教主のご挨拶Grand Master Greetings
教主のご挨拶Grand Master Greetings
教主のご挨拶
人々に『全ての歓喜天は死んでしまった』『神力不在』『全く功徳が無い』と揶揄される迄になって幾久しい聖天信仰にあって、唯一往年の功徳に満ちた聖天信仰をまるで簡単に凌駕してしまう程の奇跡をもってその大霊験を世に示し続けているのが、今では零落した聖天信仰と区別され、『唯一生きた大聖天』の教え、『愛染聖天信仰』と謳われるようになったこの『聖天教』です。
成る程、我、『兆象大宰』が御本尊『愛染聖天様』の尊い神意をこの一身に受け給わり開闢せしこの『聖天教』は、御本尊『愛染聖天様』の、三千大世界全ての神々の主尊にして八百万大小聖天の帝という、その最も貴き御位故の大神力により、爾来現在に至る迄多くの者に摩訶不思議なる奇跡成就を与えて参りました。
然るに、そのように斜陽惨憺たる聖天信仰の現在を、その奇跡霊験で唯一気を吐き常に牽引し続けるこの偉大なる大歓喜天『愛染大聖歓喜自在大天観世音菩薩』の教えの社。
その教えの宰主として、私が常に命をかけ全うせんとす矜持を申せば
よく古くから歓喜天は人を選ぶと申しますが、正に汝こそ『我が血を別けた第一の子』『唯一の者よ』『器よ』と神言愛でられ、この身の上に開眼された、愛染聖天様のその深き大愛の御心に叶った教えの道を、永遠の輪廻にわたり殉じ歩む事こそが我が信条。
つまり、我が『聖天教教主』たる生き様とは、我が血肉はおろか、この命、魂をも簡単に『愛染聖天』様に差し出し、喰らうて頂く事に喜びを見出す、苛烈なる殉教の道が我が生き様なので御座います。
故に私が持ち得る欲とは悉くの衆生救済の願い以外、その一切は既に捨てられているのです。
正に我、『聖天教教主兆象大宰』とは、『聖天教教主』であるが故に、常に我を滅し、『愛染聖天様』同様、一切衆生の救済のみを喜びと為す、その広大な自己犠牲の精神の継承者たらんとす、我は苛烈なる一個の殉教者であり、それ程に心魂捧げ奉る愛を持って我が血肉を別けた親よと我もまたお慕い申し上げる、やはり第一等の子なので御座います。
そして私と『愛染聖天』様との日々なる祈祷感応によるこの殉教の歩みは気が付けば私を知る者をして、『日本一の神通力者』『この世で唯一歓喜天と会話の出来る者』と言わしめるようになっておりました。
その事は我が『聖天教』のみならず、全聖天信仰、いやそのような枠を超えた多くの方々が既にご存知であると思いますので敢えて否定も謙遜もいたしません。
事実、此れ迄私は、科学の力で嘘偽りがいとも簡単に見透かされてしまうこの現代社会にありながら、紛れもない奇跡を世に白日のもと、常に示して参りました。
然るに、生きた歓喜天との邂逅を自在に果たし、その意志に直接触れ未来を語り、そしてその奇跡霊験を世に公然と示す事の出来る者は、この現世にあって、まさしくこの私『兆象大宰』ただ一人だけでありましょう。
ですが、予言による的中を始め、恋愛、不妊、出世、増益、難病、いじめ等、あらゆる願いの奇跡成就をもって、世に極めたる霊験を如何に世に示そうと、歓喜天の誠の信仰を志す者。
つまり、この『聖天教』の縁を与ろうとする者は、そればかりが信仰の全てとは決して考えてはならないのです。
何故なら、世の為、人の為になる美しき心、つまり人間性の向上を遂げて行く事こそが聖天信仰のみならず、世にある全ての宗教の目指す処であり、全ての神々が説き給う本意がそこにあるのは自明の理。まして、三千大世界全ての神々の主尊にして八百万大小聖天の帝たる『愛染聖天』様なら尚更の事です。
畢竟、神仏の垂れ給う功徳とは、衆生解脱牽引の為のあくまでも糧であらなければならない。
そして『聖天教』の説く処の、その悟りの終着点とは、三千大世界唯一愛染聖天様が受持なさいます、最も尊き愛『大愛』なのです。
しかし、我々衆生とは、例え八百万の神々であっても抜け出しきれぬ性を持っているもので、これを脱し解脱に到達する事のなんと困難たる事。それは想像を絶する悪路を歩むと同じ事。この悪路は、如何に『愛染聖天』様の垂れ給う奇跡成就の糧という車輪があろうとも、たった一輪ではとても踏破出来るものでは無く、それには、まるで肩を貸し合うように並び立つもう一つの車輪が無くてはなりません。
つまり、そのもう一方の車輪こそ、教えの『思想』なのです。
そして『聖天教』には、此れ迄の既存の聖天信仰には皆無だった素晴らしい宗教思想群が数多存在しているのです。これがあってこそ初めてその悪路に歩を進められる
