千宰様令和参年春の大祭御法話

 

※現在、宮城福島で起きた大地震は

未だ懸念が残る状況です。ですが

そのような中だからこそ

三宝様方の御法話を読んで

信仰の糧による

心に力を蓄え、皆で不安を

乗り越えて参りましょう。

 

 

❖御法話❖

 

歓喜童子様とは

江戸時代の高僧木食以空上人様が

歓喜天のお姿が

余りにも仏教的な常識を超えたお姿。

つまり、象頭人身であるばかりか

色欲を禁じます教えに反するように

男女交歓するそのお姿である事に加え

また何にも増して

そのような御二人柱のご様子を

行者以外の人間が覗いたならば

大いなる罰が与えられる事から

それでは歓喜天に帰依する人間は

余りにも不憫では無いかと

同情され

どうにか一般の人々にも披露できる

智慧が無いものかと

大阪は箕面のお滝場で願を掛けました

処、見事にその感応に応えられた

歓喜天様が現れ

一般の人々でもお姿を見て祈る事が

できる尊像を

有難くも上人様に提示されたのでした。

それこそが聖天信仰独自の権化神

歓喜童子様なのです。

そのお姿は美しい吉祥天の童子形で

頭に二双象頭をあしらった天冠を

備え、一面四臂の

その御手には歓喜団と大根

宝棒と索が握られており

歓喜団と大根は

余りある宝と増力。

索は

望んだ愛縁願う異性を

引き寄せるばかりか

信仰せぬ者を

鉤召改修させ。

宝の棒は

怨敵を打ち破り

その心魂の清浄を実現

するものです。

つまり歓喜童子様とは

その大いなる大神力から

見れば歓喜天そのもの。

お姿からすると

歓喜天のお子様。

またその御手にある持仏が表す

功徳から見れば

歓喜天の理想の果実そのものなのです。

 

そして

そのように功徳著しい稀有なる神仏。

世に数多ある歓喜童子様の中でも

傑出したお力を世に示し続けられる

最も優れた歓喜童子様こそ

八百万大小聖天の帝にして

全ての神々の主。

愛染聖天様の功徳果実の

権化神にして網羅神。

愛染歓喜童子様なのです。

そして

その愛染歓喜童子様の御祭りこそ

愛染歓喜童子大祭。

通称春の大祭なのです。

 

私達聖天教では

この素晴らしい世に稀有なる権化神で

あられます愛染歓喜童子様を

一年に一度

教団を挙げてお祀りする事で

その歓喜鳴動による大功徳を実現し

調伏を望む者には

宝棒による怨敵滅却。

増益を望む者には

歓喜団より余りある

富を与え。

敬愛。

つまり恋愛成就を願う者には

索により

心願異性の魂の

襟元に

逃げられぬよう

その刃を突き立て

強引に

祈願者の元に引き寄せ

成就に及ばせます。

 

また心体の悩みには

大根の計り知れない功徳を

もって

あらゆる病難を清浄し

力を与えます。

 

何故教主様の開眼される

愛染歓喜童子様が

信徒様の間で

不思議な現象を様々起こすのか

この功徳の在り方からも

想像に難く無いのであって

教主様の歓喜童子様への供養秘法も

このようなご功徳を強く

意識発揚され祈願されるもので

すから

このような歓喜童子様がご自宅に

あればそれは自然と

何かが起きるのです。

 

信徒の皆様。私達聖天教で行われる

大祭とは一体何でしょうか?

 

それは教主様からのお言葉を

お借りすれば

沢山の教えがあるでしょうが

この聖天教三宝である

私が悟り得る

大祭という存在意義の見解の

一片を信徒の皆様におの場を借りて

教化するとすれば

 

それは私達の心にしっかりと神の姿を

据え置く。

その事で

しっかりと神の果実を

止めど置く。

その為の欠かせぬ心の大作業。

大行事なのでは無いでしょうか。

 

私達が生活する現実の空間。

そこで私達は

沢山の人間と行き交うばかりか

共に関わり合い生活しています。

しかしその中の誰をとっても

本当に真実

阿吽のような繋がりが

皆さんの心とありますでしょうか?

