教主より心からの呼びかけ=トルコ大地震

『今年は大変な地震の年になる大地が熱い』

 

年明け早々

私の霊験による予言がまた一つ現実になってしまった。

バレンタン、ホワイトと愛縁の大法二つの壇を兼ねし

令和五年春の大祭に於いて

その先鞭前衛を務めし、現在私が修法振るう

バレンタンの愛縁秘法、

正にその開白の前夜

トルコで激甚なる大地震が発生したのだ。

その被害たる事、現在に至っても計り知れず

是迄に知れる限りによれば

死者は2万1千人を超え

まだまだ被害は拡大する事否めぬ状況にある。

 

私は、この被害者の数が

東日本大震災を上回った時点で

如何に、何千何万里と海、山を隔てし

遼遠彼方なる地の出来事とて

これは本腰を入れて救済の祈祷に臨まねばと

いよいよに痛切感じ入った次第であり

 

抑も

本尊愛染大聖天より

奇縁なる境遇をもって

数々の奇跡霊験を垂れ給いて今に至る

我にとって

その他の神仏を圧倒す霊験功徳に寄った

性根矯正による百花極楽への教えと導きは

それに果たして沿わなば

何の教えの教主ぞよと嘆かん仕儀にて

事ここに至っては

そのような本末転倒甚だし事は

比類なき霊験を世に示し続ける稀有なる大聖天に

身も心も投げ打ちお仕え申すこの我にとっては

例えであっても成らぬのが道理とばかり

畢竟厳命を覚悟した次第である。

 

依って信徒の皆に至っては

君等もまた、愛染大聖天の教えの子であるばかりか

血の縁と迄深く袂を同じゅうす

輪廻宿世なる御本尊の家族の一人なのであるから

 

どうかこの度の遥かなるトルコという大地にて

俄かに発生した

近年世界でも類を見ない

大地震に対し

ホワイトの愛縁祈祷が終わる迄とするが

その結願を迎える迄

並行して修される大祭行事に於いても

どうかそのそれぞれの心願成就への祈りと伴に

我の修せしめる、平癒の壇に

信徒一丸となって強き祈りを寄せて下さるよう

此処に於いて

教主より

努めて深くお願い申し上げる次第である。

 

そして何より

そのような救済の念

つまり

慈悲なる思いを伴に持ってこその

心願への祈りの

正に同時にして、接近なる

その心の発生は

其れこそが愛染聖天の説きし

大愛の円満に即してならず

そこにこそ

悉地成就の果実があるのだから。

 

されど

まるで然もありなんとばかりに

全てが現実になる我が神通による

霊験霊眼に心戻さば

 

その次々に起こる我の神通による

現実に発生してしまう的中事象は

正に摩訶不思議にして

全てを霊視し、その情景を感じ取れる

我にあっても

また、我の発する一字一句を読み

伴に経緯を体験する信徒の皆にとって

も、これ迄二十年近くも伴に

歩みしその教えの道すがら

そのいちいちにて

常に、その我が予言霊視の霊言は

ほぼ九割以上の的中を示して来たもので

そしてそのいちいちを伴に体験する度に

我らが奉ずる愛染大聖天という

その神力の強大さを

なんと摩訶不思議よと

我らは伴にまざまざと

思い知らされてならない。

また、我が霊験による霊視が

もし外れたと思っても

世の我こそは霊能者、行者よと

声高に謳いし者の如くに

特別に目を掛けた期間、年数をもって

待っていれば、

実に果たしてその者達よりも

遥かに早くに

一年後、二年後にその的中成果は

確実に顕れるのだから

 

故に

私は、私が心で感じる事

思う事が、実は恐ろしくてたまらないのだ。

 

何故なら

その全てが

我が心で見たものであり

それはもしかして

我が願望がそうなっているやも知れぬ危険が

充分にあるからだ。

 

よく私の予言的中を調べて

送って下さる篤信なる信徒方なら

既に知っている事と存ずるが

実は私は兼ねてより

この度発生した大地震。

つまり地中海

また地中海は地中海でも

アナトリア半島付近での大地震を

何年も事あるごとに予言して来た。

 

そしてこの度も

私は例年と同じで

私は、トルコと全く隣接同位置に存在する

ギリシャを中心とした

大地震が起こると感じていた。

 

しかし

結果はシリアとの国境沿いでの発生であったが

だが実は私の心の目を実測とすれば

その模様は

行った事も無い遥か遠い異郷の大地であり

そう考えれば

正に我が心の模様と

発生したその地域までもが

的中しっくりと同等してならない。

 

またある国の大統領の話だが

任期を待たずして

数々の違法行為が明るみに出始めた。

我が祈りの丈が年を重ね

一年少しして実を結び始めたのだ。

 

是迄

我が調伏の法は

中国、朝鮮半島、東南アジア迄は

敬愛にしろ増益にしろ延命にしろ

確実に怨敵を滅す事が出来たが

如何せん

法力不足か、アメリカや中南米の人物には

何故か猶予を与えてしまっていた。

しかし、去年起こった

アメリカでの豪雪や山火事、ハリケーンを

見事霊視的中させた後、私はロサンゼルスに住む

我が信徒に被害を与えし者を二年かけて

やっとの事、法力にてひねり潰す

霊験成就を得た、するとどうだろう

私の中にある、何かの自信。

つまり日々、たゆまぬ不断の修行

この日本で我ほどの修養をもって

歓喜天を修していないその実績とが

相俟ったのか

それらによって強化された我が心の模様は

是迄、逃げられれば及ばなかった地域に

遂に確実に及ぶ事を実現とさせたのである。

 

正に我が修養の成果であり

一聖天行者としてのそれは勝利でもあった。

 

