令和参年愛染双身大聖歓喜天大祭(夏の大祭)開催の告知

 

聖天教本部より

ご本尊愛染大聖天様の為に行われます

『聖天教―愛染聖天信仰』最大の行事

愛染双身大聖歓喜天大祭(夏の大祭)

開催をご案内致します。

 

 

❖愛染双身大聖歓喜天大祭(夏の大祭)❖      

 

【期間】

開白 旧暦五月一日深更より

(新暦六月十日)

入願 旧暦五月八日深更より

(新暦六月十七日)

入月 旧暦五月十五日深更より

(新暦六月二十四日)

円満 旧暦五月二十二日深更より

(新暦七月一日)

小結願 旧暦五月二十九日深更より

(新暦七月八日)

大結願 旧暦五月三十日深更より

 (新暦七月九日)

 

【申し込み期間】

新暦五月三十日~新暦七月一日円満迄とする

 

【品目】

・上品…五十五万円

・中品…三十三万円

・下品…十一万円

※今年の夏の大祭は教主様の修法のより

特に恋愛成就の願いに対する功徳著しい

特別な修法大祭となりますので、

特に恋愛でお悩みの方は、どうぞ奮ってご参加下さい。

詳しくは下記【教主からの抱負】をご参照下さい。

 

【徳典】

秘法希望者並びに仏像開眼希望者は大祭期間に限り

下品でご依頼された場合であっても

上品での入法をお受けしております。

                ※但し厳選有り。

 

 

【趣旨】

聖天教夏の大祭、愛染双身大聖歓喜天大祭は

云わばご本尊愛染聖天様のお誕生日で御座います。

愛染大聖歓喜自在大天観世音菩薩様が

教主兆象大宰様の元へ晴れて御降臨された日を祝う

この秘法行事に於いて、特に成就者並びに功徳を頂ける方が

が多いのはそれもそのはずで

この行事を人間の生誕に例えるなら

大事な人に対し祝い事をすれば、祝われた人間は

歓びを感じ、必ず祝った人間との末永い縁を願い、また強めようと

思う、そしてそればからりか必ず、

祝って貰ったその日の喜びを、更なる喜びをもって

返そうとするもの。

簡単に言えプレゼントの交換ですね。

慣習で云えば

暑中お見舞い、お歳暮、お年賀、

洋の東西を通せば

クリスマスやバレンタインデー、ホワイトデー

と、このように祝い合い、喜び合いながら

人と人との縁を深め合っていくやり取りは

見事に慣習として世界中のどこを探しても

其処此処に見受けられてなりません。

 

そして神仏と人間の関係に於いてもこれは

同じ事であり、尚更の事で、

このような神と人間との感謝御礼に対する神仏の功徳

のやり取りは全ての宗教に於いて古来世界中

様々な宗教行事として為されて来ました。

聖天教も年四回

まるで春夏秋冬の人間一年の生のサイクルを司る

四季を節目とし、それぞれの生の喜び今在る事を

ご本尊並びに諸尊に感謝お祝い申し上げ供養奉る事で

神仏の大歓喜を促し、功徳を対価として頂く

年四つの大祭を催して来ました。

その四つの大祭の中で

三千大世界全ての曼荼羅の主にして

八百万大小聖天の帝であらせられます。

私共聖天教のご本尊愛染大聖歓喜天様の御降臨御生誕を祝います

『愛染双身大聖歓喜天大祭』通称夏の大祭は

愛染聖天信仰に於いて、一年で最も大切であり、

聖天教最大の行事であります。

この日、この秘密供養修法大行事をもって

私達の一年のお祝いの心を受け取って下さいます

大祭の主神であられます偉大なる男天様は

正に愛染大聖天様そのものであられます

三千大世界、大自在変幻無辺の大神力の所有者で

あられる事から

この大祭に於いて、その尊い御自身を

深い篤信をもって恭殉手厚く供養お祝い奉る者には

必ずやその大神力により

余りある愛と大いなる功徳をその対価として

下賜差し出される事でしょう。

 

何故なら

双身大聖歓喜天と申しましても

やはりどこまでも

男天様こそ愛染大聖歓喜自在大天観世音菩薩様

そのもの中核であり

この三千大世界の創世始まりにおられた

お方なのですから。

全ての奇跡と功徳は男様が所有なさっていると

言っていいのです。

 

そしてその余りある愛と大いなる功徳を

無辺に下賜する事を可能とする男天様の大神力とは

世間一般の八百万大小聖天の神力では

正に纏めてかかってもそれは遠く及ばない程の

大神力である事は

信徒の皆様はもう既にお解りのはずです。

それは全てこの夏の大祭の主神であられる男天様が

三千大世界全ての神々の主神にして

八百万大小聖天の帝であるが為のその絶大な大神力

に裏付けされたものであるからです。

 

その絶大な大神力の裏付けを私達の身近に探すとすれば

それはやはり私共聖天教の教主兆象大宰様の

愛染聖天様との感応導交によって

私達の眼前に白日の元に証明されてならない

霊験の数々でしょう。

 

教主様が2月11日春の大祭御案内での

感応の予言以降

『そろそろ日本が揺れ始める』と予言された

その霊言通り

僅か2日後に福島県沖地震が発生したばかりでは

ありません。

僅か3日後にエボラウイルスが発生。

僅か8日後にタンザニアで謎の病気とコンゴでペストが発生。

そして

僅か9日目で、その霊言の内容通りに

ロシアで人類史上初めて鳥インフルエンザの人感染が発生して

しまったのです。

そして教主様の予言通り

それまでとてとても静かだった日本が

その福島県沖地震を切っ掛けに日本中突然揺れ出し

現在も日本はそこら中で地震が起こり続けていますし。

また

3月20日の春の大祭感応の予言では告知以降

その明くる日から

東日本・北日本で激しい雨土砂災害、河川増水。

東海から関東、東北を中心に春の嵐 大雨による土砂災害が発生。

2日後オーストラリアで50年に1度の豪雨ダム決壊。

その『今年はこれから九州が揺れる

また、四月以降

今年は大変早い時期から

警報並みの大雨、そして台風が頻発』

という予言通り、九州では謎の群発地震が発生し日本中を

不安にさせると

風速85メートルという観測史上最悪の台風が

発生し、

静岡では大規模な竜巻が発生。

まさかの今年の四月、五月の大雨水害発生は

一般の天候予想を覆す状況となっています。

まだあります。

中国では感応の予言に加え、年頭の予言通り

まるで龍が空から降ってくるような、水害と竜巻が

発生しており、

あの軍事大国イスラエルでは

予言通り、ミサイルが着弾、それによる軍事行動は

苛烈を極め、現在も世界の話題をさらっています。

 

