2016年度 年頭の御挨拶と予見

今日1月31日、年頭といっても一か月も遅らばせながらの御挨拶、

誠に申し訳無いばかりである。

どうやら、この年頭の一時をもって察すれば

この自戒よりはじまる今年の聖天教の活動並びに

私の宿命である信徒成就引導の天命をもってして、

今年の抱負を考えてみれば、

やはり、信徒の気持ちに強く報いるという言葉に帰結される。

故に例年にもまして今年は

そのように歩まんと、襟を正し奮起している次第であります。

私がここまで年頭の言葉が遅れたのは

宗教活動を千宰と共に始めて、初めての事になる。

わが聖天教の理事の一人で、

この方は現在事情があり欧州にいらっしゃる方で

名古屋に在る大寺院,

真言宗の一つの衆派の官長様の娘息でいらっしゃるのだが

その方の正月のご帰国の際にも

理事だというのに、なんのお構いも出来なかった位であった。

 

何はともあれ、信徒の皆さん、今年も心からお願い申し上げます。

 

では年初めである。

はじめ教化を説いてから予言に入ろうではありませんか。

 

 

聖天法は物語だ

愛染聖天様が、そして私が、そして悩める信徒様を牽引し、

一つの魂が解脱する壮大なオペラなのだ、

私はそれを命を懸け、供じ、矜持、不断無く演ずる

この壮大な式次第には、

全てに、身と命と魂が吹き込まれ、一つ一つの真言に

オペラの一幕一幕があり、

やがてそれは

私にしか出来ないある秘密の取引にクライマックスを迎えるのだ

そして、それはある出現を迎え、爛々たる

祈願ばかりか、一切の愛の満開を迎えたとき

一つの般若の歌を迎える。

その歌は喜びと美しさ、あらゆる感覚を喜々とした歌舞音曲で包みながら

やがて全ての宝珠は回りだし、それが一天一点に帰した時、

全ての過去、未来、思いが

一点の五知の実に宿り、目に見えない程の一天一点が

目に見えない程の大きな宇宙を遍く照らすのだ、

その刹那、その小さき一天一点が作り出すとてつもない重力は

その周辺をおおうように

三つの透明な水晶の殻を造る。

私は感じるのだ、

一つ目は

「これは運命だな」

二つ目は

「これは未来だな」

三つめは

「これは過去」

しかし、この三つの美しく鏡のような宝珠の層が

それぞれを忠実に映し出している事に私は気づく

「過去も未来もそして運命も、美しい心あってこそ円満、神の美しさ限りなし」

そして、こうも思い歎ずるのだ

「今、私は、信徒と供に天の一点に運命を点じたのだな」

そう思うと急に

三つの水晶がどこまでも何層にも深いつながりを持ちながら分離するのが見えたときたとき。

ある肉体の二層、心の一層に対し目を留めてしまうのだ、

そこには、美しく照らし出されているはずの、水晶の光を曇らさせ写すことしか出来ず苦しむ光の層が在る。

その光が捻じ曲げる光は合わせ鏡のように

その後の光を捻じ曲げているのだ、

「あ-、あれが私達人間なのだ」

と私は悟るのだ。

 

2016年1月23日、午後8時から11時に掛け、

愛染聖天様がまた私の夢枕に立たれた。

その時の愛染聖天様は本当に美しく

手足長く、体しなやかに細く、髪は金色に輝き、見たことのない美しい女性だった。

頭には美しい象のぼんぼりのついた冠をなさり

私は、その心に赤子のような純真とその肌に瑞々しさを感じた。

美しい頬とほんのりと赤く熱る唇は

この世の誰よりも美しく、

私は夜空のオ-ロラを思い浮かべた、

そして私は

恐る恐る、美しいその目を覗き込んだ時

その目の色が

青い瞳からあらゆる輝きを放ち、

私と視線が合致したとき

私はその瞳が、北斗七星の中心だと

何故か感じ、

余りの光の重力で私はとても

心臓が高鳴って怖くなった。

そして視線をそむけようとしたとき、

「いつも会っているでしょう」

私はそう云われ、そう云われると何となく安心して

愛染聖天様と心臓の鼓動が同じになったなあと感じた。

すると聖天様はまた一言

「思った事が現実です」

だから明日もう一度今年の予言を聞いてみよう

私はその時なんとなくそう思うと

愛染聖天様はマリア様のような衣服を纏ってらっしゃって

その裾から一輪の蓮の花を出された。

「あなたの応えとはこの花の事」

そう教わった時私は、あ-お釈迦様もこの花の前で全てを知ったのだな

そう私は思い、

蓮の花に目をやると、もう愛染聖天様はいなかったが、

自分の両眼に何か愛染聖天様の残していった光を感じた。

その目で見つめた蓮の花はなぜか種に戻っており、

宇宙という土の中に凝縮されていた。

 

