美しい心と成就

 

信徒の皆様に言葉を上梓しなければと思いつつ

秋の大祭も終わり、早や冬の大祭を迎えようとする時期を迎えてしまった。

此処に於いて、遅ればせながら秋の大祭終了のご報告と

冬の大祭等のご報告と供に、久しく遅延した我が身の拙さを棚に上げつつ

我が法話を縷々申し上げたいと存します。

どうか信徒の皆様に於いては、この事、善き巧退と受け止められ、

この場にて我と伴に更なる信仰を深められよとの存念を望むものであります。

 

私の信徒の悩みは大半が、大変な困難な悩みを背負った方々である。

そのご苦労は、私が聞き及んでもそう同情を憶えるものであるのに

ご本人の気持ちに至っては

その苦悩は測り知れないものであることは

同じ人間として察しが付きます。

この度の大祭の成就者の中では

何歳も年下の彼を好きになり、堕胎させられ捨てられながら

その思いを捨てず、秘法に入りくじけず、長い間私と千宰と御本尊と伴に

耐え忍び信仰を全うされた成就者の方、

こちらは男性の方だが、同性愛で苦悩され、やっとの思いで成就された方

この間には苦悩の余り体調を不良され入院されたりご家族の癌などがあった

善く頑張られたと思う。

(聖天教の御本尊様は同性愛の方の悩みに大変な功徳があるように思える。

今迄の経験からいっても、あらゆる性をお持ちの方々を

まるで御本尊様から縁を起こされているかのように、縁付け迎合され

成就せられている、現在も問い合わせが何名か来ているとの事である

まさに我が御本尊様は本当の愛の神なのだなとこの事を考えたら

祈祷中涙がでた)

また性別は内緒だが結婚相手の御兄弟と男女の仲にあり

離婚して結婚しようとも、そのような関係は自分のご家族や世間友人が

赦し見逃すはずが無いとの事

この悩みは秘法でないと解決できないと入られ

二年、結婚相手はなぜか事故死なされ、その間

相手のお母さまが亡くなり、同じ月に御自分の御父上も亡くなり、

このような形だが、その方にとって最も思いを遂げる環境が整い

三年目で成就に至った。

これは摩訶不思議な成就であった。

何か恐ろしさまで感じさせる事案だが

なんの事は無い、とても清楚で心の美しい心の方なのだ。

きっと愛染聖天様が

交差するあらゆる人の縁の寿命などを考慮なされた上に

悲しい事も合い混ぜになったが

この方を大変愛され成就させて下さったのであろうと思う。

寿命だったのである。

 

御婆様がもう殆んど絶命に近い状態から現在元気になられた信徒様の事もうれしかった。

しかし、過去に脳の腫瘍が無くなった事例と

小さい弟さんが木から落ちて頭を打って危篤になった時に

生還され、今では元気でいたずらっ子にされているという事案などを考えると

我が御本尊様の御功徳から考えてみると

なぜか普通にも思えしまうのだが

何よりこの信徒様は元気で朗らかな方だ

九州の方で何度か大変な自然災害に遭われておられるが

その明るさを愛染聖天様はよほど愛しておられるのであろう。

なぜか全てなんでも守られるのだ。

人の命を救う祈祷をすると

何故だかわからないが

恐らく対価としてだろう

信徒様の生活が苦しくなる

また何かの願望が奪われる状況に陥るものであるが

恐らく彼女の明るさはそれを吹き飛ばす何かをもっているのだろう。

だから御婆様の事案を聞いても、私の心に心配は何故か無い。

 

報告は良い事ばかりでは無い。

とても篤信な信徒様の御姉さまの癌と御本人の御病気が

悪化された、一時はとても良かったのだが、これは私にとって

今耐え難い心痛になっている。

そして

長い間不妊に悩んでいた方で一人目を授かっていた方が

是非二人目を欲しいという事であったが

なんと大祭後、流産してしまった。

 

