教主様秋の大祭御法話

 

教主様による令和弐年

愛染毘奈耶迦明王大祭(秋の大祭)での

御法話を教化の為に再掲載致しました。

 

 

信徒の多くが経験する事だが

自身を抱き導く愛染聖天様とこの私の秘儀の功徳に気付かず

右往左往してしまう事が儘ある。

それは時に、修行に常に身を置く

私や千宰にでも良くありがちな事だ。

人は常に心の目で神仏。

つまり

私達が心魂を捧げる御本尊愛染聖天を

常に見ていなければ、

目の前にある事象にだけ捉われ

常に包み導いて下さる功徳の大雲に気付かぬ

ばかりか、然る故に

やがて定め来るであろう心願の成就さえも

逃しがちになるものだ。

それ程

自分の身の上にある

幸というものは

得てして察し難きものなのである。

 

厄災もこれと全く同じである。

 

常に己の心の清浄たるを心掛け

心の篤信の灯を絶やさず

そこより

佇みたるこの現世に発せられる

己が素行を

深く鑑むを怠らば

厄災は

足音も無く我が身を

包み込み

来るべき破却を創り出す

のである。

 

私達はよくよく

心の目を

愛染聖天様という大神様に

深い崇敬の念をもって

向けておかねば

己を取り巻く禍々しい不吉に

気付く事さえ出来ないのだ。

 

新旧の閏が重なったこの不吉な年。

その不吉の中核たる日月を

私が夏の大祭で打ち漏らした事は

皆もよく知る処であるが

 

だからといって

世の一切の不幸を降伏する事が出来ずとも

私は聖天教教主として

足音も無く飄々と忍びよる

信徒それぞれの身の上に降りかかる

不吉だけは、滅せねばなるまいと密に

思い詰めていたのは云うまでもない。

 

そのような思いから

私は夏の大祭後

如何にすれば我が聖天教信徒の

身の上だけは守れるか

その詳しい手管を

御本尊様に聞くべく

その実際の降臨よって指図を仰ごうと

考え、

実はを掛けていたのである。

 

密教の修行では

御仏の姿が実際に見えるまで

お堂を念誦歩く行があるが

 

あまりに根深く恐ろしい今年の不吉に

我が信徒を守る為

なんとしてでも

我が血縁の御本尊に

私は直に会って

その解決法を聞いてみたかったのだ。

 

私は夢枕でも

修行感応中でも

もう何度も愛染聖天様との

邂逅を経験している事から

内心、これには

自信があった。

 

そして私が願を掛けてより

二十八日目の二座目の浴油。

 

潅油も終わり

御法楽で

御本尊様はじめ十一面様、歓喜童子様

そして開眼中の信徒所有の御像に対し

深い安らぎと悟りを互換していた最中。

 

私が愛染浴油供秘法の感応の喜びに

耽っていた刹那な事である。

 

深い感応は

はるか彼方にいるであろう

捨て猫やカラス、行くは木々の皮べり

の虫に至まで

あやゆる生命の息吹を

我が心が傾けるままに自在に

そしてどこまでも深く聞き及ぶに

至った時、

 

ぬらぬらと胡麻油で濡らしたお体を

燈明の光の暗愚な光に映す御本尊様は

とても尊く神妙な表情に見え

私は御本尊様が私の願掛けに

今まさに答え給うとなさっていると

何故か、何故か、深く心から思えた。

 

その時である。

 

御本尊様の頭頂から

映写機の光の如き光が放射されたか

と思うと

中空に

神明造りの白木のご神殿が

無造作に現れたのだ。

私はそれを見て

伊勢神宮を連想せずには

おれなかった。

 

そのご神殿の中で

なにやらかすかな声が聞こえる。

 

私は

これは

私が求めていた愛染聖天様の

不吉を調伏するお指図の言葉に

違い無いとばかりに耳を傾けると

その声はただの獣のような叫び声だと

気付き、私は残念とばかりにそっと

ご神殿を映し出す空中に目をずらした。

 

なんとそこに立っていたのは

大きな口を開け此方を見つめる

男天様であった。

 

白木のご神殿は

愛染聖天様の口の中で

浮かび現れたいた事に

私はやっと気づいたのであった。

 

私はその大きな口に

異様な迫力を感じずにはおれず

流石に萎縮し、

そのせいで集中力が失せ

感応が解けそうになった。

 

すると

まるでそれを

男天様が食い止めて下さるように

私にその天像の鼻を蒔き付け

抱きかかえて下さったので

私は気を取り直し

先程目を離した

ご神殿に再度注目を向けてみる事が

出来た。

 

するとである。

そのご神殿の鍵が

俄かに外れ

その扉から

 

怒髪天を抜いた

真っ赤な形相で、象の冠を

被り天弓を持った

六臂三目の

毘奈耶迦神が出てこられたのだ。

 

愛染聖天様はその時

この私に

確かに言われたのだ。

「この神を供養しよ」とである。

 

私は

その愛染毘奈耶迦明王様を

秋の大祭で供養する事に

決めたのだった。

 

この秋の大祭の主神

愛染毘奈耶迦明王は

私にとっては

実はあまり珍しくも無い神様である。

 

