2008十一面観音様



  観音様などは尊天のお姿とは違い女性のお姿が多いこともあると思うがわれわれが          
あまり違和感なく受け入れてきた仏様であるが、外国の方々などは特に十一面様や千手観音様などの      
お姿を恐らくマリア様がみなれているせいなのか異形だと驚くことが多い、              
千手は千の手を持って衆生に救いの手をさしのべられ、十一面様は十一の面(おもて)をなし、        
衆生の十一通りの無明(あらゆる法の道理を理解することのできない愚)を断ち切ってくださり        
悟りの最終階であつ、第十一地の妙覚(仏の境地)に導いてくださる。                
またそうされたいという願をお持ちのお方であり。外国の方々が驚くその十一面の面は          
そのためのお姿なのである。                              
またこの面にはそれぞれの印(仏のサインといっていい)があり  その面にあわせその印を結ぶことによって    
私は皆様に法をかけさせていただいている(尊天の功徳を増させ、また怒りをとき、            
または色々な状況に合わせ秘法では十一面様の法は不可欠である)。                
ここでは長くなるのでその面と印による功徳については割愛するが、ようするにこの十一面様という仏様は    
軽い罪過から逃れることのできないであろう大罪までの一切の罪障をことごとく消滅してくださり、        
十一面様に頼るものには現世にて十一面の果報を下さり、来世には四種の幸福を下さる、物欲は悉く満たされ、  
災害や他人の迫害から逃れられ、死後は悪い輪廻に巻き込まれることなく、かならず極楽に行くことができる。  
愛と美を満足することができる。それは女性に生まれて、また男性に生まれて泣いているものが転じて      
男性にまた女性になるような強いものと言われている。                    
なお十一面様には二本の手と四本の手、または千手というふうな十一面様にわかれるが、          
信者の皆様に魂をいれる十一面様は千手をもって救いを伸べられる千手十一面観音様である。        
  この観音様ではありながらここまでの現世利益(現世での救い願望の成就)をさせる願をもった仏は他に    
無く、尊天様とのそのご関係もきょうの説明でその願い、力からも深いということがわかっていただけたと思う。    
その優しさは罪をお許しくださる面は尊天の怒りを和らげ、十一面の愛によって尊天の強すぎる力を調節し、    
また時には支配し、われわれに不思議な奇跡を下さる。                    
それは不浄の嫌う尊天にあっても十一面様を介せばたとえ婦女子の日でも喜ばれるほどの          
尊天との深い関係なのである。                            
                                       
  インドの神話では大自在天(シバ神)の子供として生まれた毘那夜迦は父にかわってその軍団を      
指揮する神であったともされ世界の破壊を司る大自在天の軍団の統率者である障いの神、勇猛類をみない    
毘那夜迦神に邪魔をしないようにあらゆるお祭りや始まりの日などにはお願いをするのが風習になっているが、  
しかし我々が帰依する尊天は、この毘那夜迦そのものではない。より凄まじく強力なのである。        
なぜなら大日如来がある衆生救済のご方便として(あるいは十一面様が姿を毘那夜迦に変えられ、      
その毘那夜迦の持つ力を示し、救う。それを私達は拝し、大聖歓喜天と崇めるのである。          
これはこの仏の本身が聖なる天という意味をも表していて、いわば化身であるような方と言っており、      
それは大日様、転じて奥儀は十一面観世音菩薩なのである。                  
要するに十一面様が女神に姿を変えられ、毘那夜迦の欲望を満足させ仏教の守護神、善神に変身させた    
という行為が観音普門品に書かれている婦女の身を現じて相手を得度せしめたもうとあるそれであり、      
大聖歓喜双身天王と言われる深い意味の所以たるところなのである。                
  すこし難解だとは思うが尊天の由来には諸説あるということもあるが、ただ一つ言えることは尊天は      
神秘最上の最奥儀のお力をもった全ての神仏の教主であるということと、その力を抱きしめ、時には操作し、    
そして愛し合い溶け合う十一面様は美しく尊いかたであるということである。              
  まさに我々の母なのである。_                        合掌