教主様夏の大祭御法話

教主様の令和弐年愛染双身大聖歓喜天大祭(夏の大祭)

での御法話を教化の為に再掲載致しました。

 

 

【教主からの抱負】

 

皆は随分待っていたのではあるまいか。

この私が年頭に予言したこの年に降りかかる不吉なる災いを

我が愛染聖天との神通の御業により降伏する祈祷を修する事を。

今か、今かと、である。

そうしている間、

不吉なる災いは大禍難となりて

全ての国々を飲み込み、やがては我が砦である

信徒までを包み込んでしまった。

誠にこの新コロナウイルスという災いは不吉極まり無く

私達の眼前に黒き霧となりて立ちはだかり

未来を曇らせてならない。

 

しかし私は何もただ手をこまねいていただけでは無い。

 

私は待っていたのだ。

 

来たる災いをもたらす悪の根源が宿る期日の到来を、である。

 

新旧の閏年が重なる今年

旧暦では、同じ月を二度繰り返し閏とし、その事で

ずれた時間の調節を計る。

 

今年の閏は四月が二度来る。

そしてその二度目の月こそ

現在も私達に大いなる禍難を与え続ける

凶星の月、閏四月なのである。

 

私は、この閏四月に我が八百万大小聖天の帝たる

男天を修法する大祭をぶつけ

全ての信徒の力を借り、

百数十年に一度の甚大な厄災を

全ての人の世ばかりか

我が教えの砦である

聖天教信徒一人一人にあまねくもたらさんとす。

この凶悪たる星月を

降伏せんと

密に決心していたのだ。

 

期間は一ヵ月

通常一七の大祭の日程を特別に今年だけは改定し

恐ろしい災いの元凶たる

閏四月を支える眷属たるや二九日間の全てを

しらみつぶしに降伏し

その根を絶やし、大運気に変えたいと存ずる。

 

しかしながら、相手は強大な悪因縁を持ちたる

災いである。

せめて刺し違えても

我が聖天教信徒へこれから降りかかる災いだけは

全て取り払い

その厄災を大いなる幸に変えてしんぜようと強く存念している

次第である。

思い出して欲しい。

私が過去、爆発寸前の原発の爆発を皆の目の前で防いだ事を。

奈良の99%決壊をするはずの奈良の土砂災害を皆の目の前で

秘法により防いだことを。

余りの日照りで世の人々が大地に水を欲した時

皆の目の前で祈祷により台風を逆さに向け雨を降らせた事を。

西日本の空を降伏し

歴史的大雨を皆の前で防いだ事を。

 

日本は、私が春の大祭で我が天帝と感応し予言した通りの

厄災が起ころうとしている。

 

私は皆の教主として

最悪、あなた方だけはこのような恐ろしい運命から

命を懸けても救わねばならないのだ。

 

然るに

皆の一丸となっての祈りの力を、どうか私の

愛染大浴油秘法修法の御業に捧げ

助力して欲しいのだ。

 

我が稀有なる神通、霊能を受持したる者である

事は周知の事実である。

 

その私の予言は悉く的中し世間を震撼させて

来た。

 

私は自分の予言、特に年頭の予言は

ある多々なる経験から

的中し過ぎず、また名前をぼかしたり

また知っていてもそこには書かず

他の予言の中に、象徴的に散りばめて告知している。

何故なら、それが我が教団を守る術だからだ。

世の中とは、真実を嫌うのだ。

私の令和弐年の予言を上から下まで観てみるといい。

現在世間を騒がしている政治的大問題を

私は的中させている。

 

話は逸れたが

そのような私の霊言さえ

皆は、祈りの力により

その時々の的中の日時や形を

変えて来た。

 

まさに私達聖天教団が一丸となって

何かを祈れば、大いなる奇跡が起こるのだ。

 

その力をこの大祭でどうか私に貸して欲しい。

皆の祈りの助力こそが私の大いなる

唯一の武器になるのだから。

 

武器といえばもう一つある。

 

予てより、皆に申していた。

『愛染大聖歓喜自在大天観世音菩薩礼拝作法』が

刷り上がってきた。

 

あとは流通の手続きをするばかりなのだが

恐らく大祭までには間に合うと思う。

 

この礼拝作法は

全ての歓喜天礼拝作法の中で最上のものである。

何故なら、次第の中身を

修法になんの知識も無い在家の信仰者が

修する事の出来る、初心者の為の浴油供に

なっているからだ。

その為、礼拝の中核に至れば

そこには門外不出の歓喜天の呪文が掲載されている

そして歓喜天の大呪や陀羅尼の訳を

聖天信仰の歴史に於いてはじめて掲載した。

これは全て

私が今までの聖天信仰全てを見つめて来て

行者ばかりが知っている事が多く

その修法の功徳を、常に行者側が独占し

やがては

本当に信じる者を導く祈り、生き方を本地とす

宗教家たる矜持が

全く忘れ去られ、遂にはその行者さえも

己の修法や様々な聖天信仰の神髄を

忘れてしまっている現在の聖天信仰に

一石を投じたいと思ったからだ。

 