そして本日。

先日熊本で余りの大雨で人命まで失われてしまった事件に続き

予言通り例年よりも特に早い梅雨入りが発表されるや

現在日本の空では

過去何度も日本の人々を苦しめあの線状降水帯が渦巻きはじめ

九州をはじめ

未曽有の大雨を降らし

河川を決壊させているのです。

全てが愛染聖天様が教主兆象大宰様を通し

私共に告げられた霊言の通りになっているのです。

 

この霊験の的中率は凄まじいもので

今はお亡くなりになった世界1と云われる欧州の盲目の大霊能者も

その予言は平気で5年から30年もズレ、内容の精度に於いても

非常に曖昧です。

でも愛染聖天様による聖天教教主兆象大宰様を通して告げられる予言は

どうでしょう。

その霊言は、その発生の時期から内容の精度まで

その的中率は優に90%を軽く凌駕し、中国、韓国、東南アジアと

世界中の人々を驚かせている程、凄まじいものです。

特に大祭中に発せられます感応の予言に於いては

早ければ数時間、遅くても1、2ヶ月の間に

全てが的中発生してしまいます。

しかも教主様の感応の予言に付いては

ほぼ、はずれた事が無いのです。

しかも告知を始められてから何年もです。

 

そして大いなる霊験はこのような予言霊言だけでは

ありません。

祈祷で台風を止めたり消滅させたりした事が何度も

ありました。

信徒の皆様、思い出して下さい。

あの西日本の空を暴れまわり

沢山の人命を奪った

2018年の西日本豪雨の事を。

教主様は男天様の大神力を使い

水天を呼び出し、絶食不眠不休をもって

秘法『水天の法』で

信徒はおろか世の人々周知のもと

見事にあの巨大な線状降水帯を消し去った事を。

あれは正に神の奇跡でした。

そして最近では、去年教主様の秘法以降、それまで日本中を悩ませて

いた暴風水害がピタリと止んでしまったり、

先日では史上最悪の台風2号を祈祷に於いて

日本本土上陸を防いだりもなされています。(これは非公式です)

また今年も何人もの信徒様の癌を治癒させたり

また消滅させたりと、殊に恋愛成就に関しては普通では

考えられない数々の奇跡を信徒様に授けています。

 

以上のような日本ばかりか世界に於いても類を見ない程の

霊験を教主兆象大宰様を通し、この世に実際に

顕現させ続けている御方こそ

三千大世界全ての曼荼羅の主尊にして八百万大小聖天の帝で

ありますご本尊愛染聖天様なのであって

つまり男天様なのです。

このような私達に嘘偽り無く可視化実現をもって

常にその大神力を証明し続けて下さいます

世に稀有なる生きた大神様男天様は

その大神力をもって

この至らぬ私達を一年360日(新暦365日)

僅かコンマ一秒さえも見離さず

私達を見守り、そして導いて下さっております。

その有難くも尊き男天様の一年の

『神働きの御苦労』を

私達の篤信なる供養祝いの心をもって

御礼奉る神と縁者との

非常に神聖な真心のやり取りこそ

この愛染双身大聖歓喜天大祭(夏の大祭)

なのであって、

この日、男天様は

供養祝い奉った者には、

必ずや呼応大歓喜され、その返礼として

その大神力に裏付けされた

大いなる愛と余りある功徳を

見事に下賜される事でしょう。

 

そしてそのような男天様の大いなる大神力に

裏付けされた愛染聖天様の大いなる功徳の下賜

と云えば

このような信徒様がいらっしゃいました。

その信徒様は、生まれつき足に障害のある方でした。

大祭は必ず参加される篤信な信徒様で

その方には長年好きで堪らない男性がおりました。

その男性というのも東京の大変な資産家の一人息子で

出会いはその信徒様のアルバイト先で

彼がお客さんとして来たのが切っ掛けでした。

親密になった二人は、結婚を考えるようになった

そうなのですが

しかし、この日本には未だ差別が存在しています。

その信徒様は足の障害もそうですが

ご自分の生まれた地域の

環境をとても気になさっていて

事実、その環境の事で

嫌な思いを幼い頃より沢山経験なさって

来たそうです。

 

その信徒様が彼の意向で

結婚をしたいと彼の両親に紹介された時の事です。

冷たい悲しいとはこの事です。

彼の両親は、その信徒様との結婚を猛反対し

あろうことかその信徒様に口に出すのも憚られる

差別的発現をして罵倒までしたのでした。

もちろんのように酷く傷付いたその信徒様に

今度は更に追い打ちを掛けるように

信じていたその彼が数日後

いきなり態度を急変させ、

別れを持ち出してきたというのです。

しかも、別れ際、両親と同じとても耐えられないような

言葉をもってその信徒様をまるで石ころのように

捨て去ったのでした。

 

その彼は誰が聞いてもとても悪い男だったのです。

 