この流産のお話しは

先日、秋の大祭前に秘法に入られた方で

心願相手とは違いますが、秘法受持してすぐに

9才年下の彼が10年振りに出来たという方がいらっしゃたのだが

この方は大変篤信な信徒様で

女優さんのような美貌をもっており、世界的な一流企業にお勤めの方で

御本人は御本尊様に大変感謝されておられるが

その美貌を見ると、その成就に私は私の力だと

胸を張って言えるかどうか

解らないし、もしかして彼女だけの力なのではと

9割思ってしまう程なのである。

それなのにこの御方はその9才年下の彼が大変優しいそうで

幸せで、全て御本尊様のお陰だと仰られる。

私はその方に見た目だけではなく、このような処から心の美しさを感じてならず

愛染聖天様はこの方を愛でてらっしゃるだろうなとだけは断言できる。

話は逸れたが

続けさせてもらう。

上記の流産された話は

この方に対する文章にだけ述べてあった。

私はこの二つの悲しい事には覚えがあるのだ。

それは10月半ばから末にかけ、私の心の中で確かに

乱れがあったのだ、私には殆んど休みが無い

疲れが溜まっていたのであろう。

確かにその頃、我が心に疲労を憶えいたのだ。

 

このような時、特に秘法に入られている方には適面に厄災が降りかかったりする

何故なら、秘法とは我が御本尊様と特別の血の縁を結ぶ行為であるから

信徒様にも大変強い信仰心を求める

それと伴に主宰であり

御本尊様の第一の子とする私が気を抜けば

それと同じ事になるのだ。

秘法とはそういうものなのだ、我と御本尊様と受持者は魂でつながり

連動し、知らず知らず、思いと運命を強く共有するのである。

それ故、皆で祈れば非常に不思議な事が起こる。

 

(津波や地震、原発などの不思議も供に祈り成就を経験しましたし

上記の何人もの方々が亡くなられ成就した事に付随して

私は基本的に調伏はしない。

しかし、我が聖天教、そして信徒様に仇を成す者を

守護する為、一日も欠かさず

私の浴油の中ではそういった調伏はしている。

これを強くする事によって

「苦を抜き楽を与える」という

愛染聖天様の宝珠が満願するからだ、

そしてこの愛染聖天様の境地を

私が真に理解したなと

自分でも思った頃であった、

御本尊様が私に

調伏をし、この世を磨けと言うようになられた。

私が年頭の言葉で教義を変えなければといったのは

それ故でもあるのだ。

この調伏は

本尊讃の時に怨敵を

調伏の印と真言をもってして

その詳しい怨敵調伏の内容を申し上げながら

ある部分で御本尊様と伴に

心身魂一つになり

思い深め

滅ぼしさ去るというものである。

大体が一か月から半年すると

軽いもので

家が破産したり、死にたくなったり

精神に異常を訴える。

妄想を見たり、孤独を感じる。

そして、やがては

その人間の悪の軽重に応じて

御本尊様はその者に永遠の死と苦しみの地獄に導く

自殺、事故、病気、謎の死

要するに恐ろしい輪廻に落とすのである。

御本尊様の調伏の特長は

このようなものである。

現在、一人大変年下の男性と同棲を始めた方がいらっしゃるのだが

彼は若く女性にモテる。

彼女はその中で彼が一番気にいっている女性の調伏を

私に特別依頼した。

験は一か月もかからなかった。

彼はその女と別れ、そして

調伏の影響だろうか?恐らく信徒の彼女の中に

彼を恨む心があるのだろう。

現在彼は言動や行動に異常を来している。

泣いたり、籠ったり、不安を口にし

不安定を露わにしている。

話は逸れたが

私が言いたいのは

上記のように何人もが亡くなられた事案も

私の愛染浴油供修法の中にある、

信徒の皆に仇を成すものへの調伏

要するに愛染聖天様の

「苦を抜き楽を与える」功徳だったのかなと

思っているのであって、

信徒の皆様もそのような大なり小なりの調伏の力と功徳を

感じる事はあるはずだと思っているし、

このような御守りも

私を先頭に

「信徒皆で祈り倒す」

という聖天教の特色が成せる、奇跡なのだと思っている。

恋愛しかり、自然現象しかり、

調伏しかりである。信徒の皆様にはこれからも伴に強く

祈り合い成就の道を歩んで行くこと望む。

付け加えるなら、秘法の方だから更に強くでたのであろう)