その時私はとても願った。何かを懸命に祈った。

 

その途端、

種の中がレントゲンのように映り、その中に懸命に伸びようとする

私=芽が芽生えたのを感じた。

その芽は私と供に

「おん まかかろにきゃ そわか

おん はんどぼう どはんばや そわか おん ばぞろどはんばや そわか」

そう真言を唱えていたのだ。

佛部三昧耶、蓮華部三昧耶、金剛部三昧耶を唱えていたである。

 

そして間をおかず香炉取っての響き渡る金一丁。

 

私はその時悟った。

 

わたしはこの真言により、種の壁を打ち破る世界に度したのだと、渡ったのだとおもった。

そしてその先は魂の領域だと思ったとき、

虚空とは私の心、心と虚空そのものと私が感じられたのだ。

 

では今から私は命の世界に渡るが、魂、命とは?

 

その時漠然と全てが、あらゆる万物の魂、命の源は同じ

私はその狭間に今聖天様の導きで渡り、金剛鶏羅の山を立て、心の心を上り、魂の教令輪身たる

宝宮殿に入り、聖天様の魂と一体になるのだと悟った。その境地に至りはじめて、

 

「そういえば毎日お会いしているのだなあ」

 

そう感じた。

そして私がその殻に魂命の狭間を感じた時

自然と夢の中で

四無量心を感じ唱えたのだ。そして自然とその意味と次に唱える大金剛陀羅尼

結界の意味がそこで全て理解された。

 

宝珠とは愛と心と清らかさの三層、

数限りないその層壁を乗り越えるもの

それは常に、清らかなるつぼみのような心、

そこから沸き起こる心の光、そして充満たる愛だったのである。

 

宝珠の核とはどこまで熱く愛の満たされ濃まやかだったのだ。

 

私は悟った。

そして目を覚ました時に思った事は

宝珠の壁を越えたとき、私と渡らせてくれた清らかな思い

解脱成就へと導くつぼみのような清らかな思いの化神

愛染歓喜童子様を春の大祭で今年からは祝おう。

そうおっしゃって聖天様はおられると

深く愛染聖天様と同感した。

 

目を覚ました私は

夜も遅いが千宰に夢の事を話し、御神籤の事も相談して見た。

千宰は

「御神籤で先生程的中できる人が日本にいますか?今年の御神籤だって

全部当たったんですよ!そんな人いません、夜遅いのにいい加減にしてください」

と怒られて電話を切られた。

千宰の云う事も一理あるし、私は何より彼女を信頼しているので、

気を取り直し、身を正し、

愛染聖天様に

「さっきの美しい方は愛染聖天様ですか」と

改めてお聞きすると、

なんとというか何というか

「一番、そうだ」

というお答えが

当たり前のように

返って来たのだった。

 

 

2016年の予言を掲載したいと思う

 

◎2016年予言

①アジアで戦争が起こるかもしれない。もし起こったとしたら超大国はアジアの大国にお互いの同盟国と

供に争い、撤退する。アジアの大国とその同盟国は極めて優勢で、世界が衝撃を受ける。

アジアの国の長い争いのはじまりを見るかもしれない。

②そして東欧の大国も超大国と事を荒立て深めて行く、聖天様が仰るには

実はもう水面下では戦争しているんだとの事

従って、今年は一時後戻りできないほどの状況に陥るとの事。しかし

まさかの歩み寄りがある。

③何故か日本はどこかの国と海上等で大勝利をおさめる。

④時期をずらした選挙で自民党が、国民の支持を得て勝利する。

憲法改正現実化の見通しを確実にする。

⑤年の瀬、中東、東欧で戦争、テロ、大量破壊兵器や細菌兵器など

大変危険な武器の使用も考慮された戦いの気運が高まる。

アジアも同じであり、ここに於いて極地的紛争ではなく

世界同時核戦争の気運が危ぶまれるかも知れない。

⑥アメリカで大地震、天災が起こる。

⑦東京で大地震が起こる。

※上記の2か国の地震どれかが起きたとしてもそれは自然現象では無い地震らしい。

⑧日本の経済、株式は必ず低迷するが

そこまでは下降しない。まして株価10000割れなどは無い。

⑨薬剤関係、叉は薬剤会社のトラブルが社会を揺るがす。

⑩アジアの大国の経済が低迷し底が見えない状況に落ちる。(東欧の大国も同じ)

