令和五年夏の大祭に臨み=教主より

愛染聖天曰く

『この世は夢の如し』

即ち

己自身の身の上、眼前に立ちし全ての

事象とは、

皆、自身による煩悩髄煩悩の顕現にして

つまりは

取り巻く全ての衆生それぞれの

例え悪心であれ善心であれ

是、自心得証の勝覚の度合いに通ず。

 

故に己が身辺に若し悪事変

顕れし時は

正しく菩提心をもって

神仏のその教えを目掛け

一人ばかりか

皆をかして

祈りを寄せ立てる事こそ上品とす。

 

斯くなるは

将に一人の眼前に広がる身の上は

実は一切衆生の身の上であり

将に一人の悟りは

実は一切衆生の悟り也と解き明かすもので

畢竟

愛染大聖天の先の神言の秘密を

将に是

証示すもの也や。

 

かるが故に

我々全ての衆生(化生なる霊らも含め)は

懸命に菩提心を発起求むる事こそを天命と知り

それをば確かに通じて果たし

以て明らかに為してこそ

其処に初めて

世の幸せと、己の成就なる福徳の世界が

雲海の如く垂れ込めるもの也て

 

『五智を磨く』

この己の身の上に在る全ての意識の研鑽は

やがて

必ずや衆生をして

救済金剛なる清浄心を堅持した

般若の悟りを獲得するに至る。

 

其は正しく

未だ足りぬとは云えど

されどやはり三界勝過を成す為の

最勝の道にして仏体。

 

其は正しく

虚空界に遍満す

寂滅平等究竟真実の

諸仏の智を招来実現成す者。

 

其は正しく

この世の一切の悪因縁

悪事象を

一切幻焔であると

確信を以て悟り

果たして全ての悪因縁

悪事象を

将に幻焔と消し去るを成せる者。

 

此処に於いて

聖天教信徒よ、

良く聞き及ぶべし。

 

斯くの如き激しき

五智磨瑩修業による悟りによりて

遂に成り現る

その御身霊体たるを以て

是を法身と云う事を。

 

つまりこの三千大世界の虚空に垂れ込める

神仏の意思。

それを我らの教えに即すとせば

正しく愛染大聖天のそれは意思にして霊体であり

その曼荼羅に描かれし神仏らのそれなのだ。

畢竟

それは既に五智磨瑩修業を行った者の

肉体を離れた高尚なる精神の存在にして

その修業によって離れた高き悟りが

将に三千大世界の虚空に確かに遍満する

数多の神仏霊体が創り出している

たった一つの最上のその精神と結びつき、

それら全く姿形の無い最上最勝の神仏等の精神の

総合が

やがてあたかも一つの神格性格を持って

姿を成さんと

この世に現れると言って良く、

 

而して

法身とは

己の精神を離れた

虚空に遍満する

神仏のダルマ、真理が遂に

我ら衆生の心内ばかりか眼前に

形成されて行く姿を言うのだ。

 

この法身が我が法力で入魂された時

それこそが

我が造像せし愛染歓喜童子を始めとする

数々の仏像でありお札と成る。

要するにそれらは

全てはこの三千大世界に立ち込める

巨大な霊気、

その意思であり教えであるダルマと真理が

法身となって

封じられた賜物であり

 

秘法とはつまり

仏像のように形を成さぬ法身を

目的の相手にぶつけ影響を加える技なのであって

 

少々横道に逸れたが

つまりは

我々の祈りとは

菩提を追究す事を是とする

この三千大世界に遍満す

全ての神仏、要するに愛染大聖天の

大愛の御心に見合った祈りを奉げれば捧げる程に

これは通じないという事は無く

必ずや

この三千大世界の法身とその願いは成し

それは奇跡成就を生み

やがてはその法身から生まれる

ダルマと真理に自分ばかりか

皆が導かれて行くものなのである。

 

『故に私達は祈りを忘れてはならないのだ』

 

このたった一行を皆に教化する為に

随分と長く、縷々その理を説いてしもうたが

だがその理が解らねば

やはりこの三千大世界に遍満すダルマ、真理には

絶対に通じる事は出来ないものであって

 

だからこそ

私が入魂する仏像や御守りは

何故、斯くも懸命に長い年月をかけて入魂されるのか?

何故我が秘法を秘法と呼ぶのかも

その苦労さえも

それにより理解出来るだろうし

 

その理を知る者こそ

通じれば必ずや功徳成就を得る心を

やはり解るだろうし

 

だがしかし、その理を理解しようとせねば

幾ら私の法力の傑作である仏像や御守りが手元にあろうと

決して己が身の上に役立てられないであろう事を

信仰白日

明白なるをもって知る事がやはり出来るだろう。

 

そしてだからこそ私が何故常日頃

いとも簡単に「エイ、ヤー、はい出来ました」と

仏像を入魂す行者の輩を

批判するのかも真実良く知れた事であろうに。

 

畢竟、

将に法身とは素晴らしき祈りの修業研鑽踏破の峰に

初めて立つ偉業なのだから

決して簡単に考えてはならぬのであり

また、それ程美しきものなのであり、霊験に満ちた

姿であり、仏体なのである。

 

明日から我ら聖天教にとって一番大切な行事である

愛染双身大聖歓喜天大祭(夏の大祭)が始まる。

 