聖天教信徒以外でも全てのお経や

呪文から愛染の語句を取れば

それ即ち、それぞれの聖天信仰を最上に導く

聖典となる事でしょう。

 

そして信徒はこの礼拝作法を入手し

時間があったならば

正念誦の部分を私が記したように

念入りにしてみなさい。

その箇所こそ。

あなた達が出来得る念誦作法による

浴油の部分になるからです。

 

即ち我が書き上げた

『愛染大聖歓喜自在大天観世音菩薩礼拝作法』は

行者の修する

『華水供』以上『浴油供』未満の

在家が修する最も強い呪座なのである。

 

であるからして

もしこの礼拝作法の流通が大祭に間に合ったならば

皆の祈りの力は必ずや倍増され

凶星たる閏四月と対峙する私の修法も

必ずや違ったものになるだろうし

何より、信徒の心願の成就は計り知れない

影響がもたらされる事は確かだ。

そして最後に閏をもたらす太陽と月の話を

しておきたい。

 

皆には、旧暦を使用しての修法日程により

大変な苦労を掛けていると思う。

私もそれは感じている。

旧暦は私達の現代の生活習慣に全く合わないからだ。

不便を感じている。

 

しかし、月の周期を使用する修法は

全く間違っていない。

しかもそれは極めて強大である。

 

星とは意識の塊である。

愛染聖天様が説かれる世界観から申せば

沢山の意識が一つの塊となって私達の世に

具現化された存在である。

 

月も太陽も意識たる存在なのである。

霊体たる存在といったら受け入れやすいだろう。

 

太陽は月より、大いなる力を持っている。

 

だからして、その一時をとって

太陽の霊力を頼りにした修法である

太陽暦を使った方がいいのであるという

いう方々も多いし、実際に現在の聖天信仰に

於いて、旧暦を使用しているのは

私だけである。

 

しかし、太陽はこの太陽系にある惑星だけに留まらぬ

沢山の隕石、塵にいたるまで照らしながら

その霊体の愛を注いでいる。

 

では月はどうでありましょうや?

月は私達が住むこの地球だけを見ている。

私達の意識、霊体の集合体であるこの星だけを

見ている。

その愛を注いでいるのだ。

 

畢竟それはこの星に存在する霊体である

私達一人一人を見つめ

愛を注いでいるのだ。

 

その愛は裏切らない。

そして一途なる強大である。

 

故に月が満月に輝ける時

全ての人々は内在する血潮をたぎらせ

愛を求め合い

果ては子供を育み、産み落とす。

 

月の愛はこの地球の一切生命を

発生させ、育んで来たのだ。

 

その月より有漏界の雲垂れ込め

現出する聖天様の事を鑑みれば

その存在は私達人界に向けられる

聖天様の愛の象徴の具現と言って良いのである。

 

そして閏とはその愛たる月が

常に降り注ぎたる愛の日月のずれに

現れる不吉なる意識なのだ。

大いなる宇宙の銀河全てに、いえこの人界も

大いなる愛と共に至らぬ意識が存在し

立ち込めている。

このような意識がその愛たる月のずれに

入り込み悪事をなすのだ。

 

よって閏を凶星、つまり災いなる意識をもった

星々の意識の集合体なのである。

 

夏の大祭が始まってから、もし空を見上がる事が

あれば月を見つめて見なさい。

 

そこには愛染聖天様の愛の引力が溢れているはず。

いえ、愛染聖天様の愛たる月は

懸命に、この閏四月の悪事たる意識を

闘っているはずだ。

 

私達人界全ての生命を守る為に

いえ、何より愛染聖天と血の縁を結びし

聖天教信徒一人一人を救済し、大いなる成就を与える為に。

 

だからこそ私達は全霊を持って祈らなければならないのだ。

私達が全てを捧げ帰依してならない

大聖天を守る為に。

 

 

聖天教 兆象大宰

 

 

 

追伸

 

腹立ちまぎれに

壁を殴れば必ず手を痛めます。

力任せに岩を蹴れば必ず足に怪我を負うでしょう。

それは乱暴で人を傷付ける振る舞いや言葉も

同じです。

それはやがて同じ痛みとなって

己に反ってくるものです。

非常事態宣言の中、ストレスと抱える事が

あるでしょう。

しかし、聖天教信徒ならば

そのような中であればある程

生活を共にしている愛する異性や家族、友人に対し

愛深い振る舞いや言葉を心掛けましょう。

花の種に水をあげればやがて大輪の花が咲き

私達の心を和ませてくれるように。

愛ある行為は

必ず私達に愛となって反ってくるはずです。

 

政府を信頼し、常に愛心に於いて

人の模範となるようこの時期を

乗り越えて行きましょう。