『奇跡成就』と『思想』という車の両輪が備わるのであって、その両輪があってこそ私は、この六道人界ばかりか、三千大世界全てに蔓延る神々の『神力不在』による衆生の残念に応え、その大神力を示す事で、今一度世の衆生の心に神の存在を知らしめ、それによる信仰の回帰を促し解脱の糧と為さんという『愛染聖天』様の、その御降臨の意義に沿う事が出来る。『三千大世界一切衆生の救済』『どのような悪人神仏であっても、帰依する縁者には例えどのような願いでも叶えて進ぜよう』という誠に広大且つ大愛慈大の籠った『愛染大聖天』様の、その御誓願に事が出来る。つまりその両輪を備える事こそが『聖天教』=『愛染聖天信仰』信仰者に必要不可欠な在り方だと私は存念しているのです。
故に私は、功徳、功徳と貪欲蛇蝎の如き亡者なる精神で、我が『聖天教』=『愛染聖天信仰』の道を歩まんとする者は、一切この正道たる教えの道には必要無き者だと考えている。
それだけに留まらず、私は、既存の聖天信仰全てに於いてもそのような輩は歓喜天を信仰する必要は無いとさえ断ずる。
何故なら、そのような人間としての悟りを忘れ、思想を忘れ、欲ばかりを追求して来たその結果に現在の全く零落してしまった全ての聖天信仰があるのだから。
更に深く憂いれば、歓喜天の稀有なる妙智力による功徳を自らが我がもののみとせんとばかりを祈り、出世、肉欲、あらゆる欲を貪婪にむさぼる行者が横行する昨今の聖天信仰の現実。その事に誠に数多くの聖天信仰者が心を痛め憂い苦しんでいる現状を打破し確かなる神力による霊験の発動と、それに両輪並び立つ、神意に満ちたる素晴らしき思想を掲げ、往年の聖天信仰を、三千大世界全ての神々の主尊にして八百万大小聖天の帝『愛染大聖歓喜自在大天観世音菩薩』様、その尊き教えの社『聖天教』をして、今一度復活遂げんとす、いやそれ以上の興隆勃興に挑む事こそがこの『聖天教教主兆象大宰』の天命であると確信しているものであって、私は、その摩訶不思議なる往年の聖天信仰の奇跡ばかりか、それ以上の奇跡を簡単にこの現世に顕現させてしまう『愛染大聖天』の現世随一なるその大霊験に日々魅せられれば魅せられる程、この天命を尚一層深めずにはおれないのです。そしてその強き志しは、神力による救済と思想による救済を一切止め、果ては、政治活動に身をやつす事が定石となってしまった現在の憂いるべき全ての宗教の現状にも及んでならない。
畢竟、斯くの如き縷々申し上げた我が存念をば総じて曰く
『血を分けた我が子我が親よ』と御本尊『愛染聖天』との心魂相捧げ合い感応合一を遂げ御降臨今に至るその大神の神意を第一とし、本尊一体我等日々休む事無く修する『愛染毘那夜迦浴油供』、その秘法から発せられる『愛染毘那夜迦順世の法』、それを始めとする数々の神意に満ちた『経典』から垂れ給う教えを軸に、その享受的思想群を辿る事で既存の聖天信仰に存在して已まない八百万大小聖天の教えと功徳の矛盾を晴らす事が出来る『愛染毘那夜迦順世帰命価値論』。また、それに連なり補助して已まぬ『大愛昇華』『御性根』『感応』『八愛』『八密』の能動的思想群。そしてこれらの思想合一の最たる信徒の手管として『愛染大聖歓喜自在大天観世音菩薩礼拝作法』を用い、信徒それぞれの心内に於ける瑜伽道場建設を指南し、御本尊『愛染聖天』と『教主』である我、そして『聖天教三宝』との感応の達成を計り、『功徳成就』と『思想向上』の両輪を実現して行く。
するとこれら『享受思想』と『能動思想』の円満の果てに広がるもの。
それは『聖天教』の到達思想である大教義『大愛の思想』の獲得に他ならず。
これら一連の神意により垂れ給うた信仰思想と奇跡成就の歩みは、必ずや血縁たる信徒に無上の歓喜と解脱を与えるものであって、そしてその歓喜が、教えの広がりと共に指数関数的に増え続ける事によって、今では全く零落、没落してしまった、聖天信仰のみならず全ての今ある宗教に、『聖天教』=『愛染聖天信仰』による『生ける大神』の啓蒙と復興の光の照射を実現。その事で科学の発展により、置き忘れてしまった人々の心中に敬虔なる心の復活を見事に成さしめ、それは宗教という側面から悩み憂いる現代社会ことごとくの人々の心に、神という存在を住まわしめるという真実の歓喜なる救済を着実に現実のものとして行くのだ。
然してそのような活動の実践を、己に課された、また果たさなければならない天命とすこの『聖天教』の教えの主たる我が歩みは、零落した既存の聖天信仰を始めとする全ての宗教に全く欠けてしまった、真の神力による霊験発動による神々の証明とそれによる心の牽引を目的とした意義に根ざした『三千大世界一切衆生の救済』『どのような悪人神仏であっても、帰依する縁者には例えどのような願いでも叶えて進ぜよう』という、三千大世界全ての神々の主尊にして八百万大小聖天の帝たる御本尊『愛染大聖歓喜自在大天観世音菩薩』様、その広大且つ大愛慈大の御誓願に即したる真に叶った殉教のそれは歩みであり、またもってその大神の神意と御誓願、その満願を、輪廻を超えた決死の覚悟を持って、例え計り知れない無限の時を転生しようとも、必ずや叶え奉り候らんと永遠に誓願せし者。
それこそが我『聖天教教主兆象大宰』、その人となりなのである。
合掌
聖天教教主 兆象大宰