夏の大祭の総括と感応の予言

 

今年の夏の大祭は大変大切な大祭であった。

それは私ども聖天教団だけに留まらず

全ての衆生にとっても大事なものだったと云える。

皆もとうに計り難き感を持って察せられている事と思うが

現在、このうつし世を百数十年に一度という

八年に一度どころではない大不吉が降り注ぎ

一切衆生を苛んでいる。

その大不吉の正体たる凶星の力が増長天を突き

善なる神の力。

即ち月の導きの光のもとにあっても

敢えてその悍ましい妖相を

傲慢にも隠そうともせず世にあらわにする日月。

それは凶星が最も危険極まりなく栄える時であり

これを修法による降伏という面から捉えれば

常に身を隠し、まるで掴み処の無かった凶悪なる魔の実体を

初めて白日のもとに捉える事の出来る

絶対たる好機の日月でもあった。

それこそが

新旧二つの閏が重なった今年の夏の大祭であった。

残念な事に次に来るこの好機は

八年後である。

これを読む信徒以外の人間は

なんと大袈裟な事よと些か興に冷めたる方々も

おられると思うが

それに対し

確かに微力ではあるがと

謙遜たる礼句を供えるのが人としてのわきまえだと存じ

きっと恥じらわなければいけぬ処なのであろうが

我が聖天教信徒は既に充分に知りうる処でありましょう

我聖天教教主兆象大宰のこれまでの業績を鑑み判じて

然るべし。

この法力の源泉たる我らが奉じて已まぬ

愛染大聖歓喜自在大天観世音菩薩様の微妙深淵なる大神力は

敢えてそのような如何なる謙遜をも

省かせてならない不可得点なる不思議が確かに存在している

ものであって、その生きたる神の御力は

まさに他の聖天を圧倒してならなく。

故にその偉大なる血縁に預かりし我ら聖天教団にとっては

愛染聖天様に祈願修法する事による神羅万象への働き掛けは

世の救済するにあたる手管の何よりもの選択の道であり

やはりそれは救済の真理であるとまで論じて恥じぬものなのだと

私は皆と伴に確信しているからこそなのだ。

事実私はこれまで

数々の天変地異を祈祷により変異させるという

快挙を皆の前で堂々実証して来た。

台風を消滅させた事も一度や二度では無い。

台風を坂巻にした事さえある。

西日本にとぐろをまくように停滞し

西の空を苛んだ大水龍(線状降水帯)を見事に打ち滅ぼし

何日そこに居座るか解らないと称されたものを

僅か一日、二日をもって瓦解させ消滅させた事もある。

そういえばあわやという

土石流を何度も止めた事もあった。

 

その私が今年夏の大祭で見事に失敗してしまった。

それは私が皆の為に精魂傾け世に記した

「愛染大聖歓喜自在大天観世音菩薩礼拝作法」

に対し巻き起こった信徒同士の悶着を正そうとして

の事であった。

悶着はまるで坩堝のような様態を成していたようで

本部の者から報告を受け、それらを目にしたのが悪かった。

私は今年最も大事なる一ヵ月に及ぶ修法を中断した。

何故なら、そこには

聖天教教団の辿るべき道筋に必ずや障害になるであろう

意味合いのものがあったからだ。

 

例え何年教団に在籍していようとも

いや、教団に長きにわたり在籍していればいるほど

励まし合う事はしても

集団的なものを作り

私と愛染聖天様の教えを曲解し

間違った教えを流布してはなりません。

同じ考えの者だけが集まり

同じ教えの兄弟でありながら他は要らぬという

考えは、

これはお釈迦様の仏教教団がお釈迦様の死後に

早くも分裂し、その宗教的思想の乖離は

現在まで果てしの無い

血で血を洗う闘争を生んで来た背景と

全く酷似するもので、

私は聖天教教主として、

皆を教化する人間として

激しくそれを感じ取れてならず。

「これは絶対にいけぬ」と思った私は

愛染聖天様に謝罪し

一旦修法を止め、教団としてのこれからの在り方と

問題の対処を本部で話し合い。

「聖天教愛染聖天血縁者厳守心得摘要次第」

の中に

  • 教主はじめ聖天教三宝以外の教化は一切無効とし耳を傾けてはいけないし、また語っては絶対にならない。

という一語を加えた。

 

