春の大祭

 

 春の大祭が始まった。

祈祷はいよいよ佳境に入り、参加した方々は

愛染大聖天様の、大いなるも輝ける功徳の恩恵に

服されておられる事と、千宰の報告からも手に取るようにそれは解り

私も喜ばしい限りである。

 喜ばし大祭にて愛染聖天様がヘソを曲げられたら

いかにしてに頼んでも成就は無理に至る。

 例えば覚鑁様講式の中にある。聖天様は

縁を持ったものが終に寿命が迫った時、女天様は百捧の華台を持って極楽に

そのものを導き、男天は死魔の軍団を破りながら、地獄に引導されそうになる

我ら聖天縁者を守り極楽に牽引して下さ宇とおっしゃられておる。

まして八百万大小聖天の帝であられる愛染聖天様である。

これは私もニ、三度経験しておることなのだが、

祈祷中、気を失ったことがある。

途中、その意識の不明の中、心の苦しみを酷く味わい、

私の魂の根源たる部分でその苦しみは、頂点を超過するばかりか

非常なる苦しみ、悲しみ、痛みのうねりを見せ、

叫ぶの叶わず、涙さえも、助けも遠く叶わない、非常に深い心の苦しみであった。

私は気を失いながら、漠然とこれが地獄であり、

祈祷中愛染聖天様が私を案内される事で

修養を教授して下さったと感じたのだった。

何故なら、この苦しみの危篤の意識から

私を救って下さったのも愛染聖天様だったからだ

それは、苦しみの中、

明らかに暖かく、まるで親のような、いや、それ以上の美しい光が

闇のうねりを掻き分け

私に向って「すっ」と差し込むと

その温かい光の中に

私は言葉には言い表せない深い愛を感じた。

とてもとても深く大きい愛を

あれは真実の慈愛というものであった。

いや正しくあれは愛染聖天様の受持なされる

大いなる慈愛、大愛なのだと

その時私は、地獄の体験から、本物の大愛の形に

漠然と触れ得る事が出来たのを感じたのだった。

その光の正体こそ、目の前でご祈祷していた愛染聖天様に違いあるはずがなく。

つまり私は修法にて地獄と極楽の二重の体験をさせて頂いたのだった。

私はそれ迄実際の地獄を感応した事が無かった。

しかし私が体験した地獄は、どんな悪人でさえ、憎むべき相手でさえ

落としたくはない本当の苦しみの世界であった。

その時、愛染聖天様がその教えを通し、

何故にそこ迄して、至らぬ私ども

を救われんとするかが本当に理解ができたのだ。

私は絶対に信徒の皆をあのような無限なる

苦しみの世界に落としたくはない。

その為私は、何としても

この教団の教えを通し

皆を極楽に必ずや牽引励もうと

愛染聖天様とその悲願を同一にし、

またもってそのお力の享受を同一をもってなし、

実現しようと強く存念した次第であった。

 

大祭結願まであと約半分の工程であるが

命を懸けて供養したいと思う。

                         

 

合掌

 

報告である。

先日、癌のご家族をもつ信徒からの

またもやの奇跡の報告である。

癌そのものが無くなっておったとのこと。

病院でも、この不思議に大変であったろう。

このような奇跡の功徳に皆は守られておるのである。