※私はこのような信徒様の為以外の要するに救済の為の調伏以外は絶対していない。

また更に誤解を招かない為に申すなら、

聖天教を頼り信仰を深められた皆様を調伏する事は決して無い

そういう意味合いに於いて私は全く調伏はしていないと断言する。

しかし、これからは教義と共に愛染聖天様の新たな御言葉御指図に従い

徐々に変更して行かざる終えまいと思っている。

その時は信徒の皆様もどうか御本尊様の御指図であるから

どうかその考えについて来て欲しい。そうお願いしたい。

 

 

()や※が長くなったが、以後続ける

 

私はこの自分の乱れに大変皆に申し訳無くおもっている。

私はこのお二人は必ず導こうと考えている。大変篤信な信徒様で

私の心の支えでさえある方々なのだ。

頑張ろうと思う。

 

ただ浮かばれるのが

御病気が悪化された方の御友人がこの方も大変篤信な信徒様なのだが

御友人の癌が縮小されお医者様が奇跡だと云われていたとの事

私はこの出来事に、御友人の癌の出来事から

愛染聖天様はこの御病気からきっと救ってあげるから頑張りなさいと

彼女に申したのではないか、そう思っている。

何より私がこの方の事を深く思っているのだから

私は常に毎夜愛染聖天法で御本尊様そのものになる。

私が思っているのだから愛染聖天様がこの方を深く愛していないはずがない。

そしてこの方も流産した方も大変心が美しい方なのだ。

 

以上まだまだ沢山の成就した信徒様のお話は

尽きないのだが、その全てを申せば大変長々となってしまうので

申し訳ありませんが此処で割愛させて頂き

以降これから一つ信徒の皆へ

教化をしたいと思います。

今回の教化は、本日の言葉のお題目でもある

「美し心と成就」についてであります。

 

先に挙げた愛染聖天様の功徳の実例のように

上記の成就なさった方々、また御病気等であっても

私が大変応援している方、そして同性愛の方などまだまだ

今の日本ではその事の理解不足の為に

大変な心痛をお持ちになられながらの方々など

愛染聖天様の下さいます功徳には

全く分け隔てはありません。

 

ではこの愛染聖天様の大神力を

如何無く頂いている方の特徴をずばり申しますと。

 

それは頭が下がる程

また違う見方をすれば

心配に成る程

優しく、美しい心を持っている方々だという点なのです。

 

私の教えは

愛染聖天様との真実の会話と

実践の教え、

これも祈りの現場にて

神と信徒の魂と常に邂逅しながら

成就に導く、迫真の我が内性から沸き起こる

つまりどちらも愛染聖天の真実の御言葉である。

 

先日、お坊さんが集まるテレビを見た。

彼らは、明るく、人生を全うなさっており

まるでそれはスタ-のようである

そして、彼らに対する質問者の疑問に対する

一門一答も大変素晴らしく。

宗教学として知識に溢れたものであり、人の人生の悩みを

知識で解き明かし、牽引するに余り無いものだった。

 

しかし、私は見終わった後、何かもの足りないものを

感じてならなかった。

それは、彼らの云われる事は全て

仏様や神様、そして弘法大師並びに聖人が仰った事を

例にとり、時には言葉を崩し、一般者と溶け合いながら

話しなのだが、そのどれも同じに感じてならないかった。

私は、良いお話しなので、その時はうんうんと

聞いていても、まるですぐに耳元を過ぎてしまう風のように

心に留まらない事に、深い疑問を憶えた。

 