信徒の中には自分の成就の事ばかり考え教団の運営在り方を

御本尊様、そして教主である私と次期教主である千宰の立場に

なって考えない者がいる

それは全くもって

皆が毎日礼拝している礼拝作法の中での誓いを破っている事となんら変わらない。

 

これは今年中に私が執筆する予定の書物にも記している事だが

愛染聖天様をはじめとする聖天教三宝を

一個の人格の意識の中核として

皆はそれを構成する大事な脳細胞であって

その細胞の全ての伝達は全て意識の中核たる

愛染聖天様をはじめとする聖天教三宝に伝達反映されなければいけないのであって

横に於いて繋がり

もう一つの人格意識を作っては絶対にいけない。

それは愛染聖天信仰を二重人格。もしくは分裂症に導く結果をもたらすからだ。

だからして

喧嘩をしても、何をしても、まず全て私と千宰、そして万宰に教えなさい。

何が良くて悪いかは私が判断するし、千宰が対処する。

そして忘れてはならんないのが

脳細胞と表現させて頂いた信徒一人一人の事である。

脳細胞とはなんであろうか

即ちそれは意識を構成するそのどの一つ一つが重要な存在で

ある偉大な細胞である。

その細胞一つ一つが欠かす事無く作り上げた主体が

愛染聖天様をはじめとする聖天教三宝たる意識なのである。

聖天教には『大愛の思想』という大教義がある。

主体である聖天教三宝が大愛を余り無く享受し

世に発した時

その主体を支える偉大なる細胞である信徒もまた

大愛という究極の理想に胸を躍らし

信徒一人一人が主人公になる人生をその時獲得する事が

出来るのである。

即ちそこにそれぞれの成就があるのである。

私達聖天教団は

このような細胞、意識の相互、互換により

教えと成就の世界を見事に伴に構築して行かなければ

いけないのだ。

斯くの如き教主からの申し状

信徒の皆に於かれては

此の儀よくよく修学して欲しいと深く存念する次第であります。

 

また今年はもう一冊私は執筆予定だが

その時に臨み一つ諭しておきたい。

購買時の事だが

信徒以外の人間には自粛して欲しいという不満は

良く解る。

何故ならあなた方聖天教信徒は

他の聖天信仰にある人間と違い

聖天様の許可を貰い

云わば聖天様から選ばれた

愛染大聖歓喜天との血の縁がある特別な存在で

あるから

そう思うのは尚更理解出来る。

選ばれた血縁者に本が無く

信徒で無い者が手にするのは当然納得がいかないだろう。

しかしながら

大愛の思想を信仰の矜持として生きていかなければ

いけないのが聖天教信徒である事も忘れてはいけない。

購買時、中々手に入らず思う処があったら

これからは

公に騒がず千宰や本部の者に言いなさい。

それが篤信なる者の正しき姿勢です。

私が何故執筆した本を信徒だけに配らず

そして一切の利益を求めぬのに

わざわざ世に販売するかというと

それは

愛染聖天信仰を

出来るだけ世に広めたいという

愛染聖天様が垂れ給う教えに対する

私の強い愛があるからだ。

この教えに間違いは無い。

(次に販売される本は、功徳を頂いた沢山の

信徒にも寄稿して頂いており、教えの素晴らしさと

信仰の在り方が列記されたものだ)

どうか信徒の皆に於かれては

そのような私の深い愛染聖天とその教えに

対する愛を年頭に置いて

決して喧嘩せず、手を取り合い

千宰、万宰を中心に

その指導を良く聞き、愛染聖天信仰の興隆に

尽力して欲しいものである。

 

