教主より新な感応の予言の告知

十二月十一日明け方。

私は先日に引き続き、新らなる兆しを

御本尊愛染聖天様から頂いた。

 

『これより火山に異変が起こる

殊に九州は宮崎新然岳か、宮崎、鹿児島の間にある

霧島連山、高千穂峰で火山が噴火するかもしれない。

また噴火しなくてもその兆候が現れる。

 

もし場所が違っても

先日予言した西日本でこのような

兆候がこれから起きる。

地震に連動し、必ず活火山に異常が生れる。

ダムの決壊、土砂崩れ

原発の被害が出るからもしれない。

 

しかし私個人の霊眼によれば

私は富士山、そして静岡に噴火の兆候を感じる。

もし噴火せずとも

富士山は活動をこれより始めるかもしれない。

 

これは愛染聖天様も言っておられるが

富士山は必ずいつか噴火するという』

 

 

信徒の皆は、私のこの度の霊験を見たであろうか

十二月三日に愛染聖天様から賜った私の霊言は

その告知後十数時間で、その通り

トカラ列島に異常な地震を成さしめ

僅か六日後に遂には震度五強の地震発生を

見るまでに至った。

 

そして本日、報道によれば

鹿児島十島村の島民が、続く地震を危惧し

行政の勧めもあり

遂に島外に避難し始めたという。

思い返せばこれは

今年三月二十日にこの私が

愛染聖天様から頂いた

「これより九州が揺れ始める」という

霊言の延長線にある天災だとも云えるのだが

 

このような愛染聖天様と

この私との感応により発せらる

大神の兆しは

皆も既に周知の事だが

誠に恐ろしい事に

外れた事が無い。

 

全てが現実となる。

 

では、この現世随一と世の人々に言わしめる程の

大霊験の由縁はと申せば

 

やはりそれは

この私が初めて、しかも唯一

この世に

開眼、招来した

この聖天教のみに

存在する

三千大世界全ての神々の主尊にして

八百万大小聖天の帝

愛染大聖天。

通称予言大聖天。

また愛縁自在天の別名を持つ

三千大世界最も高き御位にして

尊くも畏き稀有なる大歓喜天

愛染大聖天様。

その大神の教え給われた

秘法、愛染浴油供を

唯一この世で行う事を許された

聖天教教主である

この私との、

やはり人智及ばぬ

感応の成せる御業であると

断言出来る。

 

大祭も中盤に差し掛かった。

今年は、何やら私の中で燃え上がる感応は

例年に無い程で

それに比例してか、成就者や功徳を頂いている

信徒が沢山いるようである。

 

このような大祭は

大祭中例え効験が無くとも

必ずや参加した者に大いなる福があるもの。

 

このような吉兆なる大祭。

参加した者は

どうか競ってこの私の霊験にあやかり

己の功徳と為さしめて欲しいものである。

 

愛染聖天様とは

私の著書『愛染聖天信仰の手引き』にも

記したが。

その神言により

途方も無い長い年月埋蔵されていた

蟲毒に犯された仏像に宿りし

この世に一体の歓喜天である。

 

愛染聖天様は

毎夜自らを

その蟲毒に犯された仏像に

身を置きながら

この私と伴に浴油を修し

絶頂なる苦しみを自らが進んで

味わう事で

信徒一切の苦しみを

いや三千大世界一切の苦しみを

背負う事を体現し祈って下さる。

 

正にその尊くも行じなさいます御姿こそ

慈愛の究極なる形

自己犠牲を如何無く表しているのであって

そして

その究極の慈愛

自己犠牲による

美しい祈りの舞台こそ

何を申そう

この世で

聖天教教主のみが修する事が出来る

愛染聖天浴油祈祷なのである。

 

であるからして

もし進んで

私の霊験と見事感応を遂げ

功徳を貰わんと欲せば

やはり、愛染聖天様と私と同じ気持ちを

もって祈る事が肝要である。

 

つまり

他を祈る事の追究を祈りの是としなければ

ならない。

 

畢竟

それこそが愛染聖天様が説かれる四つの価値の探求。

その第一の関門『明王人』から始まり

『才人』に達しても尚通じて已まず色褪せない。

 

『愛染毘奈夜迦順世帰命価値論』の、

無くてはならない骨子の一つであり、

 

畢竟それは

私達愛染聖天信仰者が輪廻を超えて追及して行かなけれ

ならない。

大愛の思想の扉であり、極めたるその結実の本宮に

在るものなのであるから。

 

 

 

聖天教 兆象大宰

 

追伸

 

この世は夢の如し

 

愛染聖天様を軸とする

我等一切衆生の心の反映が

この世を創造している。

 

ならば

愛深き心あらば

愛深き世界が現れ

 

愛染聖天様を望む心あらば

愛染聖天様の世界が現れるもの。

 

そして

愛染聖天様の世界とは

大愛の心に生まれる世界であるのだ。

 

更に推し量り悟るべし

 

心とは霊体である。

 

ならば心の反映が

眼前の世界ならば

眼前の世界もまた霊体なのである。

 

聖天教信徒よ。

心によく大愛を抱き

愛染聖天の霊体の世界に

進んで包まれよ。

 

その世界こそ

大愛の世界なのである。