このような行者としての実体験を通し

だからこそ皆に

このトルコ大地震への教団一丸となっての

祈りを前にして教化したい。

 

成就とは

奇跡とは

いや、この現実目の前にある

全ての事象は

我ら愛染聖天様が垂れ給う

世界観の通り

それは

全て私達の心が映し出した実は霧の如き世界。

故に

現世=映し世

と申すのであって                  

 

我々の共通理念

共通なる思い、祈りこそが

この三千大世界を形創っているのであり

 

そしてその気も遠くなる程の

我ら生命の心を束ね

この世にその思いを

映し出すを自在成らしめる

この三千大世界の意識、心の統括者こそが

偉大なる大歓喜天、愛染大聖天

その方なのである。

 

故に信徒の皆々は

それぞれ心願をもって奉じて曰く

愛染大聖天という意識に

愛され、そのそれぞれの心願を

愛染大聖天の御心の中で

『良いだろう』『良いだろう』と

許可頂き、心に感応映し出して頂かなければ

ならない。

 

畢竟、この教主である私の

皆に常に示してならない霊験の数々を見れば

良い。

其処には

私が心に思った、どんな些末な事柄さえも

私が望もうと望むまいと

全て現実にして下さる

恐ろしいと迄感じてしまう

愛染大聖天のこの聖天教教主兆象大宰への

限りない絶大なる愛が有る事が

解るはずである。

 

 

では

どうすれば愛染聖天様に愛されるか?

 

それは言わずもがな

 

愛染聖天様の垂れ給う教えの実践。

『愛染毘奈夜迦順世帰命価値論』の実践であり

大愛獲得の実践にそれは他ならず。

 

簡略して申すなら

弛まない純真なる信仰にそれは他ならない。

 

また、愛染聖天に留まらず

この信仰の順守は

全八百万大小聖天。

つまり既存の聖天信仰にも云える事で

 

かるが故に

聖天行者と語る迄は良いが

月に一度だけ浴油をしているとか

月に何日か日に三百回だけ

油を掛けるんだとか申し

大層な事を並び立てる行者もいるそうだが

そのような行者に頼れば

何故須らく

厄災が降りかかると申せば

 

其処には

上記で申した。

歓喜天の教えに即した

行者としての歓喜天への愛が無いからだ。

行いが無いからだ。

 

これは全ての修法に於いても言えるが

特に聖天法に際し行者は

大日如来の最後の方便の身として

現れる歓喜天に対し

金剛界九会曼荼羅に於ける

教えの満足を一身に受け、やがては

その教えに沿った行いを行じてこそ

聖天法に於ける

垂れ給う歓喜天の教えに能う。

 

そして行者が更に

大成し悟りを開く為の

その教えの秘密は、

秘法の秘密は、

日に総計七百回を潅ぐ油が

何故

四百回と三百回なのか?

 

何故

一度始めたら

一日も休まず修さなければならないのか?

 

それらの問いの中に

秘密の答えが隠れていると云ってよく、

 

そしてそれら答えを

たゆまず聖天秘法を

修し重ねる事によって

悟り開眼して行く事こそが歓喜天法の

真理なる姿なのだ。

 

やがてその答えを得た聖天行者は

其処に

天変地異をも簡単に突き動かす

神通力と

何より

その悟りにより

人々の願望を悉く成就させる

奇跡の力を有するようになるのであって

 

畢竟

其処には

間違いなく

修行により

素晴らしい歓喜天の愛を

誰よりも得た

一人の行者が達観涼し気に

座している事であろう。

 

 

ならば信徒の皆々よ。

 

この凡夫なりしも

まがいなりにも

一宗派宗教を世に打ち立てし

一己の聖天行者たる

この兆象大宰の

 

我のトルコ大地震への

大愛なる秘法の祈りに

 

どうか

感応同気は勿論の事

純真なるその信仰をもって

愛染大聖天から頂きし

我が説き給いし教えを見事踏襲せんと

どうか、どうか、今より一念発起し

愛染聖天の愛を是非獲得して欲しいと

強く、強く、此処に願うものである。

 

斯くして

其処に素晴らしき成就ありなん。

 

 

 

 

聖天行者 兆象大宰

 

 

追伸

 

愛染聖天の大神力とは

宿世に渡る救済の御力也。

 

故に

善人にせば

それは

輪廻に渡る大功徳にして

 

悪人にとりては

輪廻を超えた厳格なる矯正の道である。

それは非情なる痛みと苦しみを伴う

魂の反省の道と云えよう。

 

しかし

この両者に実は大差は無い。

何故なら

全てが愛染聖天様の大愛に他ならないからだ。

 

古来より

歓喜天のお経には

歓喜天とその法と、その行者と、

その行者を護る者を少しでも非難する者があらば

その者はあらゆる神仏の罰を受け

あらゆる神仏に捨てられ

想像も出来ない苦しみと悩みに悶え苦しむという。

 

また頭を七つに叩き割るとしたお経もあるが

 

だがこの二つのお経の厳しき教えもまた

歓喜天の輪廻を超えた

つまりは導きなのである。

 

ならば聖天教信徒よ

長い長い輪廻の道、是非にも茨の道は捨て

善人功徳の道に生きよ。

 

ともあれ汝らは、

来世にても牽引される

輪廻を超えた大神の

大愛の導きを得ている者達であると

憶しめよ。

 

これ程の幸は果たしてあろうか。

 

畢竟

善なる人とは

時に例え悪心を生じさせようと

善なる心と祈りを

日夜思い出せる人間の事を云う。

 

 

伴にトルコ大地震への祈りを

一丸となって

発起寄せ合うべし。