この度の大祭で修法を中途で終えた事について

当初私は幾つかのこれまでの経験を心で準え

悪い方向ばかりに心を遣っていた。

つまり、今年から世に襲来し苛んでならない凶事、大不吉とは

絶対に止める事の出来ない事を示していると考えていたのだ。

 

私がまだ若かった頃

ある信徒に秘法を修してやった時の事である。

その当時は私は信徒とも良く電話で話もしたし

対面ばかりか

霊障で悩む信徒の家族のもとを訪れ

除霊なども行っていた。

その時の事である。

浮気をされて男性に捨てられた信徒が居た

私の秘法の験力もあって

たちまちその信徒は成就に至ったのだが

しかし修めなければいけない秘法の日時は残っていたので

云わば野球の消化試合のような残された秘法の日程を

こなそうと修法していた時である

その信徒から急に「兎に角祈祷を辞めて下さい」という

申し出があり、私は非常に危険な事であるが

残された日程を消化するのを辞めた。

その信徒の母親から事情を聞くと

娘である信徒が

成就した男性から、何故浮気した女性を捨てて

私をまた選び復縁してくれたのかを聞いた処

男性は、正直何故復縁したいと思ったか自分でも解からない

と正直に信徒に告白したのだという。

私はその信徒の依頼により

その男性と浮気相手を別れるよう調伏していたし

その願望は叶えられ

見事に彼はその信徒の元に戻って来た。

しかしプライドの高いその信徒は

心願を申し出た当初は、例えどんな内容でも

私は成就すればいいのであって他はわがままは云わないと

いって秘法に入ったのだったが

いざ成就した途端、そのような約束は一切忘れ

自分を最高にその男性が愛していなければまったく

意味が無いと我儘を言い出し、

その我儘は頂点に達し、母親を怒りに任せ殴ったりもしたそうなのである。

兎に角祈祷をすぐにでも止めて欲しいと申し出て来たのは

それが理由だったのだ。

若かった私は当然の如く怒り狂い、その母親にも怒鳴り散らした。

何故なら

その男性がその信徒に吐露した。

「何故復縁しようと思ったのか自分でも解からない」

というその言葉こそ

まさに愛染聖天様の奇跡をそのまま物語っているものであって

それを聞いてその信徒は感動するどころか

それでは不満だと母親に申すのだから

その信徒の不信心はまさに極まったものであったからだ。

またそれに加え

修法を中途にした事への歯がゆさもあったし

せっかく奇跡を見せて下さった聖天様への申し訳無さもあった。

そして何より

その事に対して

如何に悪い信徒であっても

修法を中断した事により

その信徒に降りかかるこれからの恐ろしい災いが

宗教家としてその信徒の事を

非常に案じられてならなかったからだ。

つまり私の大愛でもあったのだ。

しかし案の定

中途で終えようと成就したその信徒は、しばらくして居なくなった。

 

もうすぐ成就だとこちらからは手に取るように感じても

信徒からすれば何も見えない感じられないという事が

多いのが祈祷の世界の常なのであるが

そのような不安な時に

霊媒師や占い師、自称行者という輩が

信徒にこう囁く

「私の方が上だからすぐ祈祷を止めてもらいなさい」

「そんな先生は嘘よ!私こそが本物」

なかには私はまったくオウム真理教とは関係が

あるはずも無いのに

「あの人はオウムよ!」などという輩もいるらしく

そう囁かれ何人の人間が途中で居なくなった事やら

当時は兎に角そのような者が多かった。

そしてそのような者は決まって数年後

「やはり先生のもとに戻りたい。私は騙されてました」

と言って教団回帰を望むのだ。

現在これを読む信徒の中でも

そのような体験をして戻って来た信徒は沢山居て

もう一度信仰を一からやり直し

それから成就した人間も沢山いるし

見事今年の夏の大祭で成就した人間も数人いる。

しかしそれではあまりにも遠回り過ぎる。

あの時横道に逸れなければ、騙されてお約束を破らなければと

思うと教主として本当に口惜しい。

それ故なのだ。

我が教団のお約束事が現在のようになったのは。

 

