私はここ数年になるのだろうか?
言葉を更新していなかった。
何も慢心していたわけではない。
信徒の心願と日々真剣に向き合いながら
その中で私は
大変な修行を遂げていたのだ。
そして私はある自分があるべき真実の姿を
ようやく獲得したのだと思う。
それは、己の欲を脱ぎ去り
信徒並びに三千世界の衆生のあらゆる
欲、業、思いを代わりに纏い、己の魂を捧げ、時には
喰らい尽くし、信徒の皆を、世界を
成就を通し、救済してかなければならないという
愛染聖天様と同じ、心と請願、そして三昧を
己の人生をもって同体と成して
行くというものだ。
しかし、そのような事は、世間では余るほど
仏教本や思想本に沢山掲載されたり
また教えられたりもするのだから
軽々に、人に教化する人もいるだろうし
私も過去にそうであったのかもしれないが
本当の意味でそれを獲得し、達観していくのとは
それは違うのである。
私が獲得したその悟りは
永遠と続き、また止むことの無い
愛染聖天様との長い秘法を編む生活の中に於いて
愛染聖天様の尊像の中より湧き上がるように
また、私の心、身の内から
まるでマグマが沸き起こるかのように
私の精神に流れ込む事によって
初めて成されたものなのだ。
一見、普通の人間であったら
願う者の為に己の欲を捨てる、魂を捨て、神に喰らわすなどは
特に現世利益を強く志向する方々には
己の成就無くして、なんの聖天よと、
そう思われると思うし
また聖天の行者に至っては特に欲が強い人間が多いので
尚の事そう思われるであろうが
しかし、行者はやはりそうであっては駄目なのだ。
もしそうであったならばそれはやはり行者として間違っている。
聖天様はそのお力、慈悲の現世利益
共に大変強い
故にその聖天の行者は
誰より欲が強いのでは無く
誰より、欲を捨てた人間でなければならい。
まして愛染聖天様である。
全ての神々の主尊であり八百万大小聖天の帝である愛染聖天様は
その慈悲の強さのみならず
最高の神であられる御方である
その神を主宰する私は尚の事である。
私は千宰にも言わない方がいいと言われて
いるので明確には明かさないが
人間として耐えがたき
壮絶な苦行をこの身に強いている
その苦行なる愛染聖天との約束は
敢えて、近いもので言い表すとすれば
何日も眠らない苦行のようなものに近く
人として生まれ、耐えがたきを
耐える苦行である。
そうである。
なにを隠そう。
私こそ
古えに於いて
目を合わせる事も恐ろしくて憚られたという
禁欲の聖天行者の行じて来た、
いやそれ以上の苦行を
現代に於いて、
この兆象大宰こそが
ただ一人、それを体現しているのだ。
(この行をはじめ三年と経った頃からだろうか
私に悪い願を掛けたり、調伏、攻撃を加えたものは
何も私が祈らなくても、その者らは
一人でに破滅し、また何人かは現実に死んだ)
私がこの行に於いてとても辛いのが
体に異常を来す事だ
その器官は時には腫れ、時には膿
そして私に非常な苦しみを与える。
しかしながらこの壮絶な行は
自分で決めた行である。
私は、これはこの部分から病気で近いうちに死ぬかもしれないと
感じる事が多々あるのだが
その度に行を達成する為なら
愛染聖天様にこの一命捧げようと常に思っていたし
今もそう思っている。
全て信徒の為、衆生の為である。
またこれに加え、行といえば、
今までにも信徒の為に一週間、二週間と飲み物のみで絶食をしたり
飲まず食わずを何日間、やれこれを断つ、あれを断つなど
数限りない身体的挑戦を私は修めて来たが
今思えば、私はこのような行から何も得る事が出来なかったような気がする。
皆苦行終わってみて、この度の達観より得た
非常に暖かい、そこはかとなく暖かい
心から沸き起こる、自己犠牲の達観はそこには全くなかった。
苦行が終わったあとそこに残されていたのは
まるで空手家が合宿で体力を付け、
