無限なる母なる愛の海

 

春の大祭も終わり

信徒の皆様に於かれては

私が前回教化した最後に予見したように

それぞれの状況が飛躍的に上昇した方と

下降した方に別れたのではないだろうか、

 

私が説いた聖天法の神髄の一片は

善いにせよ悪いにせよ

それ程の変革を皆の信仰の在り方

日々のお勤めの在り方に及ぼしたはずだ。

 

そうであろうと思う

 

大祭を終えた今

私の教化の影響により

両極端に別れた信徒それぞれの状況は

まるで

大きく乖離した躁鬱のように

心境では二部され

状況は

天と地の如く

状況はかけ離れていると思えば

 

地に落ちた者の事を思うと

とてもではないが

いたたまれるものではない。

 

なんとしても

救わなければいけない。

 

だが、私や聖天から見ると

天にも昇った状況に在る者も

安心とはいえず、それは非常に危なっかしく

ある意味気の毒にもある状況なのだ

 

何故なら、この天にも昇る状況になった方達は

己が前回知った神髄を

なんとなく理解しただけに過ぎず

その理解の足りなさは

それまで絶好調の運動選手そのもので

もし何かのきっかけでスランプに陥ったとしたら

これは決して抜け出すことの出来ぬ

アリ地獄に落ちたと同じになってしまうからだ

その原因を知らずしては

決してその地獄から抜け出す事は出来ない。

 

そもそも

この全ての原因は

オーガズムという

聖天法の神髄である

喜びの極致という私の教えに対し

それぞれがどう自己の中で

昇華できたか、昇華し信仰の糧にしたかによって

結果なのだが

 

きっと

よい状況に向った方は

愛するという行為から感じ発すオーガズムを

私の教え通りに

だだ愛す対象だけに

固執させるだけでは無く

すべての自分の置かれている人間から

派生し、全ての生命に対する愛

とそれから受け取り発する

オーガズムを思ったのではないだろうか?

 

そして状況を著しく降下させた方は

あまりにも

私の教えや聖天の教えの在り方を

異性とのオーガズムに

集約固執しすぎたのだと思うのだ。

 

この状況を私は

今日の教えで変えてあげなければいけない。

良い状況にある方も悪い状況にある方もである。

 

要するに

天にある者に

常に天にあれる在り方を教え

 

地にある者に

天に昇らせる方法を

 

今日、私は教えようと思うのだ

 

では

「何故先生はは前回、一度に教化してくれなかったのか

今日の言葉での教化が前回の教化の捕捉なら

少し意地悪なのではないか?

 

そう思われる方がほとんどだと思うのだが」

 

実は私は

前回のオーガズムという神髄の一片を

信徒それぞれの信仰に取り入れた状態での

大祭というものを

皆に是が非でも体験して欲しかったのだ。

 

何故なら

私が歩んで来た聖天との修行の日々も

体験しなければ

その本質が解からなかったものであり

行法、信仰というものは

道に向っての絶え間無い修行でなければ

いけないからだ

 

それはまるで

傷付けあった男女が

修復し合い、さらに以前より距離を縮めたい場合

の二人に似ている。

 

何をどうしたら、もう傷付け合わないのか

それをお互いが深く考え

何度も実際に試しながら

お互いが一番幸せでいられる

形を作っていくしか無く

 

そうやって初めてより距離が深まる

愛を獲得するのと同じなのだ。

そしてそこには

行きつく処の無い

捉えようのない

深淵な愛の未来の扉が開くのだ。

 

だから私は敢えて

今日の教化を大事にしたのだ。

 

説こうと思う。

 

存在とは何であろう?

さらに突き詰めよう、

存在の要素とはなんであろう?

 

例えば一輪の花があるとしよう。

皆はその花から

きっと沢山の要素を心に受け取ることだろう

青、赤、黄色、様々な美しさ

そして

花粉を巻きながら、自然の中に己が種を存在させようとする

習性

蜜により蜂など他を生かそうという共存など

しかし私が、また読んでいる皆が

今想像しあげつらった花は

全て花から発せられる

存在を分析したに過ぎないのだ。

それはどれも花の外面にしか過ぎない

 

存在には

二種の在り様があってこそ

実はこの世は成り立つのだ

それが真理なのだ。

 

簡単にいうと

外面の反対にある内面である

この二つは

私でもあなた様でも

花でも木でも岩でも

犬も猫も

これが成り立ち一つの存在が立脚しているのだ。

それはまるで

凸と凹のようにかみ合い存在するのだ、

そしてその凸と凹を

自己だけではなく

私の説いている聖天教の世界観に是非これを

照らし思いめぐらしてほしいのだ。

 

全てがまるで己の夢の中で存在しているとすると

どうであろうか?