そして

その居なくなった信徒の行為は

何も占い師達の責任ばかりでは無い。

勿論その信徒個人の責任もある。

何故なら

自分の困った時だけは誠心誠意の姿勢を持ち

自分に興味の無い信仰の指導は全く耳を貸さない典型的な

悪い信徒であったのは云うまでもなかったからだ。

だから最後は

私の記した礼拝作法を修めてさえいれば

私の験力抜きでも、一人で成就出来るという間違った考えと同じく

全く間違った自分よがりの信仰を持っていた故に

その信徒は私のもとを去っていったのだ。

そして案の定

事の顛末はそれでおさまらなかった。

何年かしてその信徒は再入会したいと言って電話して来たのだ。

聞く処によると

成就した男性とは

私のもとを去ったあとすぐにまた捨てられたらしい。

その後沢山の占い師や行者を母親と伴に頼り歩いたが

愛染聖天様のような奇跡の成就は全く頂けず

やはりまた入会させてくれと申し出てきたのだ。

母親から聞く処

その者は心が苛まれ、精神病院に入退院を繰り返すまでになり

ここが怖かったが

遂には母親までが精神病院に入院してしまったというのだ。

私はそれを聞き

まさに愛染聖天様の祟りだと思った。

私ばかりか誰もがそう思ったであろう。

(不思議な事に愛染聖天様に祟られた人間は

何故か非常に高い確率で精神を病む。何故だろうか?

それだけ反作用としての

愛染聖天様の神力は凄まじいという証明でもあるのだと

私は思っている)

実に可哀そうであったが、

しかし私は決して再入信を私は許さなかった。

何故ならこの信徒は精神病院に入る前から

汚れた心で信仰に向い

愛染聖天様に向かっていたからだ

その心の在り方には信仰により自己の心の成長

浄化など欠片として思わないばかりか耳も貸さない

心の人間だったからだ。

このような事と同じケースで

心願の男性が略奪した女性に振られ、

捨てられたのが気にくわない

男性がその女性を捨てて自分の処に来なければ

いけないといって

祈祷を中断させた人間もいた。

この時は今では随分年を取ってしまった

私の母親が私を呼びに来て

大変だという事で確か祈祷を中断したのだったと思う。

この事まで申せば

長くなるので敢えて割愛するが

結果は酷く、その後

私はどうしても再入会を許さなかった。

愛染聖天信仰とは

成らぬ運命を成す。

つまり奇跡成就の信仰である。

しかし、こうやって愛染聖天様から祟りを頂いたら

私がどのように拝んでも中々成就しない。

ともすればまるで愛染聖天様がそのものに

ひっついて周るように

厄災がその者を苛む。

こういった人間はよくよく納め切りを

しなければ必ず駄目になる。

またこういった事例と違い奇跡の成就を頂く人間は

皆非常に清廉としたひた向きさが御本尊様や教主である私

そして千宰に対しても有り、

純真且つわきまえた態度に余念が無い。

つまり私や御本尊様が救ってあげたいと思う心と

純真に救われたいと願う信徒の心の間に

穢れなき互換、感応が流れているのだ。

また上記のような祈祷中断という特殊な事例に限らず

似たような事は形を変えて多々在る。

しかし今日はその事について細かく論ずるのは

割愛しよう。

 

以上のように、これら祈祷が中断され期せずして

成就しないばかりか祟りを被ってしまった事例と

この度の夏の大祭中断を私は結び付けて

どうしても考えてしまっていたのだ。

しかし、私は本日八月一日夜半

愛染聖天様から霊言を頂いた。

予言は沢山あったので

以下後でまとめて詳しく申すが

その中でこれより台風が起きて

日本、中国、韓国に被害をもたらすという。

お言葉が中にあった。

お言葉を頂いた私は急ぎ

皆に伝えようとこのように皆にお言葉を書いていたのだが

その途中、先程の事である。

千宰から連絡が入り

台風が本当に発生したという

つまり八月一日十三時台風三号、そして四号もである。

進行方向は

中国と韓国だそうである。

 

このような不思議はあるだろうか?

