安倍首相

 

私は宗教家である。

 

宗教家とは、常に虚空より垂れ込み

宣いてならぬ

大宇宙の不滅の意志。

 

つまり我々聖天教の教えであれば

三千大世界そのものである愛染聖天様の不滅の意志に

対し、己の全てを捧げ殉じ奉り生きる事を矜持とする者を

云う者だと私は存念している。

 

その意志とは

正に大愛。

 

この如何なる観音の慈愛。

如何なる如来の悟りを超えた

果てしの無い

大いなる愛は

その一端に触れただけ

その誰もが、必ずや

その愛の教えに深い共鳴を憶え

そして導かれ

気が付けば

途方も無い永遠の時を

一切衆生を救わんと生き給う

三千大世界そのものであられる

御本尊愛染聖天様の

その御誓願、その存在の在り方に沿い、

我もまた一切の他を救わんと

必ずや誰もが信念を来すものである。

 

つまり

いよいよ宗教家なる者とは何ぞやを

迫り申せば

それはやはり

大宇宙の発する救済の心。

要するに

我等が教えからすれば

愛染聖天様という大神が受持行使なさる

大愛という一切衆生救済の道に対し

添い遂げ、全うを極めんとする者也て

 

畢竟

その救済奉仕の道に於いて

完全なる心身魂を差し出し生きる

一己の行者こそ

我、聖天教教主兆象大宰なのである。

 

かるが故に在る我が生き様は

路傍の木石。

我を捨て他の願いを叶える事のみを思い在る

我は風雪を枕とし喜々とする

儚き木石でなければならず

 

時折

叶い導かれし者により

その悟りし境地をもって

しみじみとその目にだけ

美しく映れば

そこに我という木石の本懐がある。

 

然るに

本来、そのような我が宗教家としての

存念には

世の有情を如何無く映しだす

政治的なものは

決して入れてならぬもの。

 

しかしながら

そのような私の生き様の矜持を曲げてまで

応援していた

私には

一人の政治家がいた。

 

それが安倍首相である。

 

私を知る者は皆

この私に触れると口を揃え

日本一の神通力者と評す。

 

それは私の数々の霊験の証明を

見て頂ければ、容易に判る事であろう

 

しかし

その私がいつも

予見を的中出来ない人物が

たった一人おった。

 

それが安倍首相である。

 

皆も知っていると存ずるが

私はこの安倍首相の未来は悉く外した。

 

いや厳密に云えば

外したのでは無い。

 

そうあって欲しいという

余りにも好きであった為に

私はそうあって欲しいといつもそう願い

そのように

私の深い願いを

常に予言に書いていたのだ。

 

実は全てが見えていたのに関わらずである。

 

あの日本を戦後最も長く頂点で導き

未曽有の好景気を作った

最も偉大な首相なら

この未来を絶対に跳ね除けられると

私は固く信じていた。

 

しかも

私は、今年の年頭に於いて予言した

通り、経済外交と低迷が続くこの日本に於いて

昨今、安倍首相待望論が現実化していた。

 

いや日本中の誰もが

その首相再登板こそが、日本復活の鍵だと

信じて疑わなかった。

 

既に私の安倍首相に対する年頭の予言は

的中していたのだ。

 

その時流にありながら、

 

昨日、私が最も敬愛した政治家

安倍首相は

「特定の宗教団体に恨む気持ちがあった。

安倍元首相が(その団体に)近いので狙った」

という

いわゆる巷で囁かれていた陰謀論を信じる

奈良在住の元海上自衛官に

射殺されてしまったのだ。

 

そして悲しいかな

このテロリズムの発生も

私はしっかりと年頭に於いて予言していた。

 

つまり、

私は、最も敬愛する人間を

私は、我が予言によって

死なせてしまったのだ。

 

私は、この度程、

人の未来が見える事を、

歓喜天と話し全てを知る事が出来るこの力を、

悲しく思った事は無い。

 

皆には判らぬと思うが

 

時間の先が見えたり

神々や人霊、悪魔等の、見えないものが

見え、それだけでは無く触れ得る者である

私の五感は

 