そしてその悪行は

それだけでは終わりませんでした。

こともあろうにその男は

その信徒様を冷たい言葉で捨て去った、

その卑しい舌の根も乾かないうちに

なんということでしょう

他の女性と婚約してしまったのです。

しかもその後がもっと悪辣を極めました。

なんと他の女性と婚約したにも関わらず

未だその男を愛し

未練に泣き暮らすその信徒様に対し

男性特有の性でございましょう、

その男は、自分の性欲が増すと、

平然とその信徒様を呼び出し

ただの性欲のはけ口にするという

余りにもかわいそうな

関係をその信徒様のその純真は心を利用し

強要するようになったのです。

そのような性のはけ口を強要する関係は

月に数度、多い時は週に2,3度の時もあった

ようです。

そんな屈辱的な関係でも

その男を愛しているその信徒様は

彼と会える事に幸せを見出していたそうです。

心の美しい信徒様なのでした。

ですが、ある時

横に婚約者がいると

あからさまに分かるような電話が

その男からかかって来ると

その男は自分から性欲を満たす為の関係を強要して

いたし、連絡もその信徒様からは一切とってはいけないと

命令までしていた関係だったのに関わらず

「もう会うのはやめたい、もうしつこく電話をして

こないでくれ」そう言って一方的に電話を切った

そうなのです。

それ以来その信徒様とその男は

全く音信不通になってしまいました。

しかもその最後の電話が切られる直前

その信徒様は確かに

歓びで拍手する女性の声が聞こえたそうなのです。

その男の悪辣さが

これでもかと理解出来る電話でした。

しかしその信徒様は

それまで、どんなに性欲のはけ口にされても

その男を好きなだけに、その男と会うのが実は

楽しみでした。何故なら心から愛していたからです。

でも、その電話以来

いくら強要であっても

その信徒様にとってはささやかで大事な

その男との時間が消滅してしまったのでした。

 

その信徒様は完全に捨てられたのでした。

 

そしてその信徒様は、その衝撃的な電話から

4か月後、聖天教に入信なさったのです。

これだけの悲惨な状況です。

その信徒様は自殺をお考えになっていたとの事でした。

ですが状況を聞いた教主様が

「調伏しなさい。私が祈祷で復讐してあげるから」

と、そういっても

その信徒様は「彼は本当は良い人なんです」

そう言って彼の改心と奇跡の恋愛成就による

結婚ばかりを純真に望まれるばかりでした。

でも、その男が良い人であるはずがありませんでした。

何故かと言うと

その信徒様はその男に性欲のはけ口にされている

期間、ただ体を弄ばれていただけでは無いのです。

赤ちゃんまで堕胎させられていたのです。

教主様は常日頃から

「天部、特に歓喜天の縁類の天部は行者に性的な禁欲を求める。

歓喜天は尚更で、これを出来ぬものは、己ばかりか

その檀家、祈願者まで恐ろしい祟りを成す」

というのが口癖で

世にある行者という方々も皆

現代社会に生きる方々で、教主様のような

姿勢で神仏に全てを捧げる行者はまずおりません。

特に荒行を勤めたといって

勢い、威圧、共に盛んな行者様程

実は性に盛んで、その為に障礙から避けられない

方ばかりであり、

特に恐ろしい罰がくだされる聖天信仰に於いて

近年「全ての歓喜天は死んでしまった」と

囁かれるようになったのは、実は聖天様が死んでしまったの

では無く、現代に生きる行者が本当の意味で

行者である姿勢と魂を失い死んでしまったのかも

しれません。

先日大阪西成にある非常に有名な聖天寺院が詐欺にあい

20億円で売りに出さたという話にも見られるように

その事件も聞けば聞く程

つまりは、当事者も加害者も欲にまみれていた事に

気付かされるもので

どんな聖天様の大寺院であっても最近は

頼れば頼る程、状況が悪くなり厄災まで頂いてしまう

という被害報告が絶え無くなったのも

それを例に考えれば十分に理解出来る事でしょう。

 

よく私は、入信をお断りする方、もしくは

入信希望では無く『どの聖天様、または天部の

仏を頼ればいいでしょうか?』という

問い合わせが来ましたら

いつもこう答えるようにしています。

『奇跡を現実に起こす事の出来る天部の神仏に

お頼りになりたいなら、まずその行者様が

妻帯しているかを聞いてみなさい。

もしその行者様が妻帯していたら、絶対に

功徳はありません。

聖天様の行者は尚更で

絶対に妻帯者には功徳はありません。

無いばかりか祈願者にとんでもない

厄災が下りますよ。

それを目安に選んで見て下さい。

行者がどのような苦行をしているかは

それが出来ていてから後の参考にしてみて下さい』

この私のアドバイスは選定が厳しいようで

実は至極当然の事なのです。

だってそうでしょう。

つい百年も前は

行者は女人に触れてはなりませんでした。

行者だけではありません。

結婚はしてはいけなかったんですから。

天部は行者の不浄を嫌うのです。

特に歓喜天はその利益即悉絶大なるが

故に尚更なのです。

 

では何故聖天教ばかりが、そして愛染聖天様の功徳ばかりが

澄んだ名刀のように冴えわたり

台風や線状降水帯を消滅させたり

癌を消滅させ、困難な恋愛を成就させる大奇跡を

生むのか?

何故、全ての霊言がその通り的中発生してしまうのか?

それはやはり

教主様の現代の世に在りながらも、

類まれなる大聖天愛染聖天様、

その大神を供養奉る

自己への厳しい姿勢から生まれているのでは

ないでしょうか、

正に神宿られる心身とは、極めて清浄ならねばならなく

私達からしてみても道理としてそれは解かる事ですね。

その清浄を常に厳しく自己に求められる教主様をして

初めて本当の沢山の大奇跡が生れているのです。

 

その教主様からすれば

その信徒様に対する

その男のおこなって来た態度とその心と生き方は

普通の人間より、増して憤って感じられたようで

教主様は何度もその信徒様に

「調伏しなさい」と勧めたのでした。

ですがその信徒様は

それでもその男との恋愛成就を一心に望んだのでした。

 