聖天教の世界観は

己が存在するからこそ

世界が存在している。

全ては実は一つの世界の

中で共通の夢のような世界にあり

壁があると思う無数の意識は

実は繋がっているのだという世界観だ。

 

それをめぐらし一輪の花の存在を思って欲しい。

 

花は発していつ凸という美しさと素晴らしい特性を

しかし実は私達の心にその美しさと同等の

凹という受け止める内面があってこそ

花は存在し、美しさを放っているのであり

花には

我々の放つ凸という人間の存在と特性を

それと同等の凹という受け止める内面があるかこそ

存在しているのだ。

 

私はこの凸を金剛界

そして凹を胎蔵界だと定義している。

 

聖天教ではそう定義しているのだ。

 

曼荼羅の理解には

沢山の受け取り方が存在し

それにより、沢山の教えの迷路が

この世に存在して来た。

 

しかし私の定義する凸と凹の曼荼羅の

定義をもって

密教の世界を覗いてみて欲しい。

 

全ての神仏の発する凸は全ての神仏世界を凹として

受容し

全ての存在はそれぞれが

また凸と光を放ち

凹として受容し

隙間なく

世界の現実的存在理論を構築しているのだ。

 

私達は聖天様と凸と凹で

否応なしに実は繋がっているのだ。

 

私達人間は

しかしそれが見えないだけなのだ。

無知がその尊い聖天の愛を隠してしまっているのだ。

 

信徒の皆様が

前回の私の教化で学んだオーガズムとは

この凸の核心だったのだ。

 

ここからは簡単だ

なぜなら

私達は生きていて

凸と凹でしっかりと連鎖されている

尊い宇宙という一つの命だからだ

 

すぐに解かる

解からないはずはないのだ

生命とはこれを理解する為に

輪廻するのだから

 

今日の教化の核心を説こう

 

凹とは受容とは

胎蔵界とは

 

人を深く愛す時に感じるオーガズムの

裏に存在する

無限に美しく存在を

受け入れようとする

深い愛と慈しみの海そのものなのである。

 

どうであろう。

 

長く、理論がましい説明は必要ないと思う

教えの子として産まれた存在である皆には

もう理解できたはずなのだから。

 

私は

聖天秘法を行じる

一番のはじめ

心の中でこの凹を深く観じるのだ

 

そこには何もなく

まだ宇宙の存在しない何もない

虚空の世界に

ただ広がる

我が子を愛する母の

無限の

愛の海だけが広がる世界を

 

充分に充分に観想するのだ

 

そして私は突然に

思い立つ事を想起するのだ

 

ただ広がるその深く無限の愛の海の中で

 

ただ一点の

 

ほんの少しの

一滴の凸という意識を

突然に思い起こすのだ

 

その時世界は

凸と凹

金剛界と胎蔵界は産まれる

 

この私が

そしてあなた様がこの世に

意識をもった生命として

産まれ出でるのだ。

 

これが凹なのだ

 

この凹の心、愛を知った今の

あなた様の信仰の在り方は今まさに

一歩前進したはずだ。

 

そうである

今までのオーガズムに欠けていたもの

いや

いままでの信徒それぞれの愛するという事

全てに欠けていたもの

 

それは、愛する存在が放つ存在から発する

光と同等の

深い深い

受容する母の愛のような愛の海だったのである。

 

この愛は無限である

己の心の中でこの海を深めれば深める程

逆に

愛する者の光は

あなたの心に深く降り注ぐのある

まるで凸と凹が合致するよう。

その強度と深さに限界などないのだ。

 

これを知った時の

オーガズムとはなんだろう。

 

ただの男女の契り、体の営みだろうか

 

まさに新たな生命を産まれ落とさんと

する事のできる

神々しく神聖なレベルにまで

人の愛は上昇するのだ

 

そしてそれは神の愛にまで成長を遂げるのだ。

 

この凸と凹の愛の神髄をもって人々を救済する

時の己の気持ちのオーガズムを最後に想像してみて

欲しい。

 

世界は救われて行くのが見えるはずだ。

 

そして聖天という存在を

己の凸と凹に

充分といっていいほど捉えられたはずだろう。

 

最後になる。

それが出来た者からでよい、

お願いしたい。

 

求めるのだ、

己の成就を。

 

祈るのだ

三千世界すべての生命の救済を

 

そして悟るのだ。

無限の大愛を。

 

合掌 聖天教教主兆象大宰

 

追伸

 

台湾の地震を私はまた的中させた。

台湾の地震を的中させたのは私はこれで二度目だった。

 

たしかあの時はネパールの大地震を的中させた時だった

ような記憶があるが定かではない。

 

この度の的中は私の神通のみで的中させた事なのだが

しかし、今日私の教化したことを鑑みて欲しい。

 

全ては凸と凹である。

 

すべては繋がり存在している。

 

私のこの度の的中は実はやはり

聖天様なのだ、なぜならすべてはかみ合い繋がっているのだから

 

そしてまたもって実は

信徒様方、そうである的中させているのは

あなた様でもあるのだ。

 

私はまるでパズルのような曼荼羅の凸と凹の中で

聖天教教主として聖天秘法を修し

その教えを広める役目の場所に存在する

一枚のピースにしかすぎないのだ。

 

これからも我々は強く強く常に伴にあり続け

そしてこの世に稀有なる予言と神通を

余す処なく示して行こうではありませんか。

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