尊様に対し

壇上を飾り浴油の妙供を備え、懇念を抜きんでて秘法を厳修し奉らん

この聖天教教主兆象大宰の観行の床に

どうか心中無二の信心を以って

まさに心ひとつと成るを成し遂げ

供に供養手向け給うらん事を

この冬の大祭に臨み

また有難くも限りない尊き女天を鑑み

ここに教主として

切に願い申し上げる次第であります。

 

(以上の掲載分は私が2017年に寄稿した文章だが

聖天教世界観、私の聖天秘法のなんたるかの断片を

よく表しており、冬の大祭に際し、非常によい教化論として

採用したいと考え再掲載させて頂いた。

大祭後この文章は、改めて「聖天教言葉の項」

に掲載し、いつでも皆が見れるよう

ホームページ上に留めようと思っている。

余談だが、諸事情により遅れているが

私は、聖天教のきちんとした礼拝作法を上梓したいと

考えている。

信徒の中では、私の言葉を、常に読み

聖天教信徒として教化練磨に勤しんでいる

篤信な方も多いが

礼拝作法が信徒それぞれの手元に届いた時

それに従って行う毎日のお勤めに

上記の私の教化論は、必ずや

きっと皆と御本尊様との深い感応の実現の

手助けとなりましょう。

教化を根幹とする成就程

尊いものはありません。

その成就とは、

まるで暗闇が覆い惑わす人生の道にあって

燦燦と輝く聖天の智慧の灯篭を手に入れたのに

等しく、

それは決して崩れる事の無い神々しいまでの

成就なのだ)

 

 

合掌 聖天教教主兆象大宰

 

 

 

追伸

※私は祈祷を実践の場に常に身を置く者であるがゆえに

いつも観行の床に於いて成される実体験が全てになる。

だからして表現が現実の行法に於いての瑜伽観的なもの

になってしまう事をお赦し願いたい。

解りづらい事と思うが

心を開き、心で読んで貰えれば

もしかして理解が早いかもしれないので

得心せぬ時はそう試してみて欲しい。

※旧暦仕様の関係上

例年より時期が大幅にずれてしまった事を

お詫び申し上げなければなるまい。

2019年春の大祭からは

旧暦と新暦の周期と大祭の時期の都合を

良く調整して

大祭に臨んで行こうと考えております。

※冬の大祭は聖天教の二大大祭の一つである。

御本尊様の為

皆で例年にも増して良い大祭にして欲しい。

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