愛染聖天のお姿と力



 長い事、言葉の更新をせず、祈祷に籠りきりになったことをお詫びする。

震災での多くの命の失われた事に、霊的な影響が私にはあったのは事実である。

私は沢山の断ち物による行により、恐らくは細胞の、またさらに細かなところから尊天のいらっしゃる世界

と同化し想いを伝え、またその霊的世界に感応することができるのだと思う。

ときに、昔の行者は死の一歩手前まで自分を酷使し何かをえたのだろう、私も日々、獲得し体験して

いるが、私の経験からその酷使の中で感じ得る事は、無であり、全てが静止した状態だったのでは

ないのだろうか?

それ故に、洋を問わず、今の私の生活のような心的な世俗との解離を讃え、我慢、欲を抑え込む

事を宗教家、行者はよしとしてきたばかりか、あまねく人々もそうでなければいけないと、戦争の

歴史もつくりだしてほどだ、その戦争は世界のどこかで今でも続いている始末である。

しかし、私が尊天から授かりえる教えは、上記の静と無を超越した世界なのである。

上記に書いた私の感じる静と無は体が感じる状態からくるもので、その状態が見せる心なのである。

これはどこまでも人間という性質から抜け出してはいない。

生と死の狭間で一つの壁を越えてはいない悟りなのである。

では尊天から頂く悟りは、尊天の力を皆に伝道するために旅し行き着く世界はというと、

激しい動であり、どこまでも清らかで、偉大な善なのである。

世界は、また尊天の作り出す時間を超越した、奇跡を創造する世界は、そこから奏でる

慈愛と善なる動、やさしくも安心ある光をはらんだ、強烈な音曲がこの世界の目に見えない

物質を震わし、私が尊天に邂逅したその時、信徒の思いもこの音曲に歌、真言になって

全ての世界を信徒の望む世界につくり変えるのである。

その音曲は固い岩、木、車、テレビ、あらゆる物資、この世、宇宙に存在するもの

に影響、鳴動をあたえる。

なぜならすべての宇宙の物質は存在する物質で構成され、地球になり大地、海、岩、山、木、昆虫、動物、人間になるのである、そして人間はその構造から心を生み出す、そして溶けてしまえば、そこに残るのは皆共通した、物質に戻るからなのである。

信徒が愛する人の心も、そして霊体もつながっているのである。

であるから、私は拝むときに戒といってまず自分は大地に生まれいでた人間だと塗香をすりながら

感じ、深く祈祷を凝らしながら、自分の存在を溶かし、万物の心に触れ、やがては尊天との邂逅を

はたすのである。

静と無を感じ、そこで到達を果たすのは、いうなれば人から自分が抜け出した事を気づいていない

悟りなのである。

心は宇宙であり無限であり、どこまでも深く、時間もない、しかし、確かに存在し、息づいている

ものであり、生きている。

無限の動、あればこそ我々は存在しすべてが生まれる事を繰り返しているのである。

我々は善なることに心地よさを感じ、悪なることに嫌悪とストレスを感じる。

善なる霊体の息吹から作られた宇宙の一存在だという証拠なのである。

皆に注意することは、体を追い込み、その世界との邂逅は上記のように、人間の側面をもってして

無と静を創り出してしまうので皆は私にまかせておきなさい。

皆は今生にて美しい動を創り出し、一生懸命愛し、笑い、泣き、抱き合わなければいけない。

よく、先生のようにすれば私もできるかもという人もいるが、行き着くところには人間としての

愛、喜び、悲しみは無い、当初思っていた人間としての欲、望みは無いのである。

尊天の光、音曲はあなた方に人として愛に生き、躍動し、その喜びに満ちた鳴動を天上、宇宙に

伝えて欲しい、それならば元は同じ物質からうまれた尊天の世界が連動し、また光輝くのである。

私はそれを伝える為に、尊天という霊体に引き込まれただけなのである。

心の底から皆を成就させたいのである。

話はそれたが、霊的影響があったというのは、尊天の世界に毎日いたる過程で沢山の

霊的ものとのふれあいがある。

震災の人災は私の魂に沢山の悲しみの音曲を吹き込んだ。

私は今日も明日も、彼らと邂逅し救うだろう。

皆も彼らに尊天の躍動するひかりで、回向して欲しい。

 

それから、今年は忙しく毎年の期日をすぎて七月十六日より大祭を決行する。

大祭の日は成就が多くなり、大変忙しくなるだろう、そろそろ、私の身の回り、尊天の祈祷の準備などを

してくれる人間がいないと何も出来ない。

夏、冬と大祭が一番いい報告がきけるのでそれだけで嬉しいのが本音だが、

なんとかしないと体がもたないと感じている。

先日から食を三日に一度という行をある信徒の為にして実は腸の機能を低下させてしまったのだが

普通は荒行をしてもこのような事は無かった。

尊天にたいして皆きちんと信仰しているのだろうか?

駄目なとき私は必ず変調をきたす。皆にも、頑張って貰わないと困ります。というか、怒りたい。

また、仏像と、ご眷属色紙は、大祭に魂をいれると私もすんなり入れる事ができるので

うれしいので千宰に欲しい人はいうように、

 

今日はあと、尊天の御厨子とテーマの事を書こうと思ったが長くなりすぎたので

次回にする。許して欲しい。

御神籤おそくなってしまっているが許して欲しい。

もう大丈夫であるので近日まっていて欲しい。

忙しい私の為に尊天様のあげものを千宰が何回にもわけて買ってきてくれる。

今もご縁日の最後の祈祷のあげものを買ってきてくれるそうだ、

皆も感謝して欲しいものである。

                        合掌