⑪アメリカは低迷するも横ばい見せるゆるやかな傾斜。

⑫後は、気候などは例年通り酷かったり、酷く無かったり一喜一憂する。

※①②③と起きないにしろかなりの危険な気運状況が出来る。

④日本が国際情勢により、右傾化の度を強めていかざる負えない状態に

追い込まれて行く。

総じて恐ろしい一年になるという事なのだろう。

因みに来年はもっと怖い一年になるそうである。

 

私は宗教家である、 世に一切の争いが無くなる事を祈るばかりであり、今回ばかりは心から

はずれるように祈る。

 

最後に、

私の教えは全て

愛染聖天様から直接頂くお言葉と

愛染聖天法により深い境地に達した時に感得する

愛染聖天様の教えをもって伝え導くものである。

その教えは常に成長し尽きる事を知らない。

私はこの度の愛染聖天様の夢枕での悟りから

今年、教団の教義を改変したいと思っている。

去年の津波からの経験からも

諸々の成就が私のみならず皆の祈願の力をもって

成す、一人が皆を皆が一人を思い愛し導く

奇跡の力を聖天教の教えの形の一つとして

採り入れて行きたいと思っている。

何より愛染聖天様もそうお考えなのだ。

従って今年の抱負として、その為に

◎教義の改変と

◎成された新しいお勤めの礼拝作法を創り、

皆に配布し共に修行したいと考えている。

これは何もかも、夢枕に立たれた愛染聖天様の美しきお姿と心に

導かれて思った結果であり、

遅らばせながらではあるが、今年は例年に無い

より一層の輝いた始まりを迎えられたような気がする。(予言を除いては)

 

信徒の皆様。

今年も我ら聖天教

各々、清らかに想い想い合い、聖天様を囲み成就の道を歩み、

世に愛染聖天様の教えの国を打ち立てて行こうではありませんか。

 

合掌 聖天教教主兆象大宰

 

追伸

私は最近まで癌は簡単に治るものだと思っていた。

しかし、今年に入り、芸能人の癌でお亡くなりになった報道を多く目にして

「癌とはこのように怖いものなんだな」と

はじめて理解した。

完治しても気が抜けぬ恐ろしい病気なのだった。

私は、大体の癌を不思議と治してきた、それは手術や、治療の流れを無視したものでは無い、

私の唯一の力、愛染聖天様の御力でもって補助する形なのだが、

もう駄目だという方も不思議と今はかくしゃくとなさっている。

ピンピンして、

「先生の御陰です。私は先生に命を捧げます」と感謝される

実は宜しく無い事なのだが私はこの言葉の重みが余り理解できていなかったのだ

それを先年、

千宰に

「先生は癌を治してしまうんですよ、そんな人どこにも今の時代

インドにもいないんですよ、テレビを見て下さい、癌は怖いんですよ」

そう言われて、言われるがままに情報を見てみて

癌の方の余りの衰えように初めて理解したのだ。

そう云えば私を直接支えて下さる理事の方々も

不治である免疫の病気が治ったり、この方は芸能関係の方だが、

高野山の偉い方に頼んでも埒が明かず、

私が直接祈祷して、十歳ばかり年下のテレビ局の方とご結婚

今は不妊に悩んでいたが、先年なんと男の子を出産したし、

弟さんが家の気からおちて脳が座礁して、一時心臓が止まったのに

なんと見事に蘇って、今は健常になった、脳腫瘍の腫瘍が無くなった事もあった。

確かにこれらは状況も考えて、私も不思議だと思った。

余談だが、

聖天教や私や千宰に問題を持ち込んだ人達が

癌になったり、お亡くなりになったり、自殺、破産をしてしまう事も不思議の一つである。

この事は実は私や千宰には悩みの種で、宗教家として例え、憎いという感情に一時は

苛まれたとしても、その人間の幸福を祈らなければいけない、

故に、そのような場合、負の思いの丈が大きければ大きいほど、その丈より

大きい慈愛の心をもってその方々の無事を私なりに誠心誠意祈っているのだが

結果、そうはならない。こればかりはどうにもならない。