大祭前に皮一枚の信仰を

 

 いよいよ秋の大祭が始まろうとしている。

私の抱負としては、この大祭を通じ、信徒から今回の天変地異に際し頂いた有難い慈愛の心を、

皆に対する光輝く愛染聖天様の功徳に変えて降り注がんと存念するもので

数々の自然災害の続く昨今、被災された人々並びに報われぬ生活を送る方々に対する救済を国内外を問わず

愛染聖天様に訴えかけることによって、

絶大な奇跡力をお示しにあそばす我が偉大なる御本尊様、愛染大聖歓喜自在大天観世音菩薩様の

その御力の発験を、大祭による供養供奉によって乞い願うものである。

然るに、参加された篤信な信徒様方は、私同様の心根を持ち、

また、心同じうにならんと欲し、ただ一心に祈り、大祭に参加する事で

予言、奇跡という摩訶不思議な事象さえも、軽々といった具合にお見せして下さる

御本尊様の偉大な功徳の御光を充分に頂いて欲しいと思うものである。

 

二人の篤信な信徒がいるとする。

二人はどちらも大変に熱心な信徒である。

しかし、何故か一方はここぞという時は必ず大変な功徳を頂き

一方は、ここぞという時に、肩肘を外された形になってしまう。

これはなぜか?

実は後者は願望が成就に大きく動き始めると甚だしく

時には危うさをみせた時、

「なぜ私に尊天は功徳をくれないの?」

「私がこれだけやっているのに」等

時にはその落ち込みは尊天に対し非礼極まりないところまで

発展することもあるのだ、

沢山の功徳を生活の中で多岐にわたって頂いているのにも

かかわらずにもである。

これが皮一枚の信仰心の差である。

つまり例えどんな状況に陥ろうと

決して変わらない信仰心こそが

私の祈祷と愛染聖天様の大神力を己の身の上に

伝播感応させ、それを成就に向わせしむ最上の秘訣なのである。

平時はどちらも篤信であられるのに、

状況の変化で

この皮一枚の信仰により

全て結果が変わってくるとしたら、

この皮一枚は巨岩より

厚いといってよいのであるから、

この愛染聖天様の功徳を頂ける有難い大祭にあたり

この教えを良く心掛け、それぞれの成就の糧に

して頂ければ幸いである。

 

 

 

合掌