先日来より行って来た
復興救済祈祷は本日を
もって終える事とした。
今回の祈りは
後々必ず
被災地を癒すであろう。
祈祷中
私は、祈りを寄せてくれた
篤信な信徒方と伴に
台風20号を弱体化させ
当初は、被災地域を直撃
するはずであった
台風21号の進路を
あそこまで日本列島から
遠ざける事が出来た。
また、
千葉県の二つのダムの
放出も食い止めた。
これは
大変緊迫し
私に求められた
人命を守る為に
急を要した
奇跡神通案件だったもの
で、今回の祈祷の最中
大変な精神の力を必要として
しまった。
しかし、結果見事に験が顕れ
放出を食い止める事が
出来た事に
私は大変な満足と喜びを
感じた。
私はこれでもう
充分だと思った。
今年、何度も私は
台風、水害、そして
日本の、まして
被害に巻き込まれる
はずであったろう
信徒達の負の運命と
闘った。
私もさすがに
体力の限界を感じた。
来月は冬の大祭も控えている。
その前に
少し休息を取りたいと
思う。
お御籤も今少し
解禁は先延ばしにしたい
と思っているが
信徒の皆には
どうか理解して欲しい。
二つの台風の中で
台風21号の
強さは際立って強かった
それは、台風19号に匹敵し
ていた。
それをあそこまで
動かしたのだ。
台風の影響による雨で
台風19号の被災地域に
多少の被害があったが、
あれはあれで、
私も、信徒の祈りも
限界であったろうし
何より
大勢いる聖天教信徒には
被災者が一人も出なかった事
で、良しとしていいと思う。
だからといって
皆は己の祈りの力に
自信をもって欲しいしのだ。
また
この私、聖天教教主兆象大宰の
事績も充分にそう思っても
欲しいのだ。
信徒の皆は
大きく深呼吸し
瞑想しながら。
今年
我々の起こしえた数々の
奇跡を思い返してみると良い。
西日本の巨大降水帯から始まり
台風15,16、17
18、19、20、21号まで
そして最後に二つのダムである。
このすべては
大きな核爆弾百発よりも
凄まじいエネルギーを持った
ものだった。
私と皆は、今年、台風19号を除いて
それを九割方粉砕したのだ。
台風19号に至っても
沢山の奇跡があった。
何より
あの台風は
私と愛染大聖天の
肝入りの予言の的中そのものの
台風であった。
日本でこれ程の事を
出来る人間は
私しかいない。
そして皆しかいないのだ。
信徒も
信徒以外の世の人々も
そう確信しているはずだ。
自信を持って
しばし、次に来る
事象に向け、休息を
取ろうでは無いか。
直ぐにまた
大きな地震が来年の春先に掛け
東日本の私が以前から予言した
東京、宮城、から青森に掛けて
そして韓国で
大きな地震が
待っていそうな予感がする。
祈りを寄せて下さった
信徒の皆さん。
この御助力、心から有難う。
最後に
この度の祈祷で
大雨の中、
相手の家や家族がボロボロになり
一家、夫婦、恋人が離散して
調伏が成就した者
それが幸いして、復縁した者等が
何名がいるが
そういった成就をした者は
自分の心願成就の為に
沢山の人が大変な影響を
受けているという面もあるの
だから
この時ばかりは
恨みを捨て
皆の救済を祈らなければいけない。
何やら
本部の方に
「もっともっと
苦しめて、家や家族を
粉砕してくれ」と、言って来た
者がいると言う。
聖天教信徒として
人として
これは、いけない事だ。
しかしながら
このような形での
調伏や敬愛の成就は実は沢山
大雨や地震の時に
聖天教では実は多い。
だからして
今日は敢えて、この事件を
あげつらって
教化させて貰うが
心願が成就した事は
調伏であれ、本来私も祈祷の
甲斐があったのだから
喜ばなければいけないが
見方を変えれば多くの
犠牲の上に立った成就である。
素直には喜べない。
それが
人間であり、まして
愛染聖天信仰者なら
当たり前である。
即ち
このような時は
そういった形の成就を頂いた信徒を
愛染聖天様が
この成就を通し、試している場合が
殆どなのだ。
聖天教信徒ならば
よくこのような愛染大聖天様の
お試しに、美しい信仰の悟りと成長を
持って応えなければいけない。
もし上記の信徒のように
更にその家族や家までも
いや本人も呪ったら
連動して地域の方々まで
また被災するかもしれない状況に
なるやもしれない。
まして台風など
簡単に動かす愛染大聖天様の事である
もし
「よし、叶えよう」などど
言われた暁には大変な事になる。
暴風雨など発生したら
目も当てられない。
例え調伏であっても
功徳を頂いたら
その功徳の一事万事から
愛染聖天が説かんとする
善なるものを
悟らずして、本当の成就は
その者には到来しないで
あろう。
信徒の皆も今後
こういった天変地異に際し
成就する事があったら
愛染聖天が己を試している
んだと思い
その状況に於いて
悟りの心を持ってその功徳と
向き合って
どのような心持ちで
その功徳を迎え、どのような
悟りと行動を愛染聖天様に
示すか
良く考え
聖天教の信徒としての正しい
行動を選択して欲しい。
指摘された者は
恨みに勇む心は充分に
解るが
愛染聖天の功徳は
決して無くなったり
逃げるものでは無い。
むしろ、良くその導きに
殉じれば、その功徳の光は
絶え間なく、元にも増して
降り注ぐものだ。
聖天教信徒として
頂いた功徳に対する
行動、悟り、
塾考しなければいけない。
他の信徒の皆も、また然りである。
聖天教 兆象大宰
追伸
もし、あなたが
野原で咲く
愛染聖天様から育てた
一輪の功徳の花を見つけた時
あなたはどうするだろうか?
その功徳の花のあまりの美しさに
花を摘み取り、自分の物と
していまうだろうか?
または
その花の美しさの
永遠を願い、そっと
愛でる喜びを
選ぶだろうか?
摘まれた花の祈りは
短く、功徳を咲かす事は
もうないだろう。
また、摘まれず
そのままの花は
更なる功徳の花を咲かせる
だろう。
もし信仰を励み
それを日々実践してきた
ものなら
絶対に功徳の花は摘まない
はずだ。
何故なら
そこに
咲き誇る功徳の花は
見つけたとはいえ
この野原では
決して自分だけの
功徳の花では無い。
そして、
その花を更に
咲き誇らせ、功徳の花が
やがては
野原一面に咲き誇れば
そうすれば沢山の人間が
その功徳で救われるし
そしてそれは、結局は
自分への更なる功徳にも繋がる。
沢山の功徳の花が咲き誇る
野原で
体いっぱいに功徳に
浴する事ができるのだから。
このように
他を思う、大愛の心を常に
持ち合わせていれば
たった一輪だった
自分の願いへの功徳は
やがて
数えられない程の功徳になって
還って来るのだ。
信仰による
善の心の習得とは
それによる
因縁の消除とは、
また、神に愛される事とは
それは
常に私達の生活の中に
ある、様々の行動の選択の
中に、それはあるのだ。