心願を秘す



まずは、信徒様方へ、御本尊様に成り代わり、歓喜の念を申し上げたい。

先日発生した大地震にあたり、取り分け呼びかけもしないでいたにもかかわらず

殆どの信徒の皆様が我先にとばかりに、

平和祈願の御布施をなされた事に、

そこから、日頃愛染聖天様の様々な思想を皆様が実践しようと

日々、煩悩を力としながら善道に励まれている

様子が充分に伺われ、

その懸命に仏性を見開かせようという

崇高な信仰の姿勢に、感涙、いえ、歓喜せずにはいられなかった。

 

私でさえ、そうなのであるから、天にいらせられます

愛染聖天様の、皆様の信仰心へのお喜びは、

歓喜も歓喜、想像を絶する大歓喜であられる事は必定であり

 

故に信徒の皆に

真っ先にその歓喜のお伝えと、

確かに平和祈願のご祈祷させて頂くというご報告をさせてい頂きたい。

また、この度の皆様のお気持ちを少しでも、

より強い心願成就に結びつける為

私の独断で、皆様それぞれの普段のご祈祷を

そのお布施して下さった度合に合わせ

今月中に限り普段より高尚な壇を用い

御祈祷させていただく事とした。

 

そして今日はもう一つ私から

信徒の皆様に徹底して欲しい事を教化したい。

 

それは心願を秘すという事である。

 

簡単に言えば入信している、またご祈祷を頼んでいると

誰にでもこれはいって良い、しかし

どんな内容の心願を申しているとは言ってはいけないという事である。

何故かというと、人というものには念、思いがある。

またどんなに出来た方でも、親友でも、友人でも、

人をついつい妬んでしまうこともあるものだ。

無意識にもしてしまう事もあるだろう。

またこれが確信犯的に妬んだり

羨んだりされたら、厄介であるのは無論の事である。

愛染聖天様は父性の性格をお持ちである。

他の仏は笑っているばかりで、何の功徳も施さず、唾してもその代り怒りもしない。

しかし、愛染聖天様は父親のように、実質的に功徳を下さる代わり、

唾をしたり約束を違えたものには、

人に嘘をいったり悪さをしたらこうなると

ゴツンと頭をたたいて教えて下さる。

故に、そのお守りは、その御誓願と同じくする許容を持ち、

その広さに、父性特有の絶対的なお守りを現じてくれるのであるから

段々と全てにおいて富み、栄えていく信徒様の姿を他人が見たとき、

その心願が顔見知りの人間に知られていては

そこに邪気が生ずると言われているのである。

妬み等である。

だが知られたからといって叶わないわけではない。

愛染聖天様と私はそんなものは滅して進ぜるが、

何しろ余分に困難でない方が絶対に良いわけであるから

またこれは聖天信仰の古い言い伝えでもあるので

くれぐれも皆様の名前、顔など

人となりを知っている相手には

心願は秘すようにして頂きたいものである。

 

 

合掌