この大秘法大祭は

愛染大聖天。

その大神力の真の魔力を司る

男天様を祭る唯一の供養大祭である。

 

私は今年の初め皆に

『今年は地が熱く激しい地震の年になる』と

予言したものだが

 

どうであろう

その男天を供養す夏の大祭が近付けば近付く程

石川で千葉で

私が霊言示した如く

その通り大地は震え

各地で不穏な地殻変動が相次いでいる

それは世界でもであり

 

実は

私の法力により愛染聖天様が歓喜霊験を

示す時、必ず世の津々浦々で

非常に激しき

天災が創り出される。

 

それは何か異様な迄に

まるで男天が女天を求め

女天が男天を求めるばかりに

我らの眼前に広がる現世は

あたかも愛染大聖天様ご夫婦にとっては

小さく儚すぎると言わんばかりに

それは常に創り出される。

 

そして現在

そのような天災は

私の予言通り

アメリカを無数のハリケーンが襲い

昨日はミャンマーでサイクロン。

イタリアでは歴史的洪水。

南太平洋ではマグニチュード7.7の地震。

これにより

私の予言通り

本日津波も若干発生するに至ったという。

 

私は一人の聖天行者として

そして

この現世に愛染大聖天という唯一生きた大聖天と

現在言われる大神を招来した者として

これは実は本当に激しく感じてならないのだが

是ほどまでに

激しく歓喜して止まない男天様を私は

これまで見た事が無い

 

それは信徒の皆もそうであろう。

 

そして私は

このような激しき歓喜を

実は年頭より既に感じていた。

 

だからこそ激しき揺れる今年の大地を感得したのだった。

 

そしてこのような地が熱く大地が激しく揺れる年は

昔から何故か愛縁の願いが激しく向上功徳を成す年になる。

それはまるで

その大地までを熱くする男天の愛心が燃え上がるようにである。

 

現実に大祭前ではあるが

実に困難な恋愛の願いが既に何件か叶ってしまった。

 

だがこのような年の愛染聖天様は

恋愛は良くても、他の事に影響を及ぼしたりもする。

また、私から見ても余りにも困難な恋愛の願いが叶うのは良いが

余りに激しく男女が燃え上がり、暴力沙汰になったり

望んでいない妊娠をしたり、

最悪はあのように激しく愛し合っていたのに

調伏呪いころして下さいとまで事態が急変したりする事が多々あるものだから

今年は、どうか余りにも強すぎる御本尊様の歓喜を

和らげる為

これは実に真剣に、千宰や本部の者にも加勢して貰い

愛染聖天様歓喜平癒の修法に励み、秘法を施してもみたのだが

ここ今日に至っても、御本尊様の愛縁の神意は

日を増す事に熱く煮えたぎり

その歓喜に治まる気配が全く無いばかりか

それは反って煮えたぎっているようで

遂に数々の大天災と若干の津波まで

見せるに至っている。

 

だからこそである

 

どうか信徒の皆には

このように打ち続く天災に喘ぐほうぼうの方々の為に

厳修日々その平癒の祈祷に勤しむこの我の祈りに

是非ともその祈りを寄せて貰いたいのだ。

 

上記にも説いたが

畢竟

それこそがそれぞれの心願成就と

信仰悟り獲得の何よりの道に通じるのは必定にして

そしてそれは何より

法身を成し、己ばかりか

全ての世と衆生を救済して行くのだから。

 

私は教主として

将に明日から始まる夏の大祭を前にして

その事を強く皆にお願いしたいと思い

今日筆を執ったのであって

 

今年の

このようにあからさまに愛縁大歓喜を

まるで隠れ無き様にて

世に現し始めた今年の愛染大聖天様の

その行いに対し

どうか伴に血縁ある者として

その御本尊様の功徳の反面に喘ぐ人々への

祈りによった救済の実現と

我らが日頃、この人生を預け信奉して止まない

御本尊様の、その人智を超えたそれら振る舞いに対しての

祈りによった

その神力の後の始末を

どうか一人でも多くの命が失われないように

助かりますようにと

伴に祈って欲しいのである。

 

そして何より

そのような救済の祈りによる

法身への接近は

皆のそれぞれの

奇跡顕現による心願成就と信仰成長への

何よりの唯一の近道になるだろうて。

 

畢竟

明日より始まる大祭の成否は

近年稀に見る大歓喜を振るい示して余り無い

御本尊愛染大聖天様の

その大愛救済の法身の真の真理に

我ら一丸なる菩提心その祈りが

さては如何ほど真に迫る事が出来るか

全てがそれに掛かっているのでは

あるまいか。

 

 

令和五年五月十九日

愛染双身大聖歓喜天大祭(夏の大祭)施行前夜

教主として教化此処に記すもの也。

聖天行者 兆象大宰

 

 

追伸

 

然れば

何をか以て

福智心願歓喜

を得んや。

 

菩提

得証

為さざる者

焉んぞ

法身円備

適い難し

 

聖天教信徒よ。

菩提を持って

祈りを寄せよ。

 

 

さぁ

時まさに

前夜を迎えし今

私はこれより

令和五年

愛染双身大聖歓喜天大祭

その開白の大秘法壇最たる

洗浴の座に

一己の無欲なる聖天行者として

いよいよ勇み

向かわんと

欲するもの也。