暴力の達人になったように、
苦行によって身に付いた、更に大きい我欲の塊のような
自分が、決まって存在しているだけであった。
それはとても恐ろしく非常に醜かった。
山で修行しても、元々ある体力に更なる体力が得られ
そして終えた時には、更に強い我欲の鬼がそこにいるだけであった。
要するに人も己も何も救われてはいなかったのだ。
私はこの度
二人の信徒の家族を救う事が出来なかった。
お二人とも長い信徒様である。
お一人はご友人も(すべて信徒様である)
そしてご本人も癌を患ったのだが
皆さん回復なさった。
しかし今回は随分長い期間祈願したが
お一人のご家族は一時だが癌が消えたのだが
亡くなってしまった。
私は、沢山の方の病を奇跡をもって救ってきた。
それだけに自信があった。
しかしながら、
この信徒様の大変、切々とした
いつもよこされる家族への愛には、特に心を打たれたものだから
非常に心配をし、念を入れ、救済しようと決意し
祈願しただけに、残念な結果に、私は大変なショックを受け
しばらく食べ物も喉を通らなかった程だった。
私は、この信徒の家族の壮絶な苦しみを手紙で
拝見し、日夜、秘法を修練した。
亡くなったと聞いた日、恐ろしい事に
お二人とも全く同じような日取りに
亡くなってしまったのだ。
これはお二人にも言っていないから、恐らく
これをよんで知る事になるだろうが
私は何かの強い因縁を感じた。
私はそれから何か月も回向をした。
この回向が終わった日
夜中の秘法を終え、日中、二本目に秘法の準備をしてから
休憩をしていると
私は、疲れで自然と眠ってしまったのだろう
夢の中で
そのような私の横に
千宰や信徒様が居た
そこは私が休憩している部屋であった。
正座し、手を合わす私の前頭葉に
突然
大きな光がらんらんと輝きながら入ってきて
グルグルと回りながら、遂には私に憑依したのだ。
あまりにも突然の出来事に
たじろいでいる私に
すると
その光は
「私は、愛染大聖歓喜天、三千世界の主である」
そしてもう一言
「私は〇〇大神、私は今愛染聖天に帰る事ができた」
その言葉とともに私は夢であるからであろう
沢山の理解が言葉以上に前頭葉に入ってきた。
その理解とは
この○○大神という御方は
私とも因縁浅からぬ、神道の神の御一人だった。
その神様は
六道を輪廻し、解脱を望んでいたが、
自分を祈願する人間に
招来され、そこで救済の行に励み、解脱を夢見ていた。
しかしその人間達並びに、神官、教主という者達
の心がすさみ果て
今度はそこを見捨て抜けだし、転座しようとしたのだが
人間の不信心な心になぜか封じられてしまい、
にっちもさっちも身動きが取れず
恐ろしい、調伏神になって、人間を呪っておったらしいのだ
そして、思念に於いて、私の結界を感知し
それに飛びつき、ついには解放を果たし
我が聖天教の御本尊様に付き従ったというのだ
これより、御本尊様とともに、または御本尊様に吸収された神様として
聖天教をお守りしてくれると言う。
要するに
愛染聖天様は三千大世界の主であり根源である
だからして私達を含め、宇宙のすべからくの生命は
愛染聖天様の実は一部であり
「私は〇〇大神、私は今愛染聖天に帰る事ができた」
という言葉は
ようやく三千大世界の根源に帰る
つまり○○大神は解脱をようやく果たす事が
出来たのであった。
その時、私は目が覚めたのだろうというか
ずっとこの体験がまるで現実のようにしばらく感じられて
仕方がない程、今でも正確にありありと記憶して
忘れる事が出来ない程なのである。
要するに
私は愛染聖天法により
一柱の大神を降伏救済したのだった。
そして
この日、日中の秘法を終え、
また夜半の秘法を迎えた行法の中で
それは起こった。
私が油をかける直前、佛眼真言を唱え
大根、酒、歓喜団を捧げ、よく油を加持し