そして

秘法にも入られたその信徒様の状況が

成就に向けて動き出したのは

入信から4年後の事でした。

4年と云えば長いように思えますが

この方の困難な状況を考えれば

短いより長い方が良いのでした。

何故なら、かえって早い方が

『神仏との感応の基礎』が出来ていない

ばかりに、成就後に

その功徳が削げ落ちてしまう

可能性が高いからなのです。

そしてその信徒様は

恋愛成就後決して削げ落ちない

『神仏との感応の基礎』作りの実践を

誰よりなさった信徒様でした。

その信徒様の実践とは

キルト作りでした。

もちろんその信徒様は

お作法はしっかりなさる信徒様で

祈願の時間も

他の信徒様に対し

自分の心願を横に於き

毎日しっかりと参加祈願なさる方でしたが

その信徒様はそれだけではなかったのです。

教主様より開眼入魂して頂いた御仏像に

年四度の大祭の度に

手製のキルト作品を奉納し

会いたくても会えない

憎みたくても憎めない

そして愛を囁き合いたくとも叶わない

他の女の為に自分を捨てた

その男の為に

「私は彼に会えません。だから私の代わりに

このキルトと届けて下さい」

と祈ったのです。

そしてその信徒様は

「私は聖天教に入信して自信と勇気を

頂きました。その心は秘法に入れさせて頂いて

からもっと強く高まっていると思います」

そう自分を鼓舞し

自信が最も高まるそれぞれの大祭、

その開白の日を選んで、

「彼は、教主様のお御籤霊視の占断結果通り

絶対にまだ他の女性と結婚していない、

まして子供なんていないはず。私は

教主様を信じるわ」

そういう信念で

年四回だけ大祭開白の日に

彼のLINEに自分の思いを

簡単に送ったのでした。

そしてその信徒様が入信して

4年目の夏の大祭の事です。

遂にその信徒様と愛染聖天様の

素晴らしき『神仏との感応の基礎』が

完成したのでしょう。

夏の大祭と云えば男天様です。

その男天様の奇跡がまるで

今までのその信徒様の深い篤信のダムに

溜められた大神の功徳が

まるで堰を切ったように

その信徒様の哀れだった身の上に

大歓喜を秘めた

光の大波となって現れたのです。

大祭の中日。

その信徒様のもとに

あの男から

復縁だけではありません。

結婚を申し込むLINEが届いたのです。

あの悪辣非道の男からです。

 

摩訶不思議でした。

なんと男は真人間になっていました。

 

それというのも

男に酷い天罰が下っていたのです。

 

その信徒様がまるでぼろ雑巾の

ようにその男に捨てられから二年後。

つまりその信徒様が入信してから

二年後の夏。

その男は両親を乗せたまま車で大事故を

起こし、

あの信徒様に罵詈雑言を放った両親は

死に、男はアクセルを踏んでいた

右足を根本から切断する大事故に巻き込まれ

いたのです。

 

男が婚約者に捨てれたのは

その事故から本当に直ぐの事でした。

 

そして驚く事に

やはり男は

教主様の霊視通り、結婚も子供も

いなかったのです。

 

足を失った男は、それからというもの

大変な苦労をしたそうです。

自分がぼろ雑巾のように捨てた

その信徒様のように

自分も婚約者から酷い扱いを受け

捨てられただけではありません。

これまで健常者として

また資産家のドラ息子として

肩に風を切って過ごして来た

男の人生は

まったく変わってしまい

その事で苦労涙する度に

男は、自分の事を純真に愛し続けて

くれた、今では同じ足に障害のある

その信徒様の事が

まるで自分の事のように心配で

そして愛おしく感じられるように

なったというのです。

 

二人は結婚した事は言うまでも

ありません。

足を失ったといっても

彼は莫大な資産を亡くなったご両親から

相続していました。

また頑張り屋で純真なその信徒様の

支えは

ただの遺産相続として

また

足を失った事で失意に嘆いて

ばかりの人生を

良しとしては駄目よと

ご両親の事業を二人でしっかりと

受け継ぎ、このコロナ禍でも

見事な業績を上げる

幸せを今は掴み取っています。

 

私はその信徒様からの幸せの報告を頂く度に

教主様に

『調伏を掛けましたね、しかも愛染毘那耶迦明王の

あれは絶対に秘法ですね?』

そう何度も問いただすのですが

その度に教主様は

苦行により失った歯をニコリと

こちらに向けるばかりで

その真相は未だ解らず仕舞いです。

 

しかしただ一つ解る事は

その信徒様が頂いた摩訶不思議な

成就を頂いたその日は

愛染双身大聖歓喜天大祭(聖天教夏の大祭)

その大歓喜により

男天様の大功徳が大いに

私共信徒に下賜されます

有難い行事の最中だった事だったという

云う事で御座いましょう。

 

信徒の皆様

この令和参年に行われます

聖天教最大の行事

愛染双身大聖歓喜天大祭(夏の大祭)を

共に参加修められる事で

愛染聖天様の実相正体そのもの

であられます男天様御降臨生誕のお祝いと

その一年の『神働きの御苦労』御礼供養を

なんとしても

血願者として共に果たして行こうではありませんか。

 

私は祈ります。

この大祭の大功徳が

皆様の功徳のダムに降り注ぎます事を。

その堰が切られる時はもう直ぐです。

 

 

聖天教 兆象千宰

 

 

 

 

【教主からの抱負】

またも私が愛染聖天より頂いた

感応の予言がその通りになった。

信徒の皆も記憶に新しいと思うが

五月の連休、それは記録的大雨による

水害という形で現れ日本中を席巻した。

川は氾濫し、死者まで出たという。

今年は成る程

愛染聖天様のお言葉の通り

四月を過ぎ、大変な水害が続いており

梅雨入り等も例年より非常に早いと

報道各社、今年の天候の変異を

一斉に報じていたもので

それだけではない。

イスラエルでは

私の予見通り

核爆弾こそ落ちはしなかったが

まずその内容通りの

騒乱が起き

世界中を騒がした。

国外の地震を始めとする

天災も然りである。

 

その中でも

一番皆が驚きたるは

私が九州が揺れると申してから

真実そのように

観測史上稀に見る群発地震が

発生した事であろう。

これには

神霊のお言葉を直に承った

この私も

何かもう

言葉にならない驚きを

感じずにはおられなかった。

 

私の事を知る者は

私を指して

「日本一の神通力者」と評するが

以上のような

私の実績をみれば

そう思うて

然もあらん事と存ずる。

しかしながら

やはり

我がこの神通の御技の

根源たるや

その実相とは

それはやはり

御本尊愛染聖天

に他ならず

 

我一個、

何処までも

人間の性を定めとす

凡夫の至らなさを

一人顧みれば

やはりそこには

我が愛染聖天の

凄まじき大神力に

ただただ圧倒される

ばかり。

その妙智力たるや

世の全ての歓喜天を

纏めても

軽く凌駕して余り無い、

八百万大小聖天の帝と称せしは

之誠也と

確信せざる負えない

大神の実像がそこにはある。

 