常に人より深く、そして鋭い。

それは時に異常な程である。

 

であるが故に

時折、信徒の悲しみに触れたりすると

その悲しみは、まるで本人のように共感を憶え

我が心に到来する。

だからであろうか、その共感により

発せられる同情心故に、

我が調伏の法力に目をやれば

世間ではこの調伏の法力を

優って讃える者が多いだけでは無く

現実に、行き過ぎた結果を生む事が多い。

 

であるからして

昨日起きた事件によって

私はかなりの深く重い心を得たのであったが

 

しかしながら

実は今では、もう既に悲しんでばかりいられないという

元気の良い心へと

私は導かれている。

 

それというのも

安倍首相に対する心配と

『今から教主様と伴に祈ります』と言っては

寄せられた大量の信徒からの電子メールに触れたが

為であった。

 

私はその電子メール達を見て

皆、私が安倍さんを好きだから、皆もそこまで

同じく好いてくれているのは明らかであって、

私はその姿勢から

電子メールを下さった方々の

なんと、この教えに殉じる気持ちの

深い事よと。

まざまざとその篤信に対し

非常に感じ入り。

やがて

その心は

『安倍首相という一己の人間の項は閉じてしまったが

寄せて下さった信徒皆々の人生の項は閉じてはいないのだ。

私は教主として、この有難い篤信な方々の為に

命を傾け祈り導くことこそが本懐であり

是非ともそうしなければなりません。』

という一つの悟りを生むに至ったのだ

 

つまり私は

懸命にこの教えに殉じ、

安倍首相の事を心配祈ろうとしてくれる

その皆の心に、

 

導き導かれんと欲する

素晴らしい仏の慈愛を見いだし。

 

その心に

心の底から応えてあげたいと

私は思ったのだ。

 

それはまるで

悲しみに沈む私の心を導かんと煌々と照らす

無数の仏が発する

有難くも美しい

命の灯篭のように私は見て取れ

その有難さにより

私は

自ずと明るき気持ちへと

導かれずにはおれなかったのであった。

 

皆有難う。

教主として心から礼を申す。

 

そこで私からの御礼として

本日より二日間、

私に電子メールをしてくれた方々に

特別な法を修して進ぜようと思う。

 

然もありなん

 

今に生きる皆々の

今を祈祷し導く事こそ

 

十年近くの長い間

日本の国民を導き続けた

戦後最大最高の首相に対する

何よりもの廻向にもなるだろうて。

 

 

 

聖天教教主 兆象大宰

 

追伸

 

皆に伝えなければならない事が

ある。

私は安倍首相の延命の祈祷は

しなかった。

何故なら

私は、安倍首相が

お亡くなりになるのを知って

いたからだ。

千宰には

信徒も一丸となって現在拝んでくれて

いるのだから

教主もそれに答えて下さいと

何度も説得されたが

既に愛染聖天様は

その死を

三千大世界の根源であられる

その輪廻の喉元深く

飲み込んでしまっておられたのだ。

そこから戻す事など

到底無理な事であった。

 

また余談だが

例え昨日助かっても

安倍首相は、必ず誰かにまた殺されたであろう。

そして

もし奈良での演説で助かっても

次の京都でまた狙われてもいたであろう。

 

悲しいかな

運命とは抗えぬものというが

それがこの世の理なのだ。

 

しかしながら

その運命に抗える

たった一つだけの手管が

この世にはある。

 

その唯一の手管こそ

愛染大聖天の法と教えなのである。

 

故にともすれば

安倍首相自身が

我等の教えを受持さえしていれば

よもや運命を変えられていたのであって

 

『畢竟

如何に行者が祈ろうとて

本人にその信仰がなければ

如何なる修法も

運命という虚空の果てに

吹き抜け、吹き抜け

消えて行くだけの

無常の風と成り果てるのみ。

 

聖天教信徒よ。

汝等が

たなごころで結び

舌上で唱え

そして

胸の内にて抱きし

その教えには

絶えず

運命をも操る

大神力が傍らに

おわします事を知りませぃ。

 

即ち

その教えとは

愛染聖天信仰

聖天教に他ならない。』