しかし私はすぐにそれを悟った。

彼らは

本当に神に会って話し

学んだ事が無いのだ。

 

私はもう長い間、聖天の秘法を休んだ事が無い。

その経験の中から解る事、

それは聖人のおっしゃられた事は

学問から学んだ事ではない。

深い神との感応と瞑想、そして

それの途方もない、実践を重ねる中から生まれる

神霊の存在の確信と実感、同化

そして

そこからなるどこまでも美しい思考との

同居、同和から生まれる

 

果てしなくも限りない

美しい共感、

 

宗教家は、いや聖人は必ずこれを

自在に経験し、その境地を経験すれば

死しても尚、

そこに、神と伴に在る事が出来る。

そここそが

諸仏の浄土

愛染聖天様がいらっしゃる

金剛毘奈夜伽山の山上にある

宝宮殿なのだと私は実感として

感得しているのです。

 

そこに私が修法を通し行くと

そこには愛染聖天様だけでは無い

私が感じようとすれば

洋の東西を問わず限りない神々と聖人達が

私に共感し共に礼拝し

私はそして深く感じ入るのです。

 

私の沢山の疑問の答えや、奇跡はここから生まれて行くのです。

 

そしてこの場所は

誰でも行くことが出来るのです。

私はこの浄土にて

確信たる同化を

愛染聖天様と果たした後

潅油に取り掛かるのだが、

 

ではこの聖なる体験と邂逅、

そして確信たる感応と同化に至るまでに

必要な本質とは何か?

 

それは心の美しさなのです。

 

余り浴油の経験の浅い者は

全てが自在であり、聖天様は神の中の神で一番偉いから

なんでも叶うんだとばかりに

行者として自分の欲もぶつけ、他の欲もぶつけ

終いには

人によってはぐつぐつ煮た油で聖天様を

浴油する方もいる

この間違いは全て心の間違いから来ている。

心があれば、熱くて火傷をするお湯を

あなた様は自分お子に自分の恋人にかけるだろうか?

このような欲望をさらけ出した者に対し

あなた様が神なら

行者と認める前にどうしたらこの者を

ゴツンとしてやろうかと考えるのでは無いだろうか?

 

しかし愛染聖天様とは

三千大世界の根源にして

その全てであり

私達を含めこの三千大世界の一切生命が

共有する絶対的意志であり

私達が存在し、現在我々を包み込む、

空気から元素まで全て隙間ない物質悉くなのである。

つまり私達は

その一つの神経細胞といって良く

我々は愛染聖天様と伴に愛染聖天様の

その意志を実は担って生きている。

畢竟

覗き合いながら生きているのだ。

しかしながら、

その意志、命に迷いをもった細胞だけが

集まり同じ輪廻の膜を創り上げ、愛染

聖天様を見えなくしてしまっているのが

我々の世界、人間の世界なのだから

それ故、

そこから助け出そうとなさっているのが

この三千大世界の根源でいらっしゃいます

愛染聖天様であり、

救われようとしているのが私達なのだ。

そしてこの三千大世界でその救済の

最上の手管こそ愛染浴油祈祷なのである。

故にそこには

行者の我儘で篤い油に逆さに本尊を入れる

という間違いなどは絶対にないのだ。

其処にあるのは、この世の何者をも

超越した慈しみ合い、思いやり合う

この三千大世界の根源である絶対的存在と

一生命との深い祈りの大愛

つまり非常に美しい心があるのみなのである。

 

人を導こうとする清らかな意思と

慈しもうとする行為がまるで

喜々として感じられる究極の思いやり、

そしてそれらが解け合って

命がその美しさで爆発するような光を放つ

究極の愛

そしてその愛は

優しくも輝きで目を覆いたくなるような

嬉しさをもった

喜びの光を発し、

この喜びを男女二天が

抱擁したならば

そしえその喜ぶを

修法者である私が分ち合ったなら

私はその時

この世に、宇宙に神産まれるのを感じるのです。

これを究極に私が感じ感涙するまでに感じた時

よく不妊の方が妊娠を致します。

 