 

いえ、例えあったとしても

必ずすれ違いを感じずにはいられない

時が

どんな関係にもあるはずです。

では礼拝作法の時に感じる。

御本尊様や教主様。

そして聖天教三宝並びに聖天教の神々

とではどうでしょうか?

 

皆さんはきっと

実際に会った事の無い

聖天教の神々に対しては

実際に嫌という程

関わり続けている

現実に在る人間達よりも

深い交わりを感じるのだと

思うのです。

 

何故なら

礼拝作法で懸命に祈る

その心の在り方を

考えて下さい。

その時の皆さんの心は

純真そのものであり

その祈りの心の

先にある聖天教の神々は

決して

皆さんの願いを拒まず

懸命に聞いてくれようと

皆さんの心に

立たれているはずです。

 

つまり

そのような純真無垢な

やり取りと関係が

そこには成り立っている

はずなのです。

 

それは

実際の人間関係で繰り広げられる

交流、概念を簡単に超えて

心に於いて

現実以上の現実の交わり。

真実の交わりを

実現させているのです。

 

だから

礼拝中、もしくは終わった後

孤独では無い安心感に包まれるのです。

何故なら

礼拝作法中、確かに     

皆さんの心と神の心は重なって

いるからなのです。

 

そしてこのような

礼拝作法で行われた

心の中心に神をしっかりと

据え置き

心を通わすという作業。

つまり

信じる作業。

殉じる作業。

純真に願う作業。

つまりそれは

神に愛して頂く作業であり、

心に安心と、現実に功徳を頂く作業

なのですが

 

しかし人は

これをどうしても

礼拝作法以外の日常の心に

常態化する事が

中々出来ません。

 

日常の目に見えるものに

強く影響され

歩まれるその心は

目に見える存在に心を惑わされる

ばかりに

見えなくても尊く満足を

下さる存在である神を

心から度々忘れさせます。

 

トラブルや悩みを抱えた時等は

尚更です。

目前の出来事ばかりを考慮にいれ

それにより同様するばかりの

心には

目に見える人間関係や事象ばかりを

大事にし、目に見えぬ有難い存在に

よる神の功徳の存在を

二の次にしがちなのです。

そのような時こそ

信じなければいけなく

また神より信仰を試されているかもしれない

のにです。

 

でもそのような時こそ逆に

神をぞんざいにせずに、

神を心にしっかりと置き

その心からしみじみと浮き出てくる

『あーこれが愛染聖天様のきっと

お心だわ』という悟りに耳を傾けてみたら

どうでしょう。

その時はじめて

人は心に

正しい方向を思い付き。

心の安定を得て。

決して目の前の問題が未だ解決して

いなくても

やがて解決する為の

未来の心と問題に対する智慧の糸口を

得る事が出来るはずです。

 

そしてそのように

常にどのような事があろうとも

心に神を据え置ける方法。

それはやはり強い信仰しかありません。

 

時折沢山の事象に心を惑わされ

神を心から薄めてしまう事から

始る不幸。

 

それからの脱却の果て。

 

そこには

計り知れない未曽有の

愛染聖天様の心願成就の

果実の宝袋が

心の真ん中に据えられていると言って

良いのです。

 

私はそれを可能に出来る

とても強力な方法の一つが大祭だと

思っています。

 

何故なら大祭とは

私達が礼拝作法以外で、いえ礼拝作法に於いても

心で見失い、その為に陥る私達の不幸と悪運を

信仰者一人では無く

全て一丸となって心に祈り据え置く作業だからです。

 

その事によって

成就の功徳果実を心に植える置く事が出来る。

 

これは

私達の心の中に神は存在する

という教主様の先日の年頭の言葉にも

通じる事ですね。

 

そして歓喜童子様とは

愛染聖天様そのものであり。

愛染聖天様のお子様でもあり。

愛染聖天様の願いであり。

つまりそのどれをとっても

愛染聖天様の愛の権化そのものであり

願いの果実そのもの。

 

その正に成就そのものである

有難くも尊い果実を

信徒それぞれの心に意識させ

現実に招来させ

大愛の果実を

愛染聖天様から頂く聖天教の大行事こそ

この聖天教春の大祭。

愛染歓喜童子大祭なのです。

 