何故なら

この神様はずっと以前より

信徒のお約束破りや断ち物破りなどを

清浄する法

納め切りの法の時に

使役していたお神様で

 

皆の恋愛の心願では

少々劇薬にもなるが

仕方あるまいという時に

重宝する

全ての障害を焼き尽くす愛炎と

得難き愛を天弓で打ち抜く愛縁を

持ったお神様なのだ。

 

この仏様は

男天様に喰らわれてしまった

愛染明王が

愛染聖天様の腹の中で

四部大将の中の

天弓をもった愛の軍神

毘奈耶迦

金剛衣天と結び付いている

 

なぜなら金剛衣天は

四部大将の中で

最も

重要な毘奈耶迦。

愛の神である。

 

 

この神様を

大祭で拝むという事は

極めて順当で

愛染聖天様の仰られた事は

極めて理に適っている。

 

何故なら

このお神様は

男天のいわば化身なので

このお神様を供養する事は

年間を通し

男天様を完璧な成らしめる事に

通じ

聖天教の年間を通しての

修法による教理の完成の一助に

欠かせないからだ。

 

その為に

夏の大祭と冬の大祭を一緒にした。

 

夏 男女天の供養。

秋 愛染毘奈耶迦明王

冬 十一面

春 歓喜童子

 

これでまさに理想的な教理完成の

順番が完成したのだ。

 

それだけでは無い

何より

愛染聖天様のこの度のお導きに

感嘆したのは

 

この愛染毘奈耶迦明王は

納め切りの法のお神様で

全てを赦し、障礙を滅却する

赦しの炎を持っているからだ

 

今年夏の大祭で修法半ばで

祈祷を中断した事で起こりうる

厄災を

大祭にてその罪を流がし

それだけでは無い

信徒それぞれに忍びよる

様々な悪因縁、罪障、

心願の障害を

悉く焼き尽くす事が

このお神様には出来るのだから。

 

そして秋である。

秋は一切衆生が愛を育み

子を設ける

不思議な季節である。

そのような生物学的サイクルは

月の動きと連動し

古来より人智を超えた愛の季節を

構築している事は確かだ。

 

その愛の季節に

愛の天弓。

西洋ではキュ―ピットの矢であるが

これを持つ愛縁の神でもある

愛染毘奈耶迦王を

秋に供養するのは誠に理に叶っているのだ。

 

私は信徒の愛縁の心願を祈願する時

このお神様と十一面を

愛し合わせるように供養する秘法を

行ずる時がある程だ。

 

以上を考えると

愛染聖天様は私の願掛けに応えるように

降臨され

私に信徒の心願成就に

いままで不備だった点は

愛染毘奈耶迦明王供養大祭だったのだと

指摘されたのだろうと迄思えてならなく

私はこの大祭で

皆の不幸と罪障、生涯を償却し

愛の矢にて射中の者の胸を見事貫く

大祭にしたいと決心している。

つまり

災いをこの私と伴に

成就に変えせしめるのだ。

 

その昔

私は愛染明王法に精通していた。

随分修行もした。

経験もした。

 

私は愛染明王法を用い

多数の人々を愛縁の成就に導いて来た。

 

しかし、愛染聖天様の中に

普通の愛染明王では足元にも及ばない

大変な力の愛染明王

即ち

毘奈耶迦の魂を持った

愛染毘奈耶迦明王が息づいている事を

感得し確信してくると

 

私には

それまでの愛染明王法が

おぞましく下等なものである

面が強い故に

その下等な法を

男天の化身である御方に

修する事がとてもではないが

出来なくなってしまったのだ。

 

それ程愛染明王法とは

どこか獣のような功徳の形があり

成就しても

すぐに功徳が剥がれ落ちるように

恋愛の願いなら破局を迎える

ケースが多かった。

その原因として

私は何度も

愛染明王法の護摩焚きの最中

その炎だけでなく

この私にも向かい

集まる来る

様々な亡者をその度に見ていたのだ。

 

男性に裏切られ手首を切った

女性。

小さい幼子を連れて

焼身自殺をした親子。

母親に殺された少年。

密教僧に犯され投身自殺した

女性。

謝金に苦しみ

一家心中した家族。

人間に猟銃で撃たれたれたり

人に恨みのある獣。

 

挙げれば切りが無い程の

亡霊が

修する度に纏わりつき。

 

時には依頼者の所に

その護摩の炎と伴に

掛かりゆくケースもあり

そういった時は

その人は成就しても

成就する以前より悪い破滅の仕方を

した。

 

今だから言える事である。

 

だから私は当時

この愛染明王法を凄い安い

値段で請け負っていたと思う。

 

請け負っていたという表現が妥当な程

当時はまだ宗教団体では無かったと

記憶している。

 

私はそのような亡霊が集まる法を

崇高なる明王

愛染毘奈耶迦明王様の存在を知った

からには

もうどんなにしても

修したくなくなったのだ。

 

夫れ程

愛染浴油供とは

素晴らしい法なのだ。

 

日々皆に掛けるこの特別な歓喜天法は

まさに

神詰まります

この世で最高の法なのである。

 