 

勿論

この度の信徒同士の争いの事で愛染聖天様は

関わった信徒は破門をしても飽き足らないと

未だ怒りを露わにされているが

 

私は当初から

関わっていない教団の信徒と私達聖天教三宝を

そしてこの日本を

愛染聖天様はとても愛でているので心配はいらない

と夢にまで出て来て私に言って下さるので

安心しようとは自分で思っていたのだが

 

しかし愛染聖天様は大変力のお強い聖天様である。

いつももう怒らないといいながら

ガツンと恐ろしい厄災を下さる事が多いので私は

非常に心配であった。

 

しかし、この度

「台風が起きるぞよ」と言って下さった直後に

本当にその通りに台風が発生し

私は愛染聖天様が

私と千宰万宰

そして何より信徒を

そして、この度の夏の大祭で祈った日本国を

深く愛しておられる事を感じ

感動で胸がいっぱいになった。

 

するとどうであろう

日本を水害が襲った時

愛染聖天様がこの度の水害は日本の未来にとって

大変意味が在る事なので

大いに水を浴びよと仰せられた事が

何故か意味は解らないが

愛ある意味が込められているのだなと

と安心達観出来、

 

そうしたならば

私の中で

この度の夏の大祭でもし中途に終わらなければ

あのような信徒同士の争いが起きなければ

「聖天教愛染聖天血縁者厳守心得摘要次第」

の中に

一、教主はじめ聖天教三宝以外の教化は一切無効とし耳を傾けてはいけないし、また語っては絶対にならない。

という文言を付け加える事が出来たであろうか?と考えたのである。

これは教団の未来にとって非常に大切な規約である。

これがなければ、教団の未来は何者か達に恣意的行動に悩まされていたかも知れない。

それを考えると

今年の夏の大祭は

祈祷は失敗したが、教団は花開いたのだなと

そう考えると

祈祷は成功したと言っていいのかも

知れないと私は実感し

誠に安堵出来たのである。

 

 

そして

本日令和弐年八月一日の感応による予言

の早々なる的中である。

 

聞き及ぶ処では

現在中国で三峡ダムという世界最大級のダムが

大雨により決壊の危機にあるという

コロナ一色の世に配流せらる報道の中に於いても

この人類屈指のダムの決壊の近況に対してだけは

それは鳴りを潜めず

連日加熱の度は深まるばかり。

遂に水害は首都である北京をも襲っているという。

 

韓国もしかりである

連日の大雨で国内有数の大都市が水浸しになり

死者まで出ているそうで

油断ならざる状況にあるらしい。

そして日本である。

 

篤信なる我が聖天教信徒の皆に於かれては

斯くの如き

国境を越え甚大な被害を与え続ける

神羅万象の事象を見つめ

どのような心境におありか。

 

それは異口同音。推し量るまでも無く

私達が帰依してならぬ

御本尊愛染聖天様から頂いた

啓示予言のお言葉が

まさにその通りに発生しているという

驚愕であろう。

 

御本尊様が私に降り立ち

私の心身と

私の口を借り

世に告げられる予言。

それはつまり

御本尊様の魂の調べであり。

教主である私の魂の叫びでもある。

 

畢竟。

真理でもあるのだ。

 

然るに

斯くの如く語られる予言は

例えその通りにならなかったとしても

私の予言は輪廻し

それは周り周って

辿り着き未来に必ずや何かしらの意味を持って

世の中を

そして信徒らを導いて見せる。

 

真理とは輪廻なのだ。

 

年頭に於いて私は

今年世の中で

ダムの事について大いに話題になるだろうと予言したが

まさに世は

これでもかという程

ダムの事が時事として取りだたされている。

 

また五月に皆に告げた予言は

その通り七日後に台風一号の発生を見。

加えて今まさに

的中とばかりに

中国と韓国を水害と数度の地震で

苛み。

西日本を襲った水害は

最上川の氾濫をはじめ予言通り

東日本各地を濡らした。

 

