明と暗そして観音の手紙を

 大震災の影響は深刻である。

皆、一丸となって復興を祈らなければいけない。

被災地の信者様の事を思い、私は毎朝、毎夜、そして毎時涙を流し応援している。

被災している私の家族に話を聞くと、水を遠いところで処まで汲みに行き、手紙は届くが

物資は全くという事、もし送ってもらったとしても局留めのような形になりそこまで取りに行かねばならず

ガソリンもなく車もないので、そこまでの途方もない距離は事実上無理な状況だという。

私はあなた方を救う事を人生の持戒とし、尊天に命をささげている者である。

家族も心配だが、まずは教えの家族、兄弟が先である。

被災地ではお金はあってもゴミ屑だそうだ、であるからなおさら

私は尊天に今までに見たことがないあげものを飾り、尊天の被災地の祈祷をし

この世の家族は二の次に、法縁で結んだ、尊天の家族を助けるべく祈祷を

復興できるまで行う。

その祈祷に伴い、尊天は外の状況とは違い、祈祷段は華やぎ、もし皆が尊天と同じ、

六波羅密という気持ちを忘れず、この祈祷を支え望めば、心願に最良の結果をうむであろう。

なぜなら、尊天とは大自在天観世音菩薩であるからだ。

大とは尊称で、自在天でありながら、観音の境地にいたった、大覚者なのである。

自在天とは他化自在天、要するに第六天魔王であり、この世のあらゆる欲を瞬きで

現出させ、この世のあらゆる事象、善事、悪事に潜み操る。

要するに、この世は大自在天の想像の中の世界なのである。

その大自在天が悟りを求められ、ついに観音の境地に至った。

そこまでの流れは色々な説があるが、観音の境地を大自在天という悪魔であり、

この世そのものでありながらその境地をお持ちになった方なのである。

観音様は、人、それぞれが求道するにおいて、貪りと怒り、無知を焼き払った時に

出現する心の清浄にすべての心は清浄であるんだ、物事は清浄であるんだ、そう見出すんだと

という在り方をお持ちになった方なのである。

そして、このお方達はそれぞれの観音でありながら、その個性を生かし誓願を立てられ

人々をすくっているのだが、この方々は更なる大覚を求め、六波羅蜜という

決まりを守り修行されているのである。

この六波羅蜜はこの観音を拝む我々にも求められることであり、尊い修行である。

布施波羅蜜 -布施をする、施す心を持つこと。

忍辱波羅蜜 – 耐え忍こと、怒りを抑えること。

精進波羅蜜 – 努力に邁進すること。

禅定波羅蜜 – 安定した心を求め、心乱さぬこと。

智慧波羅蜜 – 根源的、俯瞰的な知恵を修行により見出すこと。

持戒波羅蜜-戒律を守る、僧または神仏に仕える者が神仏との特別な決まりを守ること。

         皆様は約束事である。

これらの事を守る事に、全てできなくてもそうしようという努力があれば、

そう修行に明け暮れていらっしゃる尊天に感応道交するのである。

常にである。ようするに観音でありながらこの世の主人である自在天の力を得られるのである。

尊天にどの天部の神、日本の神々より強いのは、誰も逆らえないのは、

このような悟りのレベルでも、次元を超越しているからなのである。

信徒の皆様はこれが出来ているであろうか?

出来のいい、成就なさった方は大体が皆これに自然と邁進されているようなご性格を

お持ちであるような気がする。

秘法に入りながらも、だからこそ信じ、心を揺らすなといっても、気が狂ったように

毎日泣き叫ぶ、忍辱行を蹴り飛ばし、禅定行とはいざ知らずの方(本当に手が付けられない)

また精進行などいざ知らず、信仰する気にならないのは尊天が悪いと遠回しにも

言ってはばからない者。

特にこれが今日の言いたいことであるが、

このたびの震災で信徒様の心の在り方の明と暗がよく私はわかった。

成就している、または多大なお守りをもらっているにもかかわらず、美辞麗句に

粉飾した物言いの手紙を今になって千宰にだしてきて、私が困っているという。

私はお金、お布施の額を言っているのではない。

日本全国が未曾有の天変地異に接していて、尊天がお経の中で直におっしゃられている

何より大事な教えの縁にすみません、生活に追われて忙しかったからですとは

何たる不届き者め、今に尊天が作った成就を尊天が木端微塵に打ち砕き

それどころか淀川に流してくれるであろう。

なぜ、皆さんは無事ですかと、

心の、温かい心のお布施をできなかったのか、

私が言葉で、私が怒ると罰があたるというと、突然にして、心を施すなど、

なんと醜い、不届きものめ、

あともっといる。

私に怒られたから罰があたるかもしれない。

自分の罰ばから考えて、おまけに尊天を誰よりわかったような顔でいる者が

沢山いる。

あまりのいかりと前日の秘法の影響で血圧があがってきた。

尊天はこのたびの震災で、総額二百万する金箔のお住まいを購入して住まわれる事を望まれたし、

私は考えていた。しかし尊天は住むことをやめて、震災そしてそれを支えている人間を成就させて

やるために祈祷にそのお金を仕えと私の夢枕にお立ちになられおっしゃられた.