であるからして、私はこの経験から

申せば

愛染聖天様と結び付くことは

これは美しい心

それ一点だと

私は達観し、そう信徒に申し上げたいのです。

そうでなければ愛染聖天と

どうあっても結びつかないのです

どう言葉で美しい事を云っても、何をしようと

絶対に結びつかない、

それでいて愛染聖天様は一度縁を持たれたら

一生懸命救おうとなされる。

その無理なまでの慈愛が、厄災という形になってふりかかるのです。

見方を変えれば、美しい心をもっていれば

愛染聖天様の導きだったんだなと理解できるはずなのだが

美しくなければ、自分をだらしない生活や気持ちから

矯正できないでいるのだから

全ての導きが恐ろしく感じる。

 

特に行者として、美しくなければいけないと思う事は

行法に於いて、聖天様の宝殿に行く道すがら

心の大小に随って

我が心内に信心堅固な城を創る時

我が煩悩ばかりだと

心の中に小さい城しか出来ない。

その城は色と浴に塗れて感じる。

勿論、美しさをもって作ってみてもそれなりの

城を創れる。

しかし、

我はこの間違った六道輪廻に住む者であるが、

同じこの世界に住するものを救いたいという思いを強く持ち

己の心の美しい愛を探し、

こう我が心内で愛染聖天様に申し上げるのだ、

「聖天様見てください、私は今まで醜い者でしたが

この醜い私もこのような僅かな

愛があるのです。

愛染聖天様、どうですかこの愛は凄く小さいですが

染んせられず。ダイヤモンドのように輝いているでしょう」

そういって

私は心内で愛染聖天様に差し出すのです。

そのダイヤこそ

千宰、万宰、信徒様を思いやる美しい心。

その時私は感じるのです。

この世の栄達や富などは

一瞬の夢の中、雲間の中のものでしかないのだと

そして

愛染聖天様が

そのダイヤを見て

こちらへいらっしゃいと

私の手をとったように感じた時

 

愛染聖天様は本当に私の心に来て下さった

のだと感謝を憶えると

 

私にその時聖天様は見せてくれるのです。

 

宇宙次元を超えた雲間をかき分け

それが晴れた時に広がる空間に

そびえ立つ

途方も無く大きなお城を。

 

私は聖天様と伴にその城が私達なのだと思い

深い心の美しさの大地に

私達はたっているのを感じるのです。

 

そしてそれを思うとき

行者はこの世の華美なる欲を満足する何百倍の

美しさと満足を理解していなければならない。

それは永遠の満足で

誰ももそれを汚す事は出来ない。

この宇宙の果て隅々の愛が交差するこの城は

途方もない空間を一瞬で到達してきた愛

それだけに

時間論、時の速さから考えれば

この美しさには既に

時間の過去未来はなく

全てに許されて愛される世界。

未来が過去を

過去が未来を

愛と美しさで書き換えられる世界なのだ。

 

私はその時思うのだ

あの者、この者、全ての信徒をこれで救う事が出来る。

そしてもっと美しい心を磨き

この浄土を我が世界と一つにしたいと。

 

信徒の皆様。

どうか今、これを読みながら

一度目を閉じ瞑想して欲しい。

 

深く息を吸い。

己の中の美しい心を探して欲しい。

 

深く深く、さあ

探して欲しい。

 

人を憎まず。

疑う事の知らなかった、汚れなき

幼い時の心

 

探せば見つかるはずです。

 

何故なら、私達はそこから来たからです。

 

疑わず、懸命に人に触れあい

 

知ろうとする。

 

怒りをすぐ忘れ、愛を信じようとする。

 

幼子だった頃の美しい心

 

きっと今あなた様は探し出したはずです。

 

そして

 

気が付いて下さい。

 

この宇宙に、この世界に

恐ろしさの裏に、この人間界でも愛が溢れている事を

 

だれもが同じ美しいダイヤモンドを

心にもっているのです。

 