そこに奇跡がある。

悟りがある。

真実の愛が存在しているのだ。

 

だからと言って

愛染毘奈耶迦様の飛び抜けた力ばかり

にたより己の日々の信仰研鑽を

絶対に欠かしてはいけない。

 

昔こういう事があった。

 

友人同士の二人の女性が一緒に入信して来た。

 

二人とも

恋愛成就を心願にしていた。

 

彼女達はいち早く成就を望み

懸命に頑張ったのだが

確か彼女達が入信して

半年が過ぎようとしていた時の事である。

 

A子さんから千宰に電話があり

謝りたい事があるという。

 

千宰が聞く処によると

聞けば

A子さんは

半年の間一進一退の状況に不安を憶え

遂にお約束を破り

ある行者のもとを訪れ

恋愛成就の法を掛けて貰い

今はその修法期間であるというのである。

 

お約束を破ったのはいいが

愛染聖天様である。

障礙はきつい。

始めはなんともなかったが

日に日に運気に陰りが見え始め

心願の男性は

それまで友人として

仲が良かったのに

お裏切り以降

口も効かないようになり

ついに彼は

美しい違う課の女性と

結婚を前提で交際しはじめて

しまったのだ。

泣き暮らす彼女に更なる

不幸が襲った。

小さい頃より誰より面倒を見てくれた

お祖母様の入院である。

会社でのクレームも                            

多くなった。

A子さんの精神的は

とうに限界を

超えていたのである。

 

A子さんは

正直に話した。

 

「破門になるのが怖かったので

話せませんでした。どうにか私を助けて

下さい」

 

この信徒様の事を千宰はとても

可愛がり情をかけておった。

 

だから私は彼女を赦し

納め切りの法を掛ける事にした。

 

もともととても素直で

それが故に千宰が目に掛けた由縁もある

信徒だから

納め切りの技は成功した。

 

私の秘法に

愛染毘奈耶迦明王様がよくお応え下さり。

 

罪を赦すだけでなく。

 

恐らく千宰の祈りも効いたのであろう。

 

うちの聖天様は千宰と万宰の頼み事を

少々無理な事でも聞く。その代わり恨みを抱く者に

天罰を下すところがある。ご縁なのか?

話がそれた。

これは長くなるので戻すが

 

A子さんは

その納め切りの法で

愛染毘奈耶迦明王様の愛の弓を

射るまでの功徳を引き出し

ついに心願の彼と交際までこぎ付け

 

みるみる上昇した愛縁は

一年後見事なる結婚を

果たしてしまったのだ。

 

しかしこの話には落ちがあった。

 

A子さんが他の行者を訪れお約束を破り

恋愛成就の法を依頼した時

実はB子さんも一緒のその行者のもとを

訪れ依頼していたのだ。

 

私どもはA子さんの頼みで

B子さんの事をA子さんがしゃべった事を

内緒にし、

此方からも

敢えて本人には問い詰めなかった。

何故なら、次期自分からきっと

話てくれるだろうと

私達はB子さんを信じていたのだ。

 

しかし

待てど暮らせど

B子さんは私達に本当の事を話すそぶり

さえ無く

A子さんが結婚真近である事を羨み

自分も納め切りを掛けて欲しいという

しかもその理由は

「私は誰よりも信仰しているので

決して間違いは無い。だから納め切りは

必要無いのですが

A子が成就したので掛けて欲しいのです。

お布施は倍額払います」

お布施を倍額払えば正直に話さずとも

罪障は消えると思ったのていたのであろう。

でもそんな気持ちで例え一億お布施しようが

正直の値段に相当するものではない。

 

そういった気持ちである

やれあの供養を

この供養をと

頼んでも

 

遂に愛染毘奈耶迦明王様は

いくら納め切りを掛けても

B子さんを赦す事が無かった。

 

千宰が思い余って

「私から言って破門にしましょうか?」

 

と言った頃

彼女の方から姿を消したのだった。

 

現在、案の定

未だ耐えられない程の不幸に

陥り喘いでいるらしい

B子さんは

再入信を求めているが

 

未だ私は許していない。

 

千宰が許せば考えなくもないが。

 

信徒の皆は

今日私が話した

この二人の信徒の話を良く

胸に刻み

愛染毘奈耶迦明王様と

その法とは

どういったもので

どのような気持ちが

信仰する上で必要なのか

良く勉強し悟って欲しい。

 

ともあれ

今年から

行うに遅すぎる感がある

愛染毘奈耶迦明王供養大祭だが

 

この大祭に私は

大きな光明を見い出している。

 

信徒の皆に於かれては

どうかこの私と一丸となって

愛染毘奈耶迦明王に祈願し

それぞれの罪障を、障害を砕破し

愛の天弓を伴に放とうではありませんか?

 

天弓の射抜く処は

決して愛縁ばかりではありません。

それはどんな

願望をも射抜く力があります。

何故ならこの世の全てが

愛から生まれ出でたものなのですから。

 

まさに愛染毘奈耶迦明王様の放つ天弓とは

大愛の矢に他ならないのです。

 

 

 

聖天教兆象大宰