尊天がそのお力に見合ったお住まいにすめるのは恐らくは、五年は

かかるだろう。こつこつ私がそのために貯めてきた

のだ。

尊天のなんという観音の心だろう。

そんな心を踏みにじり、一人は朝の五時からである。

自分の家族が震災であわれた為助けてくれといい。私は必死に頑張った

案の定無事であったが、いつもは鬼のようにFAXを送り恋愛の

心願を叩き付けその量たるや紙がなくなる勢いなのにもかかわらず、

ご家族の無事に喜ぶ風でもなく、尊天にお礼のFAXもない。

私は物凄い断ち物により、妻帯もせず、強烈な持戒をまもる。

禁欲の天部の使いである。

現代の僧でこのような者がいるであろうか?

いても離婚経験があり、妻帯もながれではやぶさかでないかたではないか?

尊天の行者であり、飲食の欲、性の欲を常にである、一生すてている行者は

いるであろうか?

これ以上は諸法無我に陥るので自分だけをみつめることにするが

私が言いたいのは、天部の力は上記の思想をのけてしまうわけではないが

理屈なく異常である。それを使うのも理屈でなく、細胞までも天部を求め

なければ人々にその力は分けられない。

私が腹が立つことは忍辱行に抵触していると思われるかも

しれないし、尊天も怒り狂うのは忍辱に抵触しているのではと思うかもしれない、

それは、まったくの浅はかである。

私と尊天は、皆に智慧波羅蜜と禅定を促す、植え付けるための方便として

の怒りをぶつけているのである。これはどこまでも尊いのであって、

尊天の怒りをそう受け止め功徳を願わないと、次に現れるのは

ビナヤカである。見た目は尊天だが、尊天の自在天だったころの

お姿と性格そのもので、悟りを得、雞羅窟にいらっしゃる尊天を

大王としてあがめている部下である。

これは悪魔で行者が職業行者に陥り、堕落すれば仏像は尊天でも大自在尊観世音菩薩

は現れない。

ビナヤカが現れ物事のすべての諸事に潜み恐怖を起こす。

その凶事には常に見せかけの福を与える。

そのあまりに我儘な者にもうすで憑りついているであろうビナヤカを一喝し

追い払うという尊天大王の一喝なのであり、

私の深い法によっておろした偉大である清浄な尊天を帰らせ、その後に

ついてきたビナヤカに食われるか、食われないかはあなた方の心がけ一つなのである。

 

私の秘法により私は原発で奇跡をみせた。

しかし先生お疲れ様ですの一言もなく。

ただひたすらに尊天の前で怒られたから罰が怖いからどうすればいいですかの連続で

あった。

このような者達はビナヤカに一生祟られればよろしい。

 

といっても大部分は素晴らしい信徒様で、皆様にその美しい心に応える

べく歓喜団の荷物をせっせと祈祷の合間に作っている。

まっていて欲しい。

それから、千宰が一応プライバシーがあるからと心配して掲載しなかったのだが

皆様の震災の信徒様への励ましのお言葉を

この言葉に掲載したい。

であるからどんどん千宰に観音の言葉を送って欲しい。

このたび、随分率先して教えの兄弟の、色々な面で救済しようと

うごいた方々、直に震災にあったかたからもそのお礼を聞いた。

素晴らしい。

今からまたあなた方をより熱く、熱く、拝む。

私は東北の人間だ。

八海光道を脱ぎ捨て、あなた方にお礼を言いたい。

それに比べ、

私は禁欲の使徒である。心に燃える天部の炎は

高僧も避けて通る。いや通れない。

それを、いや、今こそ忍辱である。

 

最後に、尊天はあくまでも六波羅蜜を修行しているのである。

その修行はいつでも中断される。

中断した時の尊天に六波羅蜜もなにもない。

私はそれに従う眷属に他ならない。

                    合掌

 

震災に会われている方、あなた方は自然とこの六波羅蜜を

こなしているのです。

上記の事はいい事だけ頭にいれて、自然と流れる尊天の

歌に身を預けて下さい。

私は応援、誰よりもしていますよ。