去年の話になりますが

ある信徒様のお話です。

 

その信徒様には

約束まではしていませんでしたが

何年も交際し

結婚は当然という深い繋がり

だったはずの男性がおりました。

しかし

その信徒様は大変な焼きもち焼きで

交際していた男性を

毎日のようにあまりに疑い

そして責め立て、遂には

彼はその信徒様の前から

とても悲しい事ですが

消えてしまったのでした。

 

彼は何カ月しても戻って来ません。

 

そしてその信徒様は遂に

聖天教の門を叩き信徒になられた

のでした。

三カ月程して状況が動きました。

連絡や存在一切も解らずきりだった

彼から信徒様の所に連絡が入り

始めたのです。

 

信徒様は喜びました。

『沢山の行者様を頼りましたが

こんな事は初めて、愛染聖天様は生きています』

 

でも喜びばかりではありませんでした。

 

彼は信徒様が最も心配していた

他の女性からの略奪にあっていたのです。

 

連絡が取れた功徳と共に

信徒様はその功徳への喜びと同じ程の

怒りと憎悪を露わにし

悲しまれました。

 

そんな信徒様を教主様と私は

『略奪者ばかりを責めてはいけません。

彼も悪いから略奪はなりたったのですよ。

いま必要なのは、冷静になって

この出来事から学べる信仰、ご本尊様の

大愛を探ってみる事。それが成就の道ですよ』

と、状況が愛染聖天様の功徳により

見通せたからこそ、心に愛染聖天様を

しっかりと据え置き

今度は目に見える事象よりも

功徳を頂いたからこそ

心の在り方を大事にしなさいと指導したのです。

 

ですが中々それをその信徒様は

出来ませんでした。

それは当たり前かもしれません。

長い間信徒様達を指導する私だからこそ

そのような状況の時の信徒様達の心は

痛い程解りますから。

 

またお若い時は

そのような時は懸命に信徒様を

叱りつけ指導し成就に結び付けた

教主様も

最近ではぱったりとそのようで

無くなったせいで

それは良い面もあれば

悪い面もあり

 

聖天教三宝の私からすれば

このような時こそ

教主様にしっかりと叱って

頂き、信徒様を成就に導いて欲しい

と悪い面を感じたものでした。

 

案の定

信徒様の心の在り方の影響は

状況に現れ、

何度か彼と会う事が出来たものの

彼は略奪者との結婚を考え始めて

しまったのでした。

 

その状況までなって

初めて信徒様はこう思いを

伝えて来られました。

『私は、真剣に心を学ぶ事をして

来ませんでした。

彼と連絡をとれる奇跡を頂いてから

半年、私の心の在り方と状況が

まるで比例している事に

彼が彼女と結婚を考えている事を

聞いて初めて真剣に気付きました。

私は心の中心にしっかりと愛染聖天

様を置きたいです。だから

私に歓喜童子様を造像して下さい。

許可を下さい』

 

仏像造像の許可を私が教主様に

聞きに行ったその時の事です。

 

教主様は仰せられました。

『私の開眼する仏像は生きている。

だから不信心、お裏切りは

逆に恐ろしい不幸を頂く。

しかし○○さんの信仰は浅くとも

これまで全くの裏切りは無かった。

きっと私の開眼する歓喜童子は

○○さんの心に感応据え置かれ

見事なる奇跡をもって○○さんを

成就に導くであろう』

 

教主様の仏像開眼は一年から

一年半かかるのは当たり前です。

 

その間

信徒様の信仰は本当に変わりました。

 

それまで自分の状況ばかり

を伝え一喜一憂していた信徒様は

苦しい時でさえも

信仰とご自分の心の在り方を

本部に伝えるようになっていたのです。

 

そして去年の春の大祭。

遂に奇跡は起きたのです。

 

その日

仕事を終え帰宅した信徒様は

礼拝作法を終え

リラックスしながら

報道番組を

を見ていたのだそうですが

すると

路上でインタビューを受ける

カップルが映し出されたそうなのですが

よく見ると

それは彼と略奪者の二人だったというのです。

『私は憎悪の心のあまり、幻を見たのかも

知れない。私の心はまだまだ駄目です。

ご本尊様教主様御免なさい』

 