その大神を祝う最も大切な行事

夏の大祭が今年も早

あと二週間ばかりに近付いて来た。

 

本来ならば

もっと早く

信徒の皆に案内を

告知するべきであって

また、上記の天災の予見的中に

際し、その事、大いに告知し

教主である

私自ら先頭にたって

大雨水害回避の祈祷を

修しせしめねばならなかったのだが

全てが遅れ

後回しになってしまった。

それというのも

実は

千宰、そして本部の者の

手を借りて

恋愛成就の秘法をしていた

のがその遅れし原因であった。

 

願主は

長きに渡り信徒の籍にあり

我が聖天教を支えし人間で

詳細を云えば

成就結実に響くので

まだ云えぬが

私も大変な体力を使った

非常に大きな

恋愛成就の

大秘法修法であったが

見事に乗り切り

その験、大いに現れ

既に八分の成就にまで至る

大奇跡を生んだ。

 

何よりこの度の奇跡成功の

要といえば

万宰までが手伝ってくれた

事であろう。

万宰には計り知れない霊感が

ある。

 

千宰にはこの大法を

するにあたり

夏の大祭が近いので

修するのは辞めるように

言われたのだが

 

では何故私が

この夏の大祭という

聖天教で一番忙しく大事な

行事を控え

恐ろしく体力を浪費する

大法に臨んだかというと

 

それは

この度修した秘法は

私が以前、西日本豪雨の時

皆の前で

線状降水帯。

即ち

当時の霊眼をもって

云えば、西日本の空を

暴れ狂う

不吉なる悪龍を

水天の法によって降伏した

時のように

不眠等、極めて体力的に

困難な苦行を伴うも

その後の天災消除の祈願に

極めて有効に作用影響する

特徴がその恋愛成就の大法には

あったからだ。

つまり

建物で云えば土台。

赤子であれば母乳。

病であれば投薬とするようなもので

 

その証拠に

水天の法を修した時の

その後は

その後に何度も来襲した

台風を私は見事に祈祷により

消滅せしめている。

 

つまり

私が何故この時期に

沢山の人間の手を借りねばならない

この恋愛成就の大秘法を

無理を押して修したかと申せば

それは

この恋愛成就の大法を修せば

そのすぐ後に

行われるであろう

聖天教最大の行事にして

最も大切な行事

「夏の大祭」

に於いて

この愛縁の大秘法が

基礎となり

母乳となり

投薬となり

やがて開催される

夏の大祭の修法に

見事に良く作用影響

良い結果を促すのであって

水天の法は天災に作用したが

この度修した大法は

恋愛成就の法であるから

これに影響される

今年の夏の大祭は

特に恋愛の願いに対し

強い成就力を示す事は必定。

つまり今年の夏の大祭は

恋愛で悩み苦しむ信徒に

対し、

特に恋愛成就の秀でた大功徳を

促す事が出来る大祭に

なるぞよとの

教主としての深い親心あっての

事だったのだ。

 

そして何より

愛染聖天様は

その名の如く

日本で唯一の

「恋愛成就の歓喜天」

愛の願いに最も秀でた

愛の大聖天である。

故に

その大神の思想

「大愛の思想」から申しても

我が御本尊の実相、本質、本性

正にその正体とは

愛。恋愛成就であるといって良い

のだから、

 

私はその御本尊様の愛の魂に

この度沢山の人間の力を借り

見事に修め切った

その愛縁成就の大秘法を

修する事によって

夏の大祭を前祝いとして

その神魂に

大いなる喜びと

愛を注ぎ込んであげたかった

のだ。

 

夏の大祭とは

その主神であり

自在功徳、神力の源である

男天を供養する行事である。

つまり

愛の源の供養である事から

 

この度無理にと

私が強行したこの

愛縁成就の大秘法は

必ずや

その愛の源に

大いなる

愛歓喜なる甘露注がれ

その事で

今年の夏の大祭は

特に恋愛の願意を持つ者に

強い功徳を授ける大祭に

なるであろう。

 

また

これは

夏の大祭ばかりでなく

愛の源の一方である

女天を供養する冬の大祭に於いて

も非常によく影響する

であろうと私は確信している。

 

聖天教は沢山の悩みを持った

人間が集まる信仰だが

今年の夏の大祭は

特に恋愛で悩む者や望みの

ある者はすすんで参加する

と良いであろう。

 

また大祭と云えば

功徳ばかりを求めては

之は絶対にいけない。

 

斜陽ある聖天信仰に在って

何故われら

愛染聖天信仰が

斯くも功徳隆盛にして

生きた大聖天と仰がれ

他の聖天信仰のように

仏像から神魂が

消えてしまったり

荒玉にならず

御本尊様が

絶えず

霊験著しく

影現し続けて下さるのか。

 

それはやはり

この聖天教には

他の聖天信仰には無い

ただ功徳を卑しく求めるだけでは

無い。

神の本意である

その教えに対する

魂の成長

その実践が

我等「聖天教=愛染聖天信仰」

にはあるからだ。

 

だからして

今年の夏の大祭に先駆け

大祭成功の為に

皆に教主である私から

此処に於いて

是非とも

魂の成長を促す教化を

一座説きたる事。

之は誠に道理であろう。

 

数年前

宗教家では無いが

ある高名な方の紹介で

私は

インドから来た

修行者数名を紹介された。

その方達は

口を揃えて

こう言っていたのが印象的で

あった。

「神は心の中にいる」

 

聖天様とは

その修行者が奉じる

ヒンズーの前身

バラモン教から端を発した

宗教学的に非常に

古い神様なのだが

その教えの道を歩む者達から

通訳を間にして聞いた

その言葉は非常に感慨深い

といった感想に留まらず

私にとって

その言葉は

誠に理に叶った言葉だった。

 

何故なら

愛染聖天様の教え、

そして我が行法瞑想の

世界観からすれば

それは全く比して違わぬ

宗教的思想理論であったからだ。

 