それでも予言の的中は止んでいない。

関西ではパトカーが謎の炎上をし

東京ではビルの屋上が燃え

最も敬愛すべき日本の同盟国アメリカの

空母三隻でも不審火が発生し

福島では非常に大きなガス爆発が起こった。

みな私の予言した通りになっているのだ。

韓国では航空会社まで潰れてしまった。

 

このように

愛染聖天様と私の発する予言は

まるで言霊の如く

全てが現実になって行く。

 

それは予定されていなかった未来までもを

創造するようにである。

 

私が愛染聖天様と伴に敵の名を叫べば

敵は未曽有の苦しみをもって期せずして滅ぶ

私が愛染聖天様と伴に幸あれと叫べば

計り難き功徳が降り注ぐ。

 

まさに

我が聖天教の予言は

真理であり、輪廻であり、創造であり、功徳であり、調伏でもあろう。

大袈裟なようだが

そう思わねば解せぬ程、愛染聖天様の予言は天啓に満ちている。

 

何度も申すが

宗教家である私は

もっと謙虚であるべきなのだが

かといって嘘はいけないので

坦懐に申すが

古今東西

数多ある大小歓喜天を私は見て来たが

いや聖天法に通ずる私であるからして

誰よりも

見て来たといってよいであろうその私でも思うのだが

 

私達の奉ずる愛染聖天様の神力は

他の聖天ばかりかあらゆる宗派の神々の功徳を

真実超越している。

 

よく信徒ばかりか愛染聖天様を知る者達は

私もそうだが

「愛染聖天様は唯一生きている聖天様だ」

と評するが

これはうれしくもあり誠に恐ろしくもある事だが

やはりそうなのだと。

それは結論付けるしかないだろう。

 

それ程愛染聖天様が

日々私達に与え体験させて下さる功徳や不思議は

ただお姿が見えぬだけで

まるで吐息までもを感じてしまう程

連続してならないのだから。

 

そしてそのような偉大なる大神力をお持ちの

生きた大聖天。私達の御本尊。愛染聖天様が

八月一日修法中。

またも私に予言啓示を下された。

 

その霊言を皆にお伝えしよう。

信徒の皆に於かれては、良く耳を傾けて欲しい。

 

「これより数多の台風が発生し

日本、中国、朝鮮半島に被害をもたらす。

場所は若干変わるかもしれないが

近いうちに茨城の大洗を中心に

大きな地震と津波が起こる。

中国、台湾で大きな地震。

そしてこの予言も含め

いよいよ五月に予言した通りの事が

起こり始めるのに加え

過去数年来予言して来た事が

起こり始める。

またコロナウイルス以外で

もう既に家畜等から人間に感染する

あらたなウイルスが発生しているが

これ以外の新種のウイルスが

なんらかの方法でまき散らされ

ウイルス戦争の様相を見せる。

混乱の中、世界は震撼する。

アメリカ大統領選はトランプ大統領が勝つ

その過程で

もう一人の立候補者が

コロナウイルスか

また新種のウイルスで選挙中に罹患し

敗北宣言を出す。

そしてその事で驚愕した世界は

日本を含め新たなロックダウンに

突入して行く。

アメリカはこの事でトランプ大統領の元

一致団結する。

最後にアメリカを中心とする同盟国は

圧倒的な勝利を手にし、新たな国連が

起こるだろう」

 

以上が

誠に不吉な予言啓示であるが

それだけに緊急に信徒に告げておきたいと思った次第であるが

前述したように

既に台風の予言は書いている途中で

的中してしまった。

これまで

私が予言すると

直後に新潟地震。

大阪北部地震をはじめ沢山の的中が為されて来た。

だからして、どうかこのような私の霊力の実績を鑑み

信徒の皆は充分に注意して欲しいと思う。

 

 

 

洗浴を終え

清浄なる気宇をもった本性に

更なる救済の御意志を灯されておられる

御本尊様を眼前に奉じる私は

歓喜天の浴油供秘法に心身とも没入せりと

いよいよをもって座に挑む。

 