そう彼女が心で思ったその時です。

 

信徒様の耳元に大きな

野獣のような声が響きました。

『私も居るぞ、忘れるな』

 

その声とともに

突然テレビが消え、焼け焦げた匂いが

周囲に立ち込めたそうで

信徒様が配線を確かめると

配線が焼け焦げ、配線板がうっすら

黒くなってしまっていたそうです。

 

驚いた信徒様は

大祭前に頂いた

『歓喜童子大祭は、歓喜童子様を

持っていない信徒様にも、開眼の仏像を

持っていると同じ功徳が顕れる

特別な期間です。

だから尚更仏像の保持者は

参加すれば宜しいのだから

あなたは必ずそうしなさい』

という教主様から頂いた指導の

お言葉を思い出しながら

急いで

歓喜童子様の前に座り

『大祭おめでとうございます。

歓喜童子様も絶対に忘れていません

すみませんでした。

どうか私の心に降り立ち

私を護り導いて下さい』

 

そう神妙に願い

信徒様はその日礼拝作法も

もう一度修したその夜の二時頃の

事です。

 

よく教主様の成就の奇跡は

夜中に突然、不思議な形で現れると

言われますが

 

その日の深夜二時頃

大祭で教主様が

調度油をお掛けしている時間です。

 

突然彼が彼女の部屋に手荷物をもって

現れて

信徒様は成就したのでした。

 

そしてこれは本当に不思議な

事ですが

やはり信徒様が報道番組視聴中に

みたカップルは

彼と略奪者だったそうで

配線が焼け焦げた事件を考えると

信徒様は非常に恐ろしくなった

そうなのです。

そればかりではありません。

略奪者は彼の子供を

二人堕胎していて

子供が産めない体になって

しまっていました。

 

その事で険悪になった

二人はすれ違ったのでしょう。

 

略奪者と別れ

信徒様の元に帰って来たのでした。

 

成就の厳しい道のりにより

成長した信徒様の悟りは

素晴らしいものでした。

『私は、略奪した彼女が堕ろした

赤ちゃんの菩提と、何より彼女の

これからの幸福を祈りたいです。

その為にどうか教主様に歓喜童子様に

彫られている私の名前の横に

彼女と二人の名も無い赤ちゃんの

出来れば戒名を刻んで下さい』

 

私は教主様とその信徒様のお言葉を

読んで

その信徒様は

真実の成就を手に入れたのだと

大変喜びました。

そして

先月その信徒様は

見事入籍を果たされたのでした。

 

私達は

常にこの信徒様が頂いた功徳の

道筋のように

常に心に

神を据え置く事を忘れてはなりません。

その神を忘れず

心に神を据え置く大作業こそ

大祭であり

 

愛染聖天様の愛であり

果実である

摩訶不思議な功徳を世に示す

歓喜童子様の功徳を

仰ぎいただく行事こそ

歓喜童子大祭なのです

 

この大事な行事を

私達聖天教信徒は一丸となって

成功し信仰に篤みを増させ

その強力な

御護り教化を是非実現成功

させなければなりません。

 

去年

教主様は毎年の事ですが

数々の奇跡を私達に見せて下さいました。

それを挙げれば本当にきりがありません。

 

しかし

そのような教主様しか

この日本ばかりでなく

世界に於いても

起こし得なかった奇跡。

それを実際に私達はまるで三度の食事の

ように見せられる喜び。

 

その事を私達は

しばしば忘れがちですね。

 

忘れかけている方は急いで

過去の教主様の活躍を

再度見返すべきです。

 

9割の予言を的中させ

実際に癌を消滅させてしまう

その強大な神通力をです。

 

それを見返したなら

是非反省して下さい。

 

如何に自分の心が

常に神、教主様

そして信仰を据え置こうとする

行為に薄い事かを。

 

春の大祭。

私達の心に吹く

気まぐれな春一番の風から

私達の信仰と功徳を

しっかりと取り戻す

それこそが大切な大祭です。

 

 

 

聖天教 兆象千宰