具体的に申せば

私共の世界観は

私達の眼前に広がる現実世界全て

私達の心が創り出した

想像の世界。

曳いて考えるならば

この世には

数え切れぬ程の生命が

存在しているのだから

その数多の意識が

創り出した想像の世界と

言ってよく、つまり

この世は

全ての生命(衆生)の

共通観念が創り出した

世界と定義する。

 

そして

私達一切生命は御経にも

あるよう

愛染聖天様から生まれ出でた。

つまり

我等の教えからすれば

眼前にある世界は

心の想像の産物であり

どこまでも眼前に確認出来る

体や現実世界は

全て心が創り上げた

産物であるとする事から

私達一切生命全ては

愛染聖天様の心より

生まれたという教えを

これにふまえれば

われらの肉体の

実体はどこまでも心であり

言うなれば

その愛染聖天様から生まれた

数多の心が常に共通した

観念をもって

己の肉体をはじめ

三千大世界を想像、創造

しているのだから

我々の心は

実は一個一個

分断しているように

思えても

その実は全てが繋がっているの

であって

それは勿論

全ての生命は

愛染聖天様と繋がっている

のは云うまでも無い事であって

愛染聖天様は

三千大世界そのものと

御経で説かれている事を

この教えに更に加味すれば

私達全ての生命は

愛染聖天様の

一個一個の

心の断片に過ぎないといって

良いのだ。

 

然もありなん。

私達それぞれの心を

振り返って見なさい。

 

そこには

美しい心もあれば

恐ろしい心

未熟な心もあれば

正義に溢れる心もありと

それはもう様々な心が

存在しているのが

解かるはずで、

その全ての心

どれもが心なのだ。

 

そう悟れば

私達人間の心とは

愛染聖天様の心の

中ではどんな心の

位置を占めるのか、

それは云わずもがな

恐らく未熟なる部分なのであろう。

 

何故なら

そのように未熟とせば

私達が己の未熟なる心に邂逅した

時、全くもって己を拒絶はせず

己のその未熟を全くもって

見捨てず、

まして育てようと思うし

時には可愛いと思ったり

総じて見捨ててなるものかと

思うもので

その心と、常に私達信徒を

決して見捨てずに拾い育てて下さろう

とする

御本尊愛染聖天様の私達に対する

慈愛の御心は

私達が心に己の未熟を見て思う心と

実に似てはいまいか。

 

畢竟、私達の心

その深層を探れば

そこには必ず

御本尊様がいらっしゃるのだ。

 

そしてこのような愛染聖天様の

教えは

そのインドの修行者達の

奉ずるヒンズーの教えを

やがて凌駕する。

 

何故なら

私達の共通した観念による

想像、創造した故の

我等の眼前に広がる

現実世界。

ならば

心の神を探す行為は

実は

眼前の現実世界に

神を探す事と

実は等しい事に

真理は気付き

そこに結実していくはずで

あるからである。

 

つまり

私の入魂する

仏像然り、

何より

我らの元に上記に説いた

予言霊験の数々に於いて

実証して已まぬ

我等が御本尊愛染聖天様の

その御神体。

 

その確かに眼前に存在する

御神体を帰依奉じる事と

己の心の中に

御本尊様を探求する事。

これは全くの等価なのであって

 

つまりは現実世界に

確かに存在する

御神体は

私達の共通観念。

いや

私達の心の中に確かに存在する

愛染聖天様という存在が

眼前に広がる世界に

仏像として確かに具現化して

現れたと考えられるに

至るのである。

 

故にそのインドの修行者達のように

常に心だけを見る

一元的なものでは無く

更にその探求を凌駕した、

つまり

眼前に広がる世界にも

その心の在り方の証明を探す

という

心の探求と共に

外的に探求を成す事を

等価とし是とす

そのような

我等の教えの

正にこの優性なる思想の在り方は

 

これにより

己の心、願いという

心の探求行為と

眼前に据え置く御神体に

その心の表れとしての

油を潅ぐという

眼前に広がる

現実世界への

外的探求行為。

つまり

心と行為。

この二元を

一体と成す事で

心の改変と

それによる

現実世界の改変を

同時に成す。

つまり

それにより

奇跡の出現を

現実に成す秘法行為を

成し遂げる、

この世で

最も優れたるヨガの秘法

浴油祈祷がこの我等の優れた思想に

於いて初めて実現出来るのである。

 

またこの二元的思想は

つまりは

篤信な信徒ならもう気付いたと

おもうが

これこそが

私が兼ねてから説く

「凸と凹の思想」の根幹をも為す

世界観だといってよいだろう。

 

余談だが

インストラクターのヨガは

体や心を癒す行為であり

では何故浴油祈祷が最高の

ヨガかというと

心の願望を現実世界に現出

させるからであって

その目指したる処がまったく

比べ物にならぬからだ。

 

話を戻そう。

では今日は皆に

まず上記で説いた

我等の教えの探求には

二元。

つまり

心の探求。

もう一つは眼前の探求と

説いたが

それがあるからこそ

仏像や浴油の思想。

それによる奇跡。

そして『凸と凹の思想』

がある。

つまり

密教のみならず

我等聖天教の世界観が

だからこそ

生じたのだと

断言出来るのだが

 

この二元的探求。

つまり

心と身の在り方を

教化するとすれば

 

まず心の探求に於いては

それはやはり

聖天様の御誓願にあるだろう

 

そして

その御本尊様の御誓願。

その心と同じくせしむ事の実践。

私はこの大祭に於いての

この実践を

皆の心の探求の課題として

教化したい。

 

まず

歓喜天という神仏のその御誓願は

『例えどのような悪人であっても帰依する者を導かん』

というものだが

これは

正にその深き慈愛の御心、

広い救済の心を表して余り無いものだ。

 

(しかし最近はこの御誓願を

布教の中心に据える寺は皆無に近くなった。

その理由として

愛染聖天と違い、一般の聖天というものは

その出自からして下級なるが故に

一度縁付いた者に

仏法開眼の為の功徳を授けるも

その後は、余り授けないばかりか

自分の御心に合わぬ祈願者を悉く

打擲、果ては痛ぶり捨てる。

まして、元々仏法に合わぬ

悪人に対してのその行為は

辛辣は極め

もし功徳授けたる後に

改悛あらざれば、その罰は

苛烈を極める。

 