護身は心壇の台座ながら

既に愛染聖天そのものであり

縁深き我が大神との感応は

他人には計り難し即入をもって

我は同体を示す。

常に新しき悟りを持ってである。

 

調息に我が心の波音を感じ

身に優しきなる躍動を感じると

何故であろうか

何処からともなく

それが愛染聖天様の存在の全てと感じられた時

私には四摂という愛ある行動さえ

真実の愛の世界では無意味。

畢竟。

その行動を生み出す純真たる意識の階層にこそ

全ての苦しみが削げ墜とされた実体であると確信出来たのである。

 

即ちそれが愛の正体であった。

 

私がそれをまざまざと実感した時。

この三千大世界にある

神々からはじまり悪魔亡者にいたるまでの

一切衆生の削げ墜とされた

赤子のような美しき本性を

私は感じる事が出来たのだ。

 

その一まとまりが星である

それがあつまったものが星雲であった。

そして

その星屑一つ一つまでもの心が一つとなって

私の真心にありありと繋がってくる。

 

しばしの時を経て

これが三千大世界全ての心であるなと

私が悟った時。

 

私は我が心身に完全なる

愛染聖天様の降臨をみたのである。

 

まさに愛染聖天様とは三千大世界の真心

そのものであった。

 

そしてそこには

行動も。

言葉も。

吐息も。

全てが存在していなく。

またまるでその全てが存在しているように思え。

それが故に

膨大な数の魂と意識が手に取るように

私には解る事が出来た。

 

すべてが理解出来たのだ。

愛故にである。

 

すべての存在は非常に美しく。

そうつくづく思えた私は

 

おもむろに杓を手に取ると

愛染聖天様の頭頂に

そっと油を潅ぎ始めたのだった。

 

その行為たる四摂は

既に全てが削ぎ落ち、清浄とされ

いくつもの真実なる真理を放つに至っていた。

 

それは

愛染聖天様が私達の身の上にこれから

何が起きるのかを示されてならない

深淵なる大神の啓示が

私に存分に伝わって来た瞬間であった。

 

三礼し

そっと祈祷所の窓を明け

外気に触れた私は

肺一杯に広がった夜露の中に

愛染聖天様そのものである

三千大世界全ての衆生の

生命の光を感じるとともに。

血縁たる我が信徒それぞれの

身の上に

改めて成就あれと

つくづく願ったのであった。

 

 

 

 

合掌 聖天教兆象大宰

 

 

追伸

 

悲しみに暮れるばかりを良しとしてはいけない。

不安に飲み込まれるばかりに甘んじてはいけない。

怒りに苛まれる事に殉じてはいけない。

 

まして聖天教信徒ならば

 

悲しみの中に希望という鍵を持て。

不安の中に希望という鍵を持て。

怒りの中に希望という鍵を持て。

 

そして

 

悲しみの中で悟りという扉を開け放つのだ。

不安の中で悟りという扉を開け放つのだ。

怒りの中で悟りという扉を開け放つのだ。

 

その向こうには必ず愛染聖天様という

真理と成就がお立ちになっているのだから。

 

即ち鍵とは信仰であり。

扉とは教えである。

 

 

世には三大聖天と呼ばれる聖天があるが

その聖天様も

「聖天信仰」という枠組みの中では有名だが

実はそれ例外の人は

全く知らない人が大変多い。

まして世の流行を牽引するような聖天等は

聞いた事さえない。

 

しかし私達の愛染聖天様はどうであろう。

既に聖天信仰の枠を超え

その圧倒的な大神力と予言力は

まるで日本を動かす程に

有名鳴動している。

 

つまり愛染聖天様は

人ばかりか全ての聖天

八百万大小聖天ばかりか全ての神々の所業をも

あっさりと超えてしまったのだ。

 

まさに私達の奉じる愛染聖天様は

全ての神々の主尊にして

八百万大小聖天の帝なのである。

 

そして、現在日本で

私、兆象大宰の霊力に勝る者はいない。