報告

 被災信徒の方々、どうしておられるだろうか?

教会では一丸となってあなた方をいつも、いつも応援している。

あなた方を応援するために、私の言葉に、テーマ「声」と名打ち、皆さんへの教会の兄弟の

声を載せる事とした。

実は、震災時でありながら、苦しい生活の中、この言葉を見ておられるようで、兄弟、千宰への

お礼のメールが沢山届いており、その中で、被災された方が成就したという報告が

何件かあり、こんな報告を見てくれたら、苦しい時、悲しい時、随分と力になるのではと

そんな、発見から言葉をこれからも掲載して行くことにした。

安心していただきたい。

一応皆さんの許可を必ずとった掲載である。

成就した方々のプらいはばしーは、必ず守る事にしているので安心して欲しい。

第一千宰がそういう事には神経質だから二重丸である。

もう一つ報告がある。

震災のお布施をした方に歓喜団を発送した。

金額に順と、秘法に入っている方優先、お守り子札に梵字をそれぞれにかいて祈祷を込めたものを

入れたり、歓喜団だけという方と、それぞれの送り方をさせていただいた。

それも随分前に言葉に書いたことがあると思うが、皆私は平等と思っているが

多くお布施をお出しになった方、秘法なども同じである。それが

いつも皆同じなら、浮かばれない。本当の意味での平等でないからである。

しかし、みな尊天にご祈祷の際に御上げした歓喜団なのだから非常によいものあるから

食してくだされば本当にうれしい。

なぜなら、尊天信仰において祈祷に使った歓喜団を食することが功徳を頂くのに大変好ましいと

古来から言われているからである。

そのほか尊天の祈祷はお下げ物はなんでもよろしく、大変喜ばしいことなのである。

しかし、一つ忘れてはいけないのが、いくら歓喜団を食べても

心が伴っていないと何もならない。

いくら凄い法力の行者に頼もうが心をその神仏と行者に通わせなければ

なんにもならない。

では心とはなにか?

尊天様も他の神仏も仏教徒であり、またそれぞれに愛を説く神である。

その方々が望む心を持ち祈る事、生活に実践していくことなのである。

念の強さだのは、それがあってからの事である。

もし間違った心で拝めば、しかも念強くいのれば、必ず、大変なことになる。

(例えば、不倫の願をしていて、

  私は間違った願をしていますが、まじめにいきます。弱いものに慈悲を

かける生き方に挑みます。穢れを払う努力をしますのでどうか、この間違った願とは

重々承知ですがおすがりさせて下さい。

  という願い方ならとても宜しい。よろこばしく、尊天にとても合っている。

しかし、駄目なのは口ではそんなことを言いながら、

あーあ、あーあ、心のどっかであっかんベー、腹が立ったり、都合が悪くなったら

先生でも、尊天でもこのヤローの拝み方は絶対だめなのである。)

まして信仰とは道である。

その道とは、尊天の道なのである。

道路に例えるなら、尊天の信仰は道路の中でもとても便利であり素晴らしい

高速道路である。

その乗り口は皆の真心、清らかな心の中にある。

この言葉を見ている方で何人の方が、尊天の高速道路の乗り口を見つけ、または

はしっておられるだろうか?

今日、私は震災の中でも、信仰の光を見出し、そして力強く成就につきすすむ

手紙を千宰から何通か見せられた。

しかし、残念な事にそれとは別で、信徒の何人かの心の

汚さ、浅ましさに、怒りを超えた情けなさを見てしまった。

それ故、他の皆には、そうなって貰いたくないと道路の話させ

てもらった。

みな競ってこの美しい高速道路を疾走して貰いたい。

                                合掌

追伸

 信徒様の中で、有名な瀬戸物を焼いている方がいる。

この方は随分私は心の在り方に問題ありと、怒ったり心配したり

したものだが、震災のメッセージを見て、あーこの方は成長された

尊天がきっと放っておかないだろうなと、心を和ませていただいた。

嬉しく、早速、声に投稿した。

成長し優しさくれた彼女に有難うとこの場で言いたい。