まして、近代新人類と揶揄される

風潮の中で育った戦後生まれしか

存在せぬ行者の世界に

儚くも哀れに存在するばかりの

現在現存する聖天達のように

荒魂に変わり果てた故の

その苛烈な導きは

悪魔に等しきものだし、

 

それは行者や悪人ばかりでは無く、

現代の頽廃した教育の中で

生きて来た人々もまた

一般の歓喜天のそのような

怒りにあいやすいのであって

その殆どが運勢を歓喜天の怒りによって

呪われ失墜させてしまう。

 

これが最近の聖天のお寺が

声高に

悪人でも救わんと自信もって

言わなくなった由縁であり

つまり

罪無き人間でも不幸を被るのだから

まして

罪多き悪人は歓喜天に近付く事さえ

危険だからなのである。

言うまでも無く

例え罪無き者であっても

仏法に合わぬ、人道違えた心願を持って

願えば

その怒りは凄まじい)

 

そしてその大いなる御誓願に

更なる広大無辺なる大愛ををして

我等至らぬ一切生命(衆生)を救わんという御心を

もって御降臨された

三千大世界全ての神々の主にして

八百万大小聖天の帝、

愛染大聖歓喜自在大天観世音菩薩様の

『三千大世界の一切衆生の救済』

『どのような悪人神仏であっても

帰依する縁者には例えどのような願いでも叶えて進ぜよう』

というこの有難くも尊きこの神聖な御誓願は

これこそ私達が例え無信仰の者でも

この世に生まれ出でた幼き頃より

思い描いて来た

神様の神聖な在り方

つまり神心(かみごころ)そのものである

と言って良い。

 

それが如何に素晴らしき愛に満ちた

ものであるかを探らば

 

人は誰でも親であれば

子供それぞれの幸せを願う者。

まして、出来の悪い子供がいたならば

出来の良い子供よりも

至らぬ我が子を先ずは導き

出来の良い子のように

してあげたいと望むもの

まして病気の子供がいたらどうであろう。

どの子よりも先ず

心配なはずであるし、導き守らんと

するものである。

 

そして悪人とは

一切生命を兄弟としたならば

やはりそれは

実は先ずは救わなければならない

至らぬ者。

神からすれば

至らぬ子であり。

先ずもって救わんとせねばならない

生命なのである。

 

つまりは私達である。

 

このような

生命全てを分け隔てなく

しかも

至らぬ者は尚の事

救済せんとす

愛染聖天様の御誓願とは

全ての生命を

正に親として

導かんと立脚する

それは

大いなる母の愛であり

しかもその深い慈愛は

三千大世界全ての世界の生命

ばかりか

神々にまで及ぶというのであるから

その広大な親心、神心を知れば

愛染聖天様だけが

何故全ての神の怒りを

解く、納め切りの秘法を有するかが

見えて来るはずだ。

 

愛染聖天様とは

御経にもあるように

輪廻転生そのものである。

然るに

時には

愛すべき悪人を

導きの為に残酷に

処断し苦しみを与えるが

それも神の愛。

母の愛の一つの在り方。

 

このような

軽く人間の最も

慈愛深き母性を

悪人、神々まで救わんとされ

それを軽く超越す

その人智を超えた

愛染聖天様の受持なさる

慈愛、大愛を

信徒の皆には

己の心内にて強く意識、そして探求し

この度の夏の大祭に臨んで欲しい。

 

先にも書いたが

時には愛と称し

悪人を簡単に殺してしまう等

まるで計りかねる大いなる愛を

お持ちであるからこそ

大神愛染聖天様であり

その広大な大愛を探求する事は

実は己の欲や肉体までも淘汰し

輪廻の世界を垣間見た時はじめて

解かるものかもしれず

それ故に

インドの修行者も

あのようにやせ細っても尚

悟れずにいるのだから

それが心の探求というもので

あろうが

是非我が修法とともに

その探求により

愛染聖天様の深き大愛。

その一片を垣間見れる事があったら

私は全てが成就出来るものと

思っている。

 

何故なら

その探求の作業は実は

あなたが夜

大空に広がる

見れるだけの

その本当に無数の星々を見て

その全ての輝きの

真理を掘り下げる作業

に等しいからだ。

その事は

私達の眼前に広がる世界とは

全て私達の共通観念の

産物であるという

世界観を踏まえれば

解り易い。

そして愛染聖天様とは

三千大世界そのもの。

つまり

眼前に広がる世界とは

己自身とそしてこの世界に

存在する全ての生命の心が

創りだした世界である共に

愛染聖天様そのものでも

あるのだから、

つまり愛染聖天様を探求する

行為とは

その眼前に広がる全ての

宇宙世界を

探り当てる作業であり

それはまさしく果てし無い行為。

しかし、見て見なさい

あの煌々と光る月を。

あの星雲の一欠けらの星を。

もしあなたが

それら大空に輝く星々に

比べたら

全く劣るその輝き。

その輝きが説く

愛のなんたるかを

あなたが知った時、

その愛が

如何に愛染聖天様にとって

この大宇宙にとって

そのほんの一欠けらに

過ぎずとも

その愛は私達にとっては

とてつもなく眩しく

そして膨大なものなのかが

解かるはず。

 

だからである。

私の修する浴油とは

そしてその時の心の模様とは

常にその一片に触れているからこそ

台風、水害、神羅万象を動かす

破壊力をもった奇跡を生むのだ。

 

今年は

私の修した愛縁の大秘法により

夏の大祭は沢山の恋愛の悩みの

成就者を生むだろうが

だからして、尚更

愛願を願うものはこの御誓願の大愛を

よく探求してみると良い。

注)だからといって

悪友と寄りを戻したり、悪人に手を貸したり

してはなりません。あくまでもこれは

眼前の行動では無く

心で辿る事ですよ。

 

そしてもう一つの

眼前に広がる世界への

探求。

つまり行動によっての

働き掛けだが

 

これが

この度の大祭で私が

皆に心掛けて実践して欲しい

先の心の探求に続いての

もう一つの

教化課題なのである。

 

それは

「愛染大聖歓喜自在大天観世音菩薩礼拝作法」

の中に記した

私が日本ではじめて訳した愛染歓喜天陀羅尼

にある。

その訳された意味に是非着目して

欲しい。

 

