強烈な想いを寄せなさいという説教

 信徒の皆様方にはご無沙汰しまっていたが、よく信仰しておるだろうか?

ここ数日は、きっと篤信な方は、良い事が起こっているはずである。

何故なら

私のお勤めの充実と供に、愛染聖天様がそうおっしゃっておられるからだ。

皆、その功徳の有難さに感謝しなければ罰があたるというものである。

やっと仏像の魂入れも終わり、後はたまってしまった御神籤を行法の合間

日に2、3ずつお言葉を授かれば夏の大祭から始まった仕事が一段落する。

毎年の事だが、私は、一心、清水の如く、不乱に仏像開眼には

尋常を超えた時間と精力を傾ける。

時間はかかったがいいものが出来たはずである。

ただし仏像を手にした者も

よく信仰し、微塵も愛染聖天を裏切るべからずであるし、強烈に常に

愛染聖天様を想い、お勤めに励まなければ、私が常に言うように、何一つ起こらないばかりか

罰が絶対に当たる。そう覚えておきなさい。

以前にも何度も書いた事があるが、お勤めをする気が起こらない、また、信仰が

薄れてきたからどうしたらいいんでしょうか?

などの質問をしてくる人間がいる。

私としてはこれ程拝んで、最高の法をかけ、まじめに

やっているかと思いきや、そんな言葉を聞くと

未だ入信しても

精神が占いと神仏を天秤にかけているような

まるで浅はかで惰弱な信仰に見えてならず

信仰心まで神、行者に丸投げするその姿に

口ばかりの信仰で、何も御本尊様を愛していない、低次元な

偽りの信仰とすぐにわかるものだから、

まだこんな人間がいたかと腹の立つことしばらくであり

こういった信仰の状況にいる人間は必ずと言っていいほど、成就後は

信仰を捨ててしまい、その後お守りの無い人生を茫洋と歩むようになってしまう。

しかし、それではいけない、般若の教えにもあるように、物事は絶えず、たゆまなく

流れる、だからこそ滞り、濁り、またもって激しく辛い流れにある

それぞれの人生に昂然と立ち向かって行かなければならないのだ。

皆様は、天文学的な数式の確率によって、この現世利益の大神

八百万大小聖天の帝である愛染聖天様と魂の縁をせっかく

結んだのだから、もし上記のような心持の方がいたらその信仰の形から脱却し

信仰の火を自ら燃やし、尊天の力を頂く為に昂然と立ち上がり

誰より素晴らしい愛に囲まれた人生を手に入れて行かなければならないのだ。

よく選挙などで街頭で演説している政治家がいる。

あなたはその人間の政策、また言葉、導きが何らかの形で必要な人間だとして、

その街頭演説に目を向け耳を向けなければ、いくら大きな声で演説している

人間の前を通過しても、存在さへわからずに通り過ぎることであろう。

己の力を持って目を開き、耳を傾けなければ、その演説の説くところを得る事

ができないのだ。

そして愛染聖天と私の声に一度気が付き

少し耳を傾けてみたならば、

誰しもが必ず気付く事が出来るはずなのである

そのあまりの導きの大音声と懸命さにである。

そして圧倒され、

その大いなる深き導きと愛に必ず驚くはずである。

つまり、己の信仰を奮い立たせ、功徳の射す光に向いそれに浴するは

畢竟、己にて心に信仰の火を着火せねばならんのだ。

曳いて申すなら、常に己が心に

強烈な信仰の炎を抱いていてこそ

我が愛染聖天の

まるでその功徳研ぎ澄まされた刃の如くな

大霊験を頂く事が出来るのだ。

その為、己の心を動かし、大神の教えと功徳に浴する為、常に信仰を強烈に渇望するのだ。

心の奥底から、熱く、熱く、愛染聖天様に向かおう、向かおうとする姿勢。

さすれば私は、そして愛染聖天様は、常に正に大音響の功徳を放ちながら

それを受け止めるだろう。

そしてこの教化を聞いて

それが出来ないからどうすればいいんですか?ともし思う方がいたら

すぐさまそういう方は教団を去りなさい。

体が不随の人間でも信仰に熱い心を動かす事ができるのに、

五体満足の人間が思う事では無い。

まして

彼、彼氏を好きだから欲しいという心の働きが出来る人間が、尊天を想う、

いや、思ってみようという心の発信をできないはずがなのだ。

これを出来ないの出来るようにしろというのなら、

我儘も行き着いた心のありようなのだから。

そういった人間は、もし愛する人間と関わろうとしても相手の心に目をむけようとしないので

相手の心の声が理解できず、結果、嫌われてしまうだろう。

そして、今日この教えも私と、愛染聖天様の

大音声の教化の光なのであるから覚えのある人間は

改心するように。

 

すれば成就をしない者など、愛染聖天様に於いてあるはずがない。

また、それゆえ、お約束は必ず守るように、

親が、友達が勝手に頼んでしまったなど私は許す気はない。

もし、赦して欲しいのなら納め切りをかけなければならない。

愛染聖天様の恐ろしさは、尋常ではないのだから。

 

 

非常に篤信な信徒様のお父様が亡くなられた。

その方は音楽家の女性なのだが、お父様は密教の僧侶をなさっておられたそうだ、

私の教会はなぜか行者さんの御子息が多いのだが、

私のこの方の熱心な信仰に対する尊敬の念はとても大きい。

ご家族がお亡くなりになると通常お勤めが長期間できないのだが

出来るように法を施しておいたので安心しなさい。

忙しくお声もきいていないが、あなたの事を気にかけております。

元気をだしなさい、お落ち込みになったぶん、

その倍功徳を差し上げたいと思っております。。

 

皆様の御献金で御厨子が出来上がった。

非常に素晴らしく、その輝きと威厳は尊天に相応しいお屋敷である。

写真をお知らせの功にて掲載しておく、中には御本尊様は

いないように撮影したもので、現在平時はこの中でお暮しである。

ゆくゆくは、もう一つ、更に内装までも凝った、これ以上の御屋敷に住んで

頂きご威光を増していただこうと考えておる。

まずはこの素晴らしいお屋敷を見て、御献金いただいた有志の方々は

愛染聖天様の功徳間違い無い事に自信と誇りを大いに持って頂きたく

先ずは愛染聖天様に成り代わり、心より感涙のお礼を申し上げたい。

                                    

 

合掌

 

追伸。

  扉を開閉するとさらに美しいので、後日その写真も掲載したいと思う。

また、この厨子に尊天様が御住みになってからの成就者が相次いでいる。

尊天は生きている。その神力の躍動には今更ながら寒気がする程だ。