そして信徒の皆様、我々は

今この瞑想を通し

 

この同じダイヤに今心で触れているのです。

 

そうです。

それを見つけたあなた様は

この私と、千宰と万宰、沢山の信徒と、いえ

全ての愛と同じ世界を感じているのです。

 

そこにいらっしゃるのが

御本尊様なのです。

そしてそこ金剛鶏羅山なのです。

 

心に持つ美しいダイヤという切符に気が付いたら

誰もが自在に訪れる事の出来る。

奇跡の神の宮殿なのです。

 

そして成就とはそこにこそあるのです。

「美しいという心に」

 

私が尊敬する方がいらっしゃる。

その方は大変高貴な御坊様なのに、上記のおぼうさんのような

学問ウンチクのようなお答えは常になさらない。

私はそれ故、最初は

学問ウンチクの徒が偉く思えて、この先生をお坊様特有の

話術が無いと思っていた。

しかし、今私は深々と思い、心で頭を下げるのである。

おっしゃる事といえば、行法でこうだった

ああだったと経験ばかり仰る

あのお方の偉大さを。

 

私は実は言葉は毎日でも書こうと思う。

行法の中で、毎日愛染聖天様と感じ合い学び取ったことを言ってあげたいと

思うのである。

しかし、不思議な事にあのように何時間も祈祷し終えたあと

そう思った事は大体が失われている。

そして毎回残ったものと云えば

漠然たる善の喜びと

炯々と我が心内に燃え上がる、愛の美しさからくる

満足だけなのだ。

 

私の尊敬する先生はきっと私にいつも

この心を伝えていたのだと思う。

私は凄い人なんだと思う。

 

そしてすべての智識、思想、教えはここから湧き出でるものであり

学問はこれを言葉に表そうとしただけのものなのだ。

 

私は、この先生の後ろ姿に本当の宗教者を今感じてならないのである。

 

今冬の大祭が始まろうとしている。

今年は洗浴を含めて17日間執り行う。

今年の冬の大祭は皆が

己の心内のダイヤを探し意識し、共感し実現していく

美しい秘法への挑戦とする大祭にしたいと思っている。

 

合掌 聖天教教主兆象大宰

 

追伸

調伏といっても全てがおかしくなる訳では無い。

例えば、先日、浮気だけではなく他に何人も子供を妊娠させる

有名なミュ-ジシャンの彼女が

呆れて私に泣きついてきた。

もともと成就させたのも私なのだが、

私はもうこれは調伏を掛けて懲らしめるしかないと思い三か月。

なんと暫く家をあけて連絡も寄越さなかった

この風天の男性がひょっこり帰ってきて、

金も何も無くなったから一からやり直すと言って

人間が変わってしまったそうだ。

これも上記の男性と同じで少し悩んで暗くなっているからこれは心配だが

反省したのだろう。私は上手くいったと思っている。

携帯電話にも他の女の痕跡が消えていたということである。

この男の方に言える事は

非常に性格が良い人間なのだ。

浮気をするが憎めない、優しくて、見栄っ張りで

騙してるようで、騙されてる。

そんな人間なのだ。

このような人間に愛染聖天様は殺したり、自殺させたりしない。

かえって彼は幸せになってしまった。

だから調伏とはそういうもので

調伏をかけたら死んだり、大変な目に合う人間は

やはり大変な悪だからそう愛染聖天様がなさっているのである。

だから調伏を通し私はいつも、その方に何か起きたら

やっぱり悪人で、犯人だったんだなと確信する。

そして調伏とは

美しい心があれば絶対に掛からない。

そこに悪さが無く、善と美があるからである。(事実悪さをしていればいけない)

何故なら

そこには、その心の場所には

金剛鶏羅の宝殿が聳え立ち神々が守護して下さるからである。

調伏とは

美しさとは

そういうものである。

 

冬の大祭、

皆の美しい心の城でお会いする事が出来る事を楽しみにしている。