その中で愛染聖天様

つまり男天様は

女天様によって

邪見、要するに邪な心を

晴らし

これからは

つまりは上記で説いた

御誓願を果たしながら

生きるのだ。

と説いている。

 

余談だがこの陀羅尼を

訳せば女天の鼻は長いと

あるが

面白い事に

日本の浴油の伝承では

女天は白い所までは

本当だが

鼻は短いとなっている。

そして私が感応によって

みた女天様は

やはり男天様より鼻は短かった。

 

戻るとしよう。

つまり

私が何を云わんとしているか

というと

この陀羅尼は

愛染聖天様の

改悛が唱えられているのであって

是非私は

この陀羅尼の御本尊様のように

この大祭に於ける

眼前に広がる探求は

今までの自分より

ほんのわずかでも宜しい

どんな内容のものでもよい

「己の今までを改め

善行を実践して欲しい」

そう教化願うのだ。

 

愛染聖天様はよく私達に

反省せよと頭をゴツンとする。

 

しかし私達は

そのゴツンとする行為があってから

改悛する時

何故か

神に対し、気恥ずかしい気持ちをもったり

何故自分はゴツンされなければ

出来ないのか落ち込んだりもする。

 

しかしそのように

頭をゴツンとされ

云わば無理やり改悛の荊の道に

投げ出されたとして

 

反省しそれにより心を正せば

御本尊様は必ず

その後大いなる功徳を下さるものだ。

 

その工程を鑑みれば

やはり眼前に広がる世界への実践は

心の探求の実践と同一である事を

このような私達の信仰の体験が

それは証明しているものであって

 

皆には是非この夏の大祭は

この愛染聖天様の陀羅尼に

信仰者としての深き感銘を

もって、大祭期間中

是非その改悛の実践を

進んでして欲しいのだ。

 

以上この心と行動の探求

二つの実践を

教化、いや私からの

夏の大祭期間中の

皆への宿題とさせて貰う。

 

その実践は必ずや

大祭に行われる

秘密供に感応して已まないだろう。

 

なぜなら

心に愛染聖天と同じ心を持ち

現実に広がる世界へ

行動として

愛染聖天様と同じ改悛善行を

働く。

 

これをして

どうして

歓喜天と感応出来ないと

申そうか。

 

どうして

修する我兆象と

心繋がらずにおけようか。

 

この私の宿題は

皆々それぞれが

浴油を修しているのと

実は同じ事を体現する行為と同じ。

 

簡単に思えるようで

難しい、だが

これこそが皆にとっての

御本尊様との

真の感応導交のきっかけと

成り得るのではと私は思う。

 

そして何より

何故私がこの度の大祭に際し

この二つの探求の課題を出したかと

いうと

実はこのような実践は

聖天教に無い。

あるのは

このような二元的思想に基付く

世界観と、

あくまでも

実践では無いそれに

基付く思想である。

という事は

これらは私達聖天教の思想の

これは

土台となるべきものなのだ。

 

恐らく九月。

今度こそ

私の著書が出来上がる。

その書には

私達聖天教の信仰の実践行為が

体系化され説かれている

故に私は皆に

その思想群を良く身に着けて貰う為に

その書が皆の手に届くであろう

その前に

それを身に着ける

心の基礎を是非とも

大祭という場に於いて

皆に実践し、身に着けて

貰いたいと強く願ったのだ。

 

私は、皆も既に知っている通り

日本で唯一

歓喜天と会話をし

その力を使役出来る者。

それは既に周知の事実として

沢山の人間に知れ渡っている

事だが

 

その私が説くに

 

歓喜天の功徳を自在に得

そして昇天して行く為の

極意とは

絶対に苦行に非ず。

それは思想の実践。

つまり豊な心の在り方にあるのだ。

 

私は

その心を

是非皆に習得して貰い

そしてそれぞれが

大いなる幸せを常に手にして

行って欲しいと

真実そう願っているのだ。

 

非常にまた長くなってしまったが

この夏の大祭にあたっての抱負を

書き上げている途中で

たった今連絡が入った。

 

上記で申した、

私が千宰、そして万宰の力まで

借りた。

恋愛成就、愛縁の大秘法が

たったいま成就したそうだ。

 

なんという奇跡であろうか、

あまりに嬉しく

自分の事のようだ。

 

まさに奇跡である。

 

実際には今日の二十時頃成就した

らしいのだが

御礼に非常に長いメールを送って

来て下さったというので

そのメール作成の為に

報告が遅れたのだろう。

 

どうであろう

これが

我が愛染聖天の類まれなる

この現世極めたる

「霊験現世瑞一」

の大歓喜天の稀有なる力である。

 

今度機会があったら

その信徒様に赦しを得て

この度の成就の話を私自ら

皆に話してしんぜようと思うが

 

この奇跡成就からすれば

この恋愛の大法の影響する

今年の夏の大祭は、

遂に大法破れず

恋愛成就に至った。

この経緯を鑑みれば

恐らく恋愛の願いに特化した

非常に

光り輝くものになるだろう。

 

長くなったが

最後に

私が大法を修している間

沢山の方が予言的中のご報告を

して下さった。

だが

本部の人間迄も総出で

私に手伝ったものだから

告知掲載に至っていない

そうだ。

故に

知らせを下さった方には

今より特別に約束通り

祈祷をして進ぜるので

安心しなさい。

いつも支えてくれます事。

教主として

心から感謝申し上げる。

 

本当に有難う。

 

では皆で良い夏の大祭に

しませうと呼び掛け

夏の大祭抱負を

此処に結ばせて頂きたい。

 

 

聖天教 兆象大祭

 

追伸

成就を望むなら

先導してくれる者を

まず探さねばなりません。

何故なら

問題の解き方とは

答えを知る者こそが

知っているからだ。

人生の悩み、願いも

また然りである。

加えて

馬は生れながら歩く事を知り

魚もまた泳ぐ事を知る

しかし

その行く先に起こる事は知らない。

故に私達は

愛染聖天の導きの手綱を離しては

ならないのだ。

そこにこそ最上の答えが

存在しているのだから。