我が秘法に独特の文言を愛染聖天様に捧げ
その背に三遍、救済の念をもって油を注いだ時である
多羅の油が突然大きく広がり、
それはまるで琵琶湖の湖面のように広がると
私の眼下のはずの愛染聖天が
美しく巨大な白蓮華の上に乗り、その周りを
湖面と云わず、空中と云わず、山々と云わず
星々と云わず、蓮華に乗った
愛染聖天様の御眷属が宇宙いっぱいに埋め尽くしたのである。
そしてその中に昼間に私の頭に中に入ってきた
一柱の神様がいたのである。
それは象頭人身の形をしていらした。
すると私は心で
「奇跡とは私である。全てとは私なのだ、名前を変え
皆私を見ているだけなのだ、解脱している私と
至らない私を」という愛染聖天様の声を聴いたのだった。
解脱した御本尊様に未だ解脱叶わなかった修行中の
その眷属の自在天様(○○大神)が
ずっと人間の祈りで封じられていて
やっと親である愛染聖天の元に帰ったのだと
私は確信したのだった。
すると私に皆様礼を申されると
私はふとそちらに行きたい、行かなければいかないと
まるで手招きされているような気がしたのだ。
私は行きたかった。しかし体がこわばっていけない。
その時の達観は、ただそうかと理解するような
生易しいものではない、
怒涛のような愛の知恵が突然、私の理解を襲ったのだ
「己の業を脱ぎ捨てなければならない」
愛染聖天様の声がした。
すると同時に
愛染聖天様方のいらっしゃる境界に
あらゆる三千世界の生命の望み、欲望が見えたのである
それは欲望だけではない、
あらゆる悲しさ、寂しさ、怒り、妬み、殺意、恨み
あらゆる負の感情も網羅されており
それを
宇宙を覆い隠さんばかりの御眷属と伴に
愛染聖天様はそれを我が肌として
我が業として着込み、成就してあげようと祈っていた。
私は
そのような自己犠牲の世界を見ているのに
それは恐ろしくもある世界でもあるはずなのに
私は本当にそこに、
強く、強く、
行きたくてたまらず、
まさにそここそが極楽に感じたのだ
愛染聖天様と御眷属がなさっている
己をすて、私を含めた、一切生命の業を着込み救済に励む
心が創り上げている世界が
甘い綿菓子のように
またとても崇高で犯してはならないほどの輝きをもって
私にはそれが、
そう感じられたのである。
自己犠牲という恐ろしい対価の世界なのにである。
すると、突然に重なり合う次元で祈る、信徒様や一切生命の
赤ん坊の時の事が私の思考に映り込んだ
そしてその思考が
愛染聖天秘法による
過去未来の浄化の展開にそれがなぞらえられると
突然に
一切生命の真実の姿、過去未来の生命の真実の姿
私という人間の真実の姿が、ありありと私の脳裏に浮かんできたのだ
それは全くの無垢な数限りない赤子達であった。
その時
私に一陣の悟りが到来を果たした。
私もまた悪人も過去未来を超えた真実の姿は
赤子であり、
私は、私も、信徒も、神仏も
皆、そのような、実はなんと可愛らしい
純粋な魂をしているのだと、
であるならば、
そのような無垢なる魂ならば
本当に助けなければならないし、
救われなければならないのだという
深く美しい救済の悟りが
私に流れ込んで来たのである。
するとその時、
愛染聖天様のどんな人間でも
例え悪人でもどんな願いでも叶えてあげようと
いう御請願が
私には、ありありと本当に理解できたのだ。
その思いは愛染聖天様と、
深く共感を果たしたように思えた。
その刹那である。
ふと愛染聖天様の方を私が注視すると
その時私の眼と心に映り込んだのもの
それは愛染聖天様と御眷属様方の魂もまた、
赤子であったとい事実が映ったのだ。
そして私は、その姿に無限の純粋を見
またその純粋さは、決して犯してはならない
智慧そのものであるのだなという悟りを
獲得するに至ったのだ。
愛染聖天様を騙してはならない。
私は子供のように、純粋にそう一言思った。
備考ながら
私はこの時、行法に於いての洗浴供養の何たるかを
獲得もできたのだ。
そう思った直後
私は見てしまったのだ、
ありありと自分のこれまでの行法の於いての醜さを
まるで走馬燈のようにそれは私の思考に流れ込んで来たのだ
断ち物の怪物がそこにいたのだ
上記で申したような、断ち物の怪物がである。
その怪物は我であった。
そして
その怪物の心には
欲を喰らう鬼はいても、
人の業を着込み救わんと欲す赤子の心が一欠けらも無かったのだ。
私は合掌した。
そして私は泣いたのだ
己を悔いた。
信徒の御家族を救えなかったはなぜか、それは己が鬼であったことにあったのだと
その鬼に私は原因をまざまざと見たのである。
また、その我である鬼の眼の前に鎮座する
愛染聖天様と御眷属様方に、
あらゆる生命を救わんとする
この世界の善を私は見たのだ。
そしてその善なる偉大な魂は
まるで私が小さい時に漫画で見た、
手塚治の火の鳥のようであった。
私は、偉大なる御本尊様に、心からしみじみと手を合わせた。
真から私は本当に有難かったのだ。
いつしか私は御本尊に油を掛け終え
その時、昼間の事は夢では無い夢で
本当にあの○○大神は降伏され、
そのお礼に私に何年も悟り得なかった
とてもとても大事な
真理の断片を教えてくれたのだと私は悟った。
その後、私は亡くなられた
信徒様のご家族に対する御神籤を引いた。
すると、あの悲しみの結果は
その壮絶な闘病の苦しみから救済する為の
愛染聖天様による苦を抜く為の導きであった
事が神言によって判った。
奇しくもその御神籤の卦は
亡くなられた日と同じ。
そしてお二人とも同じ御籤だった。
不思議であった。
そして先程、その信徒様から非常に長い
御姉様の死と私の祈祷へのお礼の手紙を
恐縮だが頂いたので、それを読んだ後
愛染聖天様にも読んで差し上げたのだが
その中には
不思議な事が書いてあった。
看病している信徒さんが待合室にいて
看病疲れでウトウトしていると、
ご本人は夢の中だと仰られているが
窓の外から金色の人型の物体が現れ
彼女は大変鳥肌を立てられ、
この物体が愛染聖天様だと感じたそうなのである。
すると彼女は
「309号室は姉がいますので、どうか助けて下さい」
そう急いで頼むと、その物体は
御姉様の病室に消えていったというのだ
その後食欲も無く、まさに死を目前なされており
御家族が藁をも掴みたいと願う状況の中で
突然御姉様が
「おにぎりを食べたい、シーチキンとしぐれを食べたい」
そう求められたらしく、
そんな食欲が沸いてくれた事が大変な
奇跡のようであって、ぎゃくに申せばそれ程
状況が悪かったのだ。
その後御姉様はお亡くなりになってしまった。
この方の御家族は長い間有名な宗教団体で
神道の神様を信仰なさっており
教団内でかなりのお役職に御就きになっていた。
しかしご家族がこの御姉様の死に接し
今までの信仰を止め、
聖天教を信仰したいと申されており
そしてその死に
何か因縁があったのではないかと
今でも心配なさっていらっしゃる。
またお手紙の中ではお父様のご友人も白血病になり
わずか一か月半でお亡くなりになってしまったのだそうだ、
手紙には御姉様が若くして癌になって三年ももったのは
聖天様のお陰と
仰ってくれていたが私には心苦しかった。
因みに千宰の御家族も有名な宗教団体に大変帰依した有名な方で
新聞会社を創業なさった方なのだが
皆、癌で壮絶なお亡くなり方をしているのだ。
このような因縁の中で
この信徒様と千宰も、そしてこの信徒様のご友人も
御本尊様に帰依なさった方々は
全て癌は克服していることには何よりの
教主としての助けになっている。
私はこの手紙を涙しながら読み、
私が体験した
神様との邂逅と
信徒様の手紙から知った、体験談
そして
私がこの信徒様の救済の祈祷を通し
獲得した真理と
全て、ちぐはぐには感じるが
今その手紙を目の前にして
いる私にとっては
何か全てがつながっているように感じられてならないのだ。
そして
私が夏の大祭の抱負を掲載した途端
これも不思議なのだが
沢山の信徒様から
私の魂を吹き込んだ、
歓喜童子、十一面様、お守り等から
私がしばらく言葉を休んでいた間、
丁度、上記の信徒様が待合室で物体と触れ合った
時期に重なっていると思うのだが
もう十人をこれは超す体験なのだが
皆、光を見たというのである。
「千宰様、これは愛染聖天様ではありませんか?」
そう皆訴え、それぞれの体験談を寄越して来たのだった。
私は嬉しかった。
何故なら私はこの光の多数の体験を通し
「あー私と信徒は繋がっていたんだな」
そう思ったのだ。
私は自負している。
私の開眼の仏像は物凄い
手間をかけ入魂しているのだが
絶対に生きているのだと。
(随分前に言葉に掲載したが
インターネットで信徒を騙し、私の信徒を退会させ
お金をとって、私の仏像を魂を抜いてやるからと
預かったそうだが、
母親が死に、本人も膵臓か肝臓の癌で死にそうになって
慌てて私に返却してきた人間がそういえばいた事を覚えている)
話を戻そう。
なんであろうかこの不思議な体験を
沢山の信徒がしているのを鑑み。
また、私が達観した、そして導いてくれた、己の欲、業、全てを捨て
信徒、一切衆生の願いの全ての業を代わりに着込むとういう悟りに至った事を
まじえ、
私は、一重にこの命を愛染聖天様に捧げ、
この魂を愛染ん聖天に投げ出し
救済の道を歩むことこそが、
私が愛染聖天から賜った、
私の運命、使命なのだ、
でなければ、こんなに予言が的中したり、
癌がなおったりするはずがないのだ。
そして、私は信徒の皆も、
そういった運命を持った人ではないのかと私は思う。
何故なら、私と出会い、
祈祷を通し、
もう既に信徒は皆私の魂の一部になっているのだから。
今年のはじめ、私はもう信徒をとらないと決めた。
しかし、この一連の不思議な体験を通し、それは撤回しなければなるまい。
何故なら
愛染聖天様から頂いた、このような不思議な力を持つ者は、
信徒の皆は既に誰よりわかっていると思うが
日本で、現在、確実に、この私しか居ない。
これは全て有難い事に、愛染聖天様から私のみが頂いたものだ。
救済という使命の為に私が頂いた運命なのだ。
そしてその私が、
その頂いた、使命、運命を投げ出した時、
私は六道の最下層に落ち、私の魂が人間界まで這い上がるまで
恐らく気の遠くなるような時間を費やすだろうし、
そして何より、
私がもし地獄に落ちる時は、決して、
私の為であってはいけないのだろうとも思う。
私が地獄に落ちる時は、
信徒達と一切衆生の為で無くてはならないのだから。
そういった使命だからこその
この頂いた力なのだと私は今だからこそ
思えてならないのだ。
信徒の皆さん。
言葉の掲載の事
これまですまなかった。
但し、私の真の姿は、秘法にある、時間が作れない時はどうか許して欲しい。
新しく入信したいと待っている方にも悪かった、厳選はするが
今待っている方は、もう千宰から聞いているから
喜んで教団の門戸を開こう。
皆、伴に歩んで行こう。信仰の道を。
合掌 聖天教教主兆象大祭
追伸
欲望、願い、希望、期待、感動
恨み、苦しみ、怒り、諦め、憎悪、絶望、
悲しみ、空虚、切なさ、劣等感
恐怖、不満、恥、嫌悪、軽蔑、
嫉妬、罪悪、後悔、等々
数限りない皆の業を
私と愛染聖天は皆の代わりに
この身に纏い
昇華させ
成就導かんとしています。
故に
皆も安心して、私にその業を投げ出しなさい。
※これから年末までの半年、地震、水害等、気を付けて下さいよ。
関西方面、西日本は地震特です。
※事務局の方からの達しで
信徒様の対応は土日は、特に緊急の場合を除いて
休ませて頂くので、